258.過去と重なる
「どうしたカナタ……? 何故合図を出さない……?」
屋敷の敷地外から様子を窺っていたオルフェは一向に合図が出ない事を不信に思っていた。
魔力反応が感じられないのは固定術式だと推測できる。だがユージーンが展開する固定術式などカナタには何の問題にもならないはず。もし問題があったとしても固定術式は窓の開閉などまで防げるわけではない。
屋敷から飛び出せばそれですむ話だ。
不意を打たれたか? 薬? 毒?
いや、わざわざこの屋敷を買い取って招待状を送るような真似までして今更ユージーンがそんな事をするだろうか。
「“膨張”。『死に損ないの地図』」
合図の出ない違和感を確かめるべく、魔術でカナタの生死を確認する。
オルフェの手の上にはカナタの反応を示す魔力の光が灯っており、その周囲には小さな反応がいくつかあった。
(いや生きている……動いてもいる……。囲まれているようだが、実力差は歴然……一人で片付けようとしているという事か?)
カナタを示す魔力の光が動き回る。
光が強い事からどうやら薬や毒を盛られて不調というわけでもない。
「何故だカナタ……どうした……?」
屋敷で何が起こっているのか、外からではわからない。
オルフェは合図を待つか突入するか。
手の上で動き回る光を見ながら逡巡していた。
◆
……これはユージーンにとっても賭けだった。
カナタが子供であり、公爵家や魔術学院のピンチを救いに行くような善人であり、目の前の子供を見捨てないような甘っちょろい人間であるとユージーンは期待した。
そんな、相手の善性を前提とした策未満の手。
カナタの腕前が噂通りと仮定した時、他の貴族に納得いく形で勝つためにはこうするしかなかった。
それがカナタより小さな子供の奴隷を盾にする事。
もしカナタが自分の事よりも子供の事を思って動いてくれるような善人であれば勝機はある。空間を巻き込む第四域は使えまい。範囲を薙ぎ払う第三域も難しかろう。
ユージーンにとっても研究の成功例である奴隷をこうした形で出さなければいけないのは不本意だった。
だがこれしかない。外にいるであろう他の魔術師からすら、カナタに守らせる。
人間が怪物に勝つためには卑怯な手を使うしかない!
ユージーン・ジャヴァスターには野望がある。
ただ地方で研究しながらくすぶっている田舎貴族で終わる気はない。
この刻印研究を引っ提げて第二王女派閥の中心派に食い込み、やがては自分自身が器に。
足りないの実績だ。信頼だ。
それも今ここでカナタを倒せばどちらも手に入る!
「さあ、子供達と戯れる我等が敵の姿をどうぞ!」
「……っ! “選択”!」
怒りを抑えながら、カナタは向かってくる子供達を見る。
伝わってくる脅え。だが子供達は止まらない。何より悪意がない。
初めて、自分より小さな子供と戦う。
そんな現実を受け止めるには時間が足りない。
カナタは魔術を唱えるのではなく、逃げるために跳躍した。
流石に身体能力までは強化されていないのかそのまま跳んでくる事はない。
だがカナタの着地点目掛けて、子供達は変わらず突進してきていた。
「ああああああああああ!!」
「やああああああああ!!」
子供達が握るナイフと首につくこぶのような魔道具。
どうする? まずは無力化して、魔道具を破壊する?
……そうなったらこの子供達は処分されないだろうか?
自分に負けた子供達は、ユージーンにとって廃棄の対象にならないか?
目の前で、処分されないか?
「く、そ……!」
思考が切り替わらない。戦闘のスイッチが入らない。
倒すべき敵でない相手を前にして、どうにか救えないかと思考がかき乱される。
周りの貴族を狙えば?
いや……子供達を盾にされたら?
そんな思考に気を取られている内に、子供達から魔術が放たれる。
向かってくる炎と水を前にして、カナタは驚愕を表に出さざるを得ない。
「魔術を唱えずに……!?」
規模は第三域には至らない。精々が第二域。
それでも魔術名を唱えずに飛んでくる魔術は確かに脅威だ。
だがコントロールは大したことないのか、飛んできた炎と水は途中で混ざってカナタに辿り着く前に空中で相殺された。
「使用者が子供ですので安定性はまだまだご愛敬! しかし、あのような子供でも魔術を簡単に使用できるのです!」
そんな失敗ですらユージーンは司会となってこの集まりの余興にする。
彼にとってここは信頼を得る場所であり、研究の発表会場。
カナタの揺らぎも、子供達の決死も、この場を盛り上げるための薪にすぎない。
「つまり、魔道具と同じように魔力を通せば起動するという事か」
「そう考えると有用ですわね。魔術師は常に自分の魔術と魔道具で手数を増やせます」
「何より魔術を学んでいない者にも魔術を使わせられるというのがいいな」
子供達から出た魔術を見て、広間の外から見学している貴族達がそれぞれユージーンの研究について好き勝手に談笑する。
誰もこの状態に心を痛める者はいない。元からカナタ対ユージーンの殺し合いを見世物感覚で見に来た連中だ。元第二王女派閥の中でも特に良識が欠けた連中ばかりだろう。
(考えろ……! 子供達を無力化して、ユージーンを倒せればそれでいい!)
カナタは飛んでくる魔術を避けながら思考を巡らせる。
ナイフを持って向かってくるとはいえ相手は子供。カナタが躱すのに徹すれば当たるわけもない。
飛んでくる魔術も、いくら魔術名を唱えずに魔術を使えるとはいえその精度は決して高くない。
そう、ユージーンの動きを警戒しながらでも考える時間はいくらでもる。
「はっ……はっ……!」
そう考えていると、カナタに向かってきていた子供が一人転ぶように倒れた。
まだ数分も経っていないというのに息を切らしている。
カナタにはすぐにその症状の正体が分かった。
「魔力切れ……」
魔術を学んでいない子供という事は魔力もさほど成長していない。
そんな中、カナタに向けて魔術を連発していれば当然魔力切れも早く訪れる。
通常の魔術と違って魔道具を経由するのもあって魔力消費も通常より多いだろう。
そのまま倒れていてくれ、とカナタは願ったが……その子供は予想に反して、力強い瞳をさせながらゆっくりと立ち上がった。
「ユージーン様のために……頑張らないと……!」
「――」
聞こえてくる子供の声に、カナタは思考が一瞬止まる。
飛んできた魔術がカナタの肩を焼いた。
「『水球』!」
服に燃え移った火を消すついでに、盾替わりの巨大な水の球体で子供達から放たれた魔術を防ぐ。
だが服が少し燃えた事よりも、聞こえてきた言葉への衝撃のほうが大きかった。
「そうだ……ユージーン様は僕達を拾って、ここまで育ててくれたんだ……!」
「ユージーン様のために戦え!」
子供達の声に、カナタの顔が歪む。
「そうだ……みんな……! 俺達を、拾ってくれた……ユージーン様のために、ちゃんと……仕事をしないと!」
「そうだ、これが終わったらみんなでご馳走だぞ! じゃがいも食べよう!」
「デザートは……やっぱプラムがいいなあ……。そうだよ……ユージーン様が助かるんなら、頑張れる……! こんな疲れ……」
「頑張ろうみんな! 」
「うん!!」
ユージーンを慕っている子供達の声が……カナタの記憶をほじくり返す。
悪意がなくて当然だ。この子供達は純粋な心から、ユージーンのために戦おうとしている。
自分を拾って育ててくれた、ユージーンという親のために。
拾われた自分の存在意義を証明するために。
「そうか……。そうだよなぁ……」
嫌でも、数年前の自分の事を思い出してしまう。
この子供達は同じだ。戦場漁りだった時の自分と。
ウヴァルとグリアーレに拾われた時の自分と。




