201.pieceルミナ
「流石に空っぽ……予想以上に削られていたみたいね……。“虚無の孔を展開し過ぎたか……」
メレフィニスは『ヴンダーの杖』を“虚無の孔”にしまう。
ヘルメスとの戦闘の際に一回、そして今エイミーに対する失伝魔術を使って二回……たったそれだけで『ヴンダーの杖』のストックは空になった。
メレフィニスの予想以上に魔力は削られていたらしいが、想定していた脅威は全て処理した。
同時に、メレフィニスが用意していた手札もこれで全て切り終わった。
これで後はカナタの衰弱死を待つだけ。
そうすれば『トラウリヒの微睡み』を維持する魔力が必要なくなり、学院に張られている仮想領域を最終段階に進め、学院内の人間を完全に洗脳することができる。
「さて……後は公女ちゃんだけど……。ここまで手を出さなかったところを考えるとあなたは私の注意を引くためのブラフでしょう? 失伝魔術を使えない無価値な女の子はとっとと家に帰って公爵に泣きつきなさい。
その時にはあなたの知り合いは全員、私の駒になって、カナタはいないけど」
天井と壁の一部がなくなった学院長室ではもう廊下と呼べるかわからないが、廊下のほうへ避難していたルミナ達の魔力反応を頼りにしながらメレフィニスは言う。
「……」
「駄目よ……」
立ち上がろうとするルミナの袖をメリーベルが掴む。
「駄目……駄目よ……。殺される……」
メリーベルの指は震えていた。
もしかすればこの中で一番メレフィニスに恐怖しているのはメリーベルかもしれない。
「わたくし、ルミナの魔術の腕は知っているわ……。あのでかい男や聖女より全然弱いじゃない……お姉様の言う通り、失伝刻印者であることを利用した、ただの囮でしょ……? じゃあ、もう作戦は失敗したんだから……もう、逃げればいいじゃない……!」
メリーベルの忠告は至極真っ当だ。
ルミナは同年代の中では魔術がうまいというだけで、戦闘経験が一切ない。
本物の魔術師の戦闘では、先程のように援護ができる程度。
一対一で、しかも魔力を回復し切ったメレフィニス相手では瞬殺されるだろう。
相手は今までルミナより強い魔術師全員を手玉に取った格上の中の格上なのだ。
逃げるのが最善……だが、ルミナはゆっくりと顔を横に振る。
「いいえ、それはできませんメリーベル様」
「なんで……駄目よ……」
「私は皆さんを巻き込んだ張本人ですから。一緒に学院に乗り込んでくれた皆さんはカナタのために、何もできない小娘のお願いに乗っかってくれたのです。ここで私が逃げてしまうのは皆さんの決意に泥をかけるようなもの……皆さんを動かした責任はしっかりこの身で払わなくてはいけません」
エイミーさんの忠告に反してしまうのは少し心苦しいですが、と付け足してルミナは苦笑いを浮かべた。
メリーベルの背筋が突如寒くなる。
ルミナの袖を一層強く握って、ルミナを行かせないようにした。
今までの人生にはなかった、何かが喪失してしまう予感がして。
「だめ……だめ……! だめよ! 殺される……お姉様は本気でやるわ……!」
「そうかもしれませんね」
「死ぬのよ……イーサンってでかい男も聖女も、なんか、よくわからないまま消えちゃって……あんな風に死ぬのは、駄目よ……あれはもう、人間の死に方じゃない……!」
「まだお二人が死んだとは限りません」
「でも……!」
ルミナはメレフィニスがいるほうをちらっと見てから、袖を強く握っているメリーベルの手に自分の手を重ねるように置く。
「メリーベル様の言う通り、私は皆さんより遥かに弱いです。公爵家で教育は受けましたが、それでも学生の域を出ないちっぽけな女でしょう。ここに同行したのもイーサン先輩の作戦通り、第二王女を少しでも警戒させて注意を引くためだけの囮です。第二王女のような強い御方に立ち向かうには無謀にも程があるでしょう」
「なら……!」
「でもカナタは、あの時……そんな無謀を承知で私のために命を懸けてくれました」
「……!」
言われてメリーベルの声が出なくなる。
ルミナの言うあの時とは、去年公爵家で起きた事件を指していると嫌でも理解できるから。
「きっと勝算はなかったはずです。私達のように作戦があったわけでもないはずです。助かる算段があって、私を助けに来たわけじゃなかった。
それでもカナタは私のために来てくれました。宮廷魔術師を前に体を張って、術式を消されながらずっと私のために……だから私も最後までカナタのために命を懸けたいんです。皆さんと同じように」
ここまで絶望的な状況にあるのにルミナは落ち着いているように見えた。
メリーベルはゆっくりと立ち上がるルミナを見上げる。
「私は、カナタのお母さまに最後……生きてと言われました」
「え……」
「でもカナタを見ていてようやくわかりました。あの時カナタのお母さまはきっと、文字通り長生きしてくれと言ったわけじゃなかった」
カナタを見ていたら何となくわかるような気がした。
大事なのは何のために生きるか。
必死に生きる自分のため、家で待つ家族のため、見知らぬ誰かのため。
夢に向かってでも、未来で待つ何かのためでも、過去の思い出のためでもいい。
欲しいもののため、見たいもののため……死にたくないからだっていい。
生きる理由に大小はなく、その全てが尊いもの。
生きるとは、人の生き方を指す。それが毎日変わっても、ずっと同じでも。
「今の私はカナタのために生きたい。だから、ここで逃げるわけにはいきません。ここで逃げればルミナという人間はきっとそこで一度死んでしまうんです」
「ルミナ……」
「心配しないでください。死のうと思って行くのではありません。確証は全くありませんが一応、考えはあるのです。考えというよりは奇跡に縋る賭けのようなものですが……何もないよりは安心でしょう? それに、信じて、と言われたこともありますから」
メリーベルはようやく、ルミナが落ち着いている理由がわかった気がした。
自分と違ってルミナは奇跡を知っている。
カナタの母とカナタ、そのどちらにも奇跡のように命を救ってもらっているから。
だから、ルミナが奇跡を信じるのは当然だった。
「メリーベル様、最後にお願いを聞いてもらえませんでしょうか?」
「え……な、なに……?」
「エイミーさん達が第二王女と戦った情報を、届けてくださいませんか?」
「誰、に……?」
「全ての戦いを見て、届けられるのはメリーベル様しかいないんです」
メリーベルはここでルミナをどれだけ引き留めても無駄だと悟った。
ここから全てが好転するには奇跡でも起きなければ不可能。
ルミナは最後に残った責任と奇跡を前提に今からメレフィニスという怪物に挑む。
あまりに無謀な敵討ち。そして奇跡を信じるだけの無謀な賭けなのでは。
「メリーベル様には、お姉さんを裏切らせることになってしまって心苦しいのですが……頼れる人がもう、あなたしかいないんです」
「……!!」
ルミナは申し訳なさそうにしながらそう言った。
その口から出た言葉が信じられないかのようにメリーベルの瞳に涙が滲む。
言ってくれた。自分のことを頼れる人と。
それは消去法で仕方なく残ったものを選ぶような妥協かもしれないけれど、後悔に苛まれていたメリーベルにとって何よりも嬉しい言葉で。
メリーベルは肩を震わせながら、ルミナの手を人生で一番力強く握った。
「届ける! 必ず届けてあげる!! ここで起きたこと全部!! 絶対に!!」
「メリーベル様……」
メリーベルはずっと喉奥で引っ掛かっていた言葉を涙と一緒に引っ張り出す。
恨まれても、許されなくてもいい。
言う資格がなくても、自分はこう言わなければいけないとメリーベルは口にした。
「だってわたくし……ルミナの友達だもの!! あなたが奇跡を願うなら、わたくしも最後までその奇跡を信じてあげる!! ここで見たこと全部届けてあげる!! 光栄に思いなさい! この第四王女メリーベルがこの名に懸けて、あなた達の戦いをあいつに届けてあげる!! だから、安心して……いって、らっしゃい……!」
「頼もしいです、お願いしますね」
強く握っていたはずの手がするりとほどける。
二人の手は離れたはずなのに、見えない何かをようやく結べたような気がした。
「あの時はごめんなさい、ルミナ」
そう思ったからか、すっとメリーベルの口から謝罪の言葉が出てきた。
今まで会うのを避けていて、言うタイミングもわからなかったのに。
自分が泣くのは違うと涙を拭っていると、ルミナは一度だけ振り返った。
「ありがとうメリーベル!」
ルミナはその謝罪に笑顔で応えて、まるで新しい門出のようにメレフィニスへと向かっていく。
――ああ、ルミナは見つけたんだ。
そう思ったらメリーベルも立ち上がることができた。
情けなく震える足でも、誰かのためなら動かせるのだと初めて知った。
だって、ルミナも少し震えていたのだから。




