195.pieceイーサン3
メレフィニスとイーサンが対峙する中、ルミナ達は意識をなくしたリメタを必死に部屋の外へと引っ張って動かす。
エイミーは部屋から離れたところまで運ぶと、リメタの腹部に手を向けた。
「すぐに治癒を……!」
「駄目ですエイミーさん、治癒してまた襲ってきたら水の泡に!」
聖女という立場だからか、すぐに治癒魔術をかけようとするエイミーをルミナは制止する。エイミーも言われて、はっ、と気付いたように手を引っ込めた。
「そ、そっか……ごめんルミナ……」
「いえ、エイミーさんは聖女ですから仕方ありません……。それよりもイーサン先輩の戦いを見届けましょう……。エイミーさんが鍵ですから……」
「ええ……!」
「お姉様が……自ら……」
ルミナとエイミーは作戦通り、イーサンの戦いを見守ろうと目を凝らす。
そんな中、ついてきたメリーベルはメレフィニスに脅えるように体を震わせて膝を抱えていた。
「まずはカナタを解放しろ第二王女」
「それをするために私のところに来たんじゃないの?」
こつ、こつ。
歩く音でさえ、夜が鼓動しているのかと錯覚する。
その女はさながら夜を司るかのよう。
冷たさも、眺めたくなるような美しさも、本能が叫ぶような恐怖も。
イーサンへ歩いてくる女はその全てを持っている。
「カナタくんを助けるために私を殺しにきたんでしょう? いい勘をしているわね。『トラウリヒの魔道具』は使用者の魔力と繋がっている……確かに私を倒せれば、カナタくんは解放されるわ」
「ああ、“起動”の加筆詠唱をしていたからね」
「ふふ、そうね」
イーサンは腕から流れ出る血よりもメレフィニスの一挙一動を注視する。
先程のリメタとの戦闘で受けた傷の痛みや血が服に滴る不快さよりも、メレフィニスの何てことのない指先の動き、流れる視線、口から発する一音一音が脳内で警告を発していた。
しかし、危険に思いながらもその動きの優雅さに見惚れてしまいそうになるのは魔術の影響か。
「でもでっかい先輩、あなた大丈夫なの?」
「第二王女に心配されるとは光栄だね」
「だって、あなた外の三人と違って私の魔術に完全に抵抗できているわけではないでしょう? 私を尊敬する気持ちが、あるんじゃなくて?」
「っ……!」
「このまま私の仮想領域にいたら、私の手駒になるわよ?」
完全にイーサンの状態はばれている。ゆえに否定することもできなかった。
だがそれでも。そこを突かれても、イーサンは強がりとは違う笑いを見せる。
「リメタ先生とカロスロットみたいにしないと、恐いのか? 第二王女?」
「いいえ? そのまま大人しくしてくれたら、いいサンプルになるのにと思っただけよ」
次の瞬き一つの間に、メレフィニスの纏う空気が変わった。
イーサンは全身から冷や汗を流しながら身構える。
「『恐れる者達』」
「!?」
足下の影から伸びる黒い手。
自分の得意魔術である『黒犬の鎖』のような闇属性魔術。
メレフィニスを注視していたからこそ、イーサンは一瞬反応できない。
足首は捕まれ、大小違う手が虫のように足から這い上がっていく。
イーサンがその魔術を確認するより早く、
「『常闇の波濤』」
数え歌でも歌うかのようにメレフィニスは魔術を連続で唱えていた。
メレフィニスの背後で黒い魔力が盛り上がり、そのまま動けなくなっているイーサンに襲い掛かる。飲み込まれればどうなるか。
部屋を満たす勢いで向かってくる黒い魔力の規模は明らかに第三域。
敵を拘束して大規模攻撃で圧殺……あまりに単純な組み合わせだが、意識の隙を突くような構築速度がまるで二つの魔術を同時に唱えたかとすら思わせた。
(普通、二人以上の魔術師でやる戦法だろう!!)
イーサンは這い上がってくる黒い手を無視して拳を前に突き出した。
「『駆ける嵐狼の狩牙っ!!』」
自分に向かってきた黒い魔力を拳から放った嵐が吹き飛ばす。
黒い魔力は割れたようにイーサン以外を飲み込んで、メレフィニスは感心したように笑った。
後ろの壁に叩きつけられ、音もなく砕け散った本棚が飲み込まれた場合の末路を容易に想像させる。
「あら、さっき猫ちゃんにあれだけ魔力を込めていたのにまだ頑張るのね」
「くっ……!」
この魔術はイーサンが使える中で最強の威力を持つ。
本来ならば連発していい魔力消費ではないが、それでも連発せざるを得ない。
あろうことか、イーサンが誇る第三域の威力とメレフィニスが涼しい顔で放つ第三域の威力はほぼ互角なのだ。
「『冥沼』『黒泣之娘』」
「『黒犬の鎖』!!」
お互いの影を使った闇属性の魔術の撃ち合い。
メレフィニスは第二域を二つ、イーサンが一つ。
決してイーサンが魔力を温存しているわけではない。
(速すぎる——!)
単純に、その構築速度にイーサンが追い付けない。
互いの魔術の魔力量に大した差はないが、術式への理解度が突き放されている。
影に足を取られて体勢を崩し、女の形をした黒い塊が鎖を絡めとる中……イーサンは一瞬たりともメレフィニスから目を離さなかった。
――目を離したら持っていかれる。
致命的な魔術の気配だけ逃さないようにとイーサンは全神経を集中させた。
「『飢える夜禽の羽搏き』」
「え……」
次の瞬間、イーサンの体が肩から腰にかけて斜めに切り裂かれた。
魔術の発生はイーサンにも見えた。メレフィニスが無造作に動かしたかと思えば目の前が黒く光り……次の瞬間にはイーサンの体にその魔術が到達していた。
見えても、対処ができない。勝敗を分けたのは単純な技量の差だった。
「あら、意外に難しい……斬撃は四つのはずなのに逆に減ってしまったわ……。威力も上がっていないし……カナタくんにあれだけ魔術を見せてもらってこんなに中途半端だなんて、何かコツでもあるのかしら……?」
イーサンの視界が自分の血で塗れる中、メレフィニスの不満げな呟きが聞こえてくる。
メレフィニスにとってこの戦いは外敵の排除ではなく、実験に過ぎないのだと知ってイーサンは絶望した。
(格が……違う……)
最初からわかってはいた。相手の魔術領域は第四域。対してイーサンは第三域。
わかっていたはずだが、あまりにも大きい隔たりだった。
今の数手のやり取りはメレフィニスにとってはただの魔術の練習。
実力の一端すら引き出せずに、自分はここで敗北することを悟る。
……無意味だった。
やはり、自分のやることは無意味なのだとイーサンはその場に崩れ落ちてしまう。
「イーサン先輩!!」
「……!」
背後から聞こえてきた仲間の声にイーサンは踏み止まる。
床に膝をついたところで、ぐらつきそうになった体を記憶が支えた。
そのまま倒れこんでしまったほうがきっと楽だ。
けれど……カナタに救われた記憶がイーサンに最後の力を振り絞らせる。
「ぐっ……ぬああ……!」
「あら、まだ戦意があるのね……その魔力量ならもうろくな抵抗もできていないでしょう……? そろそろ洗脳されてもいい頃だけど……」
「ああ、ばっちりかかっているよ……メレフィニス様」
「……なんですって?」
そう言って、イーサンはメレフィニスに向かって走り出した。
やけになったと罵れ。いくらでも見下して馬鹿にしろ。
これは意地だと、認識を書き換えられる中で最後に残った記憶が突き動かす。
攻撃してはいけないと偽りの敬意が体を動かす邪魔をする。
「黙れ……!」
攻撃してはいけないと偽りの記憶が意思を抑えつけようとする。
「黙れ!!」
それでも、あの日の恩義があの女を倒せと突き動かす。
「カナタを解放しろ……! カナタを!!」
このまま突っ込んでも自分は死ぬ。誰でもわかる馬鹿らしい特攻に過ぎない。
けれど、カナタを助けるための自分の役割はメレフィニスの魔力を削ること。ならば最後までとイーサンは吠えた。
「おおおおおおおおおおおおお!!」
「私の魔術の影響下にいながら私に敵意を……?」
命のほうが大事? こんな事をしてもカナタは喜ばない?
知っている。きっとこれは無意味な愚行なのかもしれない。
それでもあの日、魔道具から解放された時の記憶がイーサンを突き動かす。
カナタは見て見ぬ振りをしてよかった。見捨てても誰も責めなかった。
学院に徘徊する噂の怪物など、関わる必要はなかったのに救ってくれた。
あんな善良な少年が……味方からの忠義や敬意を踏み躙るような女の理想に殺されるなどあってはならないと。
「約束したんだ! 君の味方になると!!」
血を振り撒きながら突進する自分はさながら動く死人だろう。
この姿を見れば子供は泣き、大人でも悲鳴を上げ、怪物と罵倒しながら石を投げてくるかもしれない。けれど。
「カナタを救えるのなら僕は醜い怪物でいい!!」
絶叫しながらイーサンはメレフィニスに血塗れの手を伸ばす。
これで勝てるはずがない。けれど先程倒れることを選ぶよりも、カナタを救える可能性がほんの少しだけ上がるかもしれない。
自分の後に続くカナタの味方をほんの少しでも助けられるのならこれは負けにならない。メレフィニスを誰かが倒せば、勝利の過程へと変わる。
「へぇ」
メレフィニスの目の前まで迫って、イーサンは拳を握る。
全ての魔力。渾身の力。今つぎ込める全てを込めて――!
「『駆ける嵐狼」
「興味深いわ」
そんな覚悟を嘲笑うかのようにメレフィニスは呟いて、同時に空間が割れた。
丁度イーサンのサイズに開いた、どこに続くかもわからない黒い穴が。
「!?」
「虚無の孔の中にしまっちゃいましょう。私の仮想領域に抗える人なんて、今後の参考になりそうだもの」
メレフィニスはイーサンの迫力など意に介さず歩み寄るように前に出た。
全霊を込めたイーサンの突進は止まらない。空間に開いた黒い穴はメレフィニスに追随するように一緒に動いて突き出された拳を中に飲み込み、そのままイーサンも中へ中へと吸い込まれていく。
「イーサン先輩!!」
「ああ……」
イーサンが自身の終わりを悟る中、最後に見えたのはエイミーがこちらに向かってくる姿。
歩くよりも早く浮遊で近付きながら手を伸ばしているが、流石に距離がありすぎる。間に合うはずもない。
それでも、イーサンは微笑んだ。
「後は頼んだ」
「……っ! 任せなさい! 必ず!!」
「頼む。カナタを、僕の恩――」
メレフィニスが“虚無の孔”と呼ぶ黒い穴は閉じるように消えていった。
イーサンの声は閉ざされて、もう何も聞こえない。姿もない。
エイミーが伸ばした手は何もつかめず、ただそこにあった空を握った。
「でっかい先輩は私の手の内を探って、魔力を消費させるための捨て駒でしょう? それで本命は? 公女ちゃん? 聖女ちゃん? まさか、一度もこちらを見ない妹ちゃんじゃないわよね?」
「ひ……!」
自分の存在を認識されていることに恐怖したのかメリーベルは部屋の外で怯えを見せる。
メレフィニスの視線はすぐに部屋の中央で無力を実感する少女へと向けられた。
「『影を滅せよ』っ!」
部屋の中央で漂うエイミーが握り拳を作ったままメレフィニスを睨む。
深みのある緑の瞳が最大の敵意を湛え、唱えた魔術はメレフィニスへと放たれた。
「今度は私が相手だ第二王女!」
「怖い怖い。どこで覚えたのそれ?」




