164.女子寮の一幕
「集中は出来てるけど、漠然としてるのよねあんたは」
「というと……?」
「自分の中にある術式に集中できてないっていうか。集中することが作業になっちゃってるみたいな。魔力のコントロールに気がいっちゃってるように見えるわ」
「そうですか……」
ラクトラル魔術学院にいくつかある女子寮の一つ。ルミナの部屋にはパジャマ姿のエイミーが訪れ、ベッドに寝そべっていた。
ルミナは肌触りのいいシルクの、エイミーはフリルの付いた少し子供っぽい白のパジャマだ。色合いはほとんどお揃いだが、印象は大きく違う。
夏季休暇が明けてからというもの、二人は毎夜毎夜カナタには秘密で互いの部屋に通い合っている。
その理由は同年代のお友達同士でわいわい……というのとは少し違う。自分の中に刻まれている術式の力をルミナが少しでも使えるように、失伝刻印者としては先達のエイミーが指導するためだった。
「失伝魔術の欠片って、漠然と魔力のコントロールをして偶然……とかだと駄目なの。しっかりそこに術式があることを意識しないと反応すらしないと」
「魔道具のようなやり方では無理ということですか……」
「えっと、そうね……。あ、ほら、第一域の魔術の教本あるじゃない? あれって親切に術式自体が載ってるけど、あれにてきとうに魔力を通した所で魔術が出たりしないでしょ?」
「ただそこにあるだけでは駄目ということですね……魔道具の固定術式とは違って、魔術である以上は使い手の認識と具体的なイメージが合致していないといけない……。効率を求めて体に魔力を循環させては逆に……ですが、しらみつぶしとなると私の魔力量を考えたら時間が……」
ぶつぶつと集中して模索するルミナ。
その様子が思い詰めているようにも見えたエイミーはベッドから起き上がって横に座る。
「る、ルミナ……そんな焦らなくてもさ……」
「……もっと早く焦らなければいけなかったんです」
魔術とは学問であり、技術であり、使い手が望む現実にしたい想像。
そして術式とは魔術の起動をスムーズに、そしてイメージをより固定化して安定させる魔術の生命線だ。
ゆえに、術式の欠片から魔術を読み取るというのは燃やされた本の切れ端から物語を完璧に再生するようなもの。魔術師としての英才教育を受けているルミナには……いや英才教育を受けてきたからこそ、その壁は高く見える。
その壁にぶつかるどころか、前段階で躓いているのだから焦るのも無理はない。
……こうして考えているだけで、カナタがどれだけ凄まじいことをやってのけたのかルミナは思い知る。
カナタが宮廷魔術師デナイアルと繰り広げた死闘の最後……公爵家に伝わる詠唱でルミナ自身が先導したとはいえ、カナタは迷う様子もなく失伝魔術を読み取り、そのまま唱えてみせた。
失伝刻印者である自分ですらこの段階で迷い、見当もつかない状況だというのに……カナタはあの一瞬で自分の中に何を見たのか?
「カナタ……」
カナタのことを考えて、ルミナは思いつく。
「カナタなら……私のどこにあるのか、知っているかも……?」
「は? 何でカナタ?」
「え? あ……」
当然だが、隣ではエイミーが怪訝そうにしている。
あの場で起きたことはルミナ含めて、数人しか知らない。さらに言えば実際にその場にいたのはカナタとルミナだけで、父のラジェストラに話した時も最初は信じなかったくらいだ。
今のつぶやきをエイミーにどう説明すべきか、ルミナは迷う。
「ああ、あいつが魔術滓の術式の欠片を読み取れるからってことね……でも流石に失伝魔術は無理じゃない? 私達は魔術滓じゃないし」
「え、と……どうでしょう……?」
「そんなことができたら、私の失伝魔術だって読み取られちゃうじゃない。いくら身代わりの失伝刻印者とはいえ、トラウリヒの失伝魔術が他国の魔術師になんてことになったら流石に偉い人が出てきちゃうわ」
「私もカナタの力についてはよく知りませんが、カナタも出会った魔術全てを習得できているわけではないので……何かしらできないものはあるかもしれませんね」
「まぁ、やっぱそうよね」
ルミナは図星を突かれて内心ぎくっ、としているがそこは貴族。
しっかりと平静を装うことができており、それ以上カナタについて追究されてもいいよう鉄壁の姿勢で備える。
公爵家生まれで培ったこの自然な表情はカナタ以外には崩せまい。
「そういえば聞きたかったんだけど、カナタってあんたの婚約者なの?」
「へえ!? はえ!?」
……どうやら正確にはカナタとカナタの話題以外では崩せない。
つまり、今この瞬間ルミナの鉄壁は崩れた。時間にして五秒程度しかもたなかった鉄壁は恋心というコントロールできない熱に溶かされ、一瞬にしてルミナの表情はふにゃふにゃに変わった。
「な、なな、な、何を……そんな……」
「あ、違う? 失伝刻印者の側近で男女の組み合わせだったからてっきりそういうことなのかなって思ったんだけど……?」
「ち、違います! ほ、ほほ、本当にそういうのはなくて! おとう、御父様は、周りにそう見させるためという意図があるみたいですが何かが決まっているわけではなくて!」
「うわ、急に早口……何慌ててんの?」
ルミナがこれだけわかりやすい反応を見せても、エイミーは勘付く様子すらない。
扉近くで座っているエイミーの側仕えシグリのほうをちらりと見る。エイミーと違ってシグリは察したように頷いていた。
改めて、聖女への教育はよほど偏っていたのだと知る。教会では夫婦を見ることもあったろうに。
「……でも、好きなんですカナタのこと」
「ふぇ……?」
そんなエイミーを見てか、ルミナは自分の気持ちを隠さず口にした。
最初の印象こそ悪かったが今は名実共に友人同士……裏決闘場の事件以降は横暴な態度も理不尽な要求もなく、失伝刻印者についても毎夜根気よく教えてくれている。
エイミーの偏った環境を利用して、都合よく隠し事をするのをルミナは嫌った。
カナタのことは話せないが、せめて自分の秘めた思いを共有するくらいはと。
「え、え、ほ、ほんと? そういう、感じ?」
「はい……」
「顔が赤いのって照れてる……から?」
「は、はい……」
「カナタのこと、異性として好きってわけ?」
「そう、です……」
「こ、婚約者じゃないのに……好きになっちゃった、の?」
「はい……」
思春期の少女にとっては拷問のような羞恥責めもルミナは耐える。
二人きりならともかく、側仕えのコーレナとシグリもこの会話は聞いているのだ。
「こ、こ、こ……」
一通り質問し終えたかと思うと、エイミーは目を輝かせてルミナの手を取った。
「これって恋バナってやつ!? わっは! やったやった! 私そういうの憧れてた!!」
「わ、私が一方的に言っただけですが……」
「いいのよそこは! 私には婚約者なんていないし! ちょっとこっち向きなさいあんた!」
「……?」
言われた通りルミナがエイミーと向かい合うようにすると、エイミーは先程までの興奮冷めやらぬ様子から一変して……穏やかな表情を浮かべた。
すると自分の額に手を当てて、次にルミナの額に触れる。次に胸に手を当てて、またルミナの胸にそっと手を置く。
「我らが届かぬ場所におわすデルフィ神よ。どうかこの娘を見守り下さい。変わらぬ思いを愛し、尊び、敬い、護り、聖女の名の下に御心の欠片をここに。どうか彼女にデルフィ神の加護と祝福があらんことを」
「エイミーさん……」
短い祈りを終えると、エイミーはにっと笑う。
「どう? 簡単にだけど、トラウリヒの聖女直々のお祈りよ! きっと効くわ!」
「はい……ありがとうございます」
「届くといいわね、カナタに」
「そのために、もっと頑張らないといけません」
不意打ちのように垣間見えた聖女らしさに驚きながら、ルミナは笑顔で返す。
少し肌寒い夜を温めるような一幕だったが……突然、横やりを入れるように窓の方から何かが聞こえてきた。
どこか遠くで人の声とは違う、水が弾けるような音。
「何だろ今の音……?」
「爆発……とは少し違うようですが……?」
「ま、学院長がいる限りここは大丈夫でしょ。誰かが実験でもしてたのかもね」
「そうかもしれませんね……後期の課題でみなさん焦っているでしょうから」
それが仮面の女の魔術をカナタが相殺させた音とは気付くわけもなく。
再び失伝刻印者としての練習を行った後、今夜は互いに一緒にいたかったのか二人は同じベッドで眠りについた。




