156.世界はほんの少しだけましに
「……」
カナタ達が町から旅立った後、一人の男は釈放された。
取引をちらつかせるまでもなく行われる情報提供、他が嘘の情報をばら撒く中たった一人だけ真実しか言わず……全て洗い出すのは難しいと思われた事件の詳細が明らかになり、事後処理が円滑に進んだことでその協力的な姿勢が評価された。
言い渡されたのはチェスティの町内のみでの行動制限、一年の観察処分、そして自警団に加わっての囚人労働。
かつての仲間が牢獄に入る中、かなり恵まれた処遇だと言える。
それが逆に、男を苦しめた。
「……」
そのままいなくなってしまいそうな。
そのまま消えてしまいそうな。
そのまま、死んでしまいそうな。
子供が遊び走る声、大人達の豪快な笑い……今日も楽し気なチェスティの町において、そんな顔をしながら俯いているのはこの男だけだろう。
やつれた顔をして歩く男――ネットルは罰を受けたかった。
依頼された仕事をただこなすだけだった時のことはもう思い出せない。
仕事だからとぎりぎり割り切れていたものも、この前の出来事で砕けてしまった。
非道な依頼は依頼者のもの。貴族の醜悪な願い。
仕事だからと汚い仕事はしていても罪悪感を感じることはなかった。
恨むなら依頼主を恨んでくれ。自分達はただ仕事をこなしているだけだ。
そんな逃げ方も、もう出来ない。
自分達は水賊の誇りすら忘れて、ただ私欲のためにあの女を攫ったのだから。
「あのまま……せめて……殴ってくれれば……」
あの子供も純粋過ぎた。使用人を攫ったというのに何故見逃したんだと……おかしな話だが、ネットルの中に憎しみにも似た怒りが湧いてきた。
何故こんな男を生かそうとしたんだ。自分はあのまま殺されてもおかしくない悪人だ。
悪人を見逃すなんて何をやっているんだと、カナタに見逃されたことを憤る。
容赦なく魔術を浴びせ、動かなくなった自分の顔を蹴り飛ばすくらいしてもいいだろうに。
ネットルは拳を強く握って、吐き捨てるように言う。
「何が、ありがとうだ……!」
……ネットルは罰を受けたかった。
罰を受けさせてもくれないカナタに憤っている。
何故自分は今、歩けているんだ。
「あははははは!」
「きゃー!」
「……」
自分は子供達と同じ道にいてはいけないとすら思う。
そう思っていたからか、ネットルは前から走ってくる子供に道を明け渡すように端に寄った。
横を通り過ぎる子供達の笑顔があまりに眩しい。
黒々とした自分の目が潰されそうだ。
「あうっ!!」
「だいじょぶー!?」
ネットルの横を通り過ぎた子供は転んでしまったようだった。
背中から痛がる声と心配する声が聞こえてくる。
「う……うえ……! ぐすっ……! ああああん!!」
「わ、わ……!」
子供の泣き声が聞こえてくる。
もし自分がどんな人間かばれれば、あんな風に泣かれるのだろうか。
そんな事を考えながら立ち去ろうとすると、ふと頭をよぎる。
"ルイが拾ってくれた命なんだから、大切にしてくださいね"
それはあのカナタという子供が去り際に言った言葉だった。
怒りをぶつけられたわけではなく、むしろ諭すようだったのに胸が痛んだのを覚えている。
"大切にしてくださいね"
繰り返し聞こえてくる言葉にネットルは顔を上げた。
……大切にしてくれ、というのはどういう意味なのだろう。
改心しろ、とか。出頭しろ、とか。罪を償え、とか。
自分のような悪人に言う言葉はこんな風にもっと色々あるだろうに。
"引き返せるかな"
ネットルはそう聞いた。
"ルイが拾ってくれた命なんだから、大切にしてくださいね"
カナタはそう答えた。
「ああ……そう、いう……ことなのか……?」
命を拾われたんだから、大切にしろということか?
大切にしろというのは、命を粗末にするなという意味ではなく……これからを大切に生きろという意味だとしたら。
「都合のいい……受け取り方でも……」
問い掛けに答えてくれているじゃないか、とネットルの視界が滲む。
都合のいい受け取り方でもいい。事実、自分はあの子供の言葉に今――救われている。
ネットルは涙を拭うと、躊躇いがちに立ち去ろうとした道を引き返す。
振り返るとそこには、勢い余って転んだ男の子とどうしたらいいかわからずただおろおろとしている女の子がいた。
「うええええ……ん?」
「おい坊主……」
ネットルは転んだ男の子の傍まで歩いて行って手を伸ばす。
「だ……大丈夫か?」
何を今更という声が聞こえる気がする。
ただの自己満足だと罵ってくる声がする。
ああ、わかってる。引き返した気になっているだけだとネットルは自嘲した。
自分にはそんな資格はなくて、手を伸ばすのすら躊躇ってしまっている大の男の情けない姿。
引き返した先にある道に足の指先を踏み入れただけだけど。
多くの人間がとっくの昔に歩いているなんてことない道だけど。
それでも、一歩。
「ありがとう! おじちゃん!」
拾われた命に胸を張れるように。手を取ったこの温もりに恥じないように。
この一歩から――ここからまた、始めよう。
いつもお読みいただきありがとうございます。
これにて第六部「二人の距離」終了となります。戦闘や魔術などがほぼなく、カナタの在り方や周りの人達が何を思うかというのがメインの箸休め回でした。
お話の関係上、一区切りがついているわけではないので時間を置かずに明日第七部プロローグの更新をします。これからも応援よろしくお願い致します。




