153.二人の距離2
「あんたも仲間か」
「ぅあ……」
夜よりも黒い瞳が起き上がろうとするネットルを睨む。
カナタの背中から伸びる黒い腕がネットルの首に向かっているのを見て、ルイは慌てて声を上げる。
「待ってくださいカナタ様! その方は私を庇って下さいました!」
「庇った……?」
「はい! 仲間のやり方に反対していたのか危険を承知で庇って下さいました! 同じように攻撃するのはどうぞおやめください!」
上擦った声でルイが言うと、カナタの動きがぴたっと止まった。
言われてみれば攻撃していないのに、起き上がるその体はふらふらだ。
つまり、この部屋に敵はもういない。ようやくカナタの怒りが薄まるのをルイは肌で感じた。
「ルイ! 大丈夫!?」
「は、はい……」
「ありがとうございますカナタ様……ですが……」
怒りが消え、心配そうに駆け寄るカナタにルイは一瞬だけ頬を綻ばせる。
すぐにルイの両手両足を縛っていた縄をほどいて、ようやくルイは解放された。
ピンチの間際、助けに来てくれた自分の主人……内心は嬉しくて仕方ないが、自分はカナタの側仕えなのだと言い聞かせて感情を一時だけ押し殺す。
「何故、何故来てしまったのですか!?」
「え……?」
ルイはせっかく両手が自由になったのに胸元を隠そうともしない。
それよりもカナタに伝えなければいけないことがある。
「私を攫ったのがあなたを狙った罠だったらどうするんです! あなたは外から見たらもう気まぐれに拾われた養子ではなく、特別な魔術師なんですよ!? もう少し慎重になってください!」
「え……る、ルイ……?」
「今回の一件は私の不注意……油断が招いたもの。たかが使用人一人、どうでもいい女の命です! 罠であろうとただのごろつきの仕業であろうとも、ラジェストラ様が権力を使えば解決したはず! あなたがこうして危険を顧みず乗り込む必要はありません!!」
ルイはカナタの両肩を掴み、視線を合わせて叱るように声を荒げた。
カナタはもう、事情を知る者にとってただの子供ではない。
公爵家を救った貴族としての功績に、学院でも一位をとった魔術の腕。
もうただの子供だと油断される時期は過ぎている。元平民だからと鈍感でい続けていいわけがない。
カナタにこれから必要なのは貴族としての気構え、振る舞い、そして自分自身を高く見積もること。
使用人として、一人の人間としてルイはカナタのことを考えない日はない。
「自分がどれだけの人物なのかいい加減、自覚をしなければ。私のようななんのとりえもない女があなたの弱みになってはいけません。あなたは今、公爵家の側近なんです。公爵家のためならともかく、たかが自分の使用人一人が消えたくらいのトラブルなど毅然と待つくらいでいいんです」
――カナタはこれからどれだけの人を救うだろう。
まだ子供であるカナタの未来を、ルイは誰よりも信じている。
二年前に自分を救ってくれた自分にとっての小さな王を。
だからこそ、思う。
自分はいつまでこの御方を支え続けることができるだろう。
カナタは誰よりも遠くへ走っていく。真っ直ぐ、真っ直ぐ。
つい最近まで使用人としての気構えもなければ長く務めて滲み出る品格もない自分では、途中で置いて行かれるのは明白。
それでもいつかの別れの時まで支えよう……けれど決してこんな風に、自分のことで余計な弱みを作りたくはない。
「こんな女のために……あなたを失ったら、どうするんです……!」
自分が理由でカナタの未来が閉ざされることなどあれば。
体を穢されるよりも、そちらのほうがルイにとっては恐怖だった。
カナタが来てくれた事は何よりも嬉しい……けれど、もう捨てることも覚えなければとルイは思う。
自分の価値と救う誰かを比べなければ。自分のような石のために、カナタという宝石が傷ついてはいけないのだ。
「カナタ様、捨てなければいけないことだってあるんです」
「……」
「あなたはもう周りの誰にとってもかけがえのない人なんです、自分の価値に自覚を持ってください」
確かにルイの言う通り、今回の一件はラジェストラが解決できることだった。
今頃ラジェストラは衛兵を連れてこの区域を管理するアブデンドーク家の邸宅から話を聞き出し、この場所へ水賊を制圧しようと計画を立てているだろう。
「好き勝手、言わせておけば……!」
だが、カナタがそんな理屈で納得するはずがない。
カナタは再び怒りを露わにしながら、両肩を掴んでいるルイの手を掴む。
先程ドーディに向けていた冷たさとは違う……温かい怒りの目がルイを睨んだ。
「どうでもいい女!? なんのとりえもない!? ふざけんな! 俺にとってルイは大事だよ! かけがえのない人だよ!」
「怒られたからってただの使用人をそうやって!」
「ただの使用人だと思ってるのはルイだけでしょ! 俺にとってはただの使用人じゃない! 一番の味方になってくれる人だって言った!!」
感情のままカナタが自分のことを大切に思ってくれるのが伝わってきて、ルイはつい口元をによによとさせてしまう。
使用人として主人の軽率な行動を諫める……側仕えならばそうすべきだと非情に接したはずなのに、真っ直ぐな言葉が容赦なくルイの心に叩きつけられた。
「何が捨てるだ……! 俺に捨てろって言ったのか……!」
「カナタ、様……?」
ルイの手をぎゅっと、手放さないように強く握る。
頭の中には過去が浮かんだ。戦場漁りだった時のことが。
「たとえルイが自分のことをごみだなんて言っても、周りの人が何を言ったって俺は捨てない……! 俺にとってはごみじゃない! どうでもよくない! こうしてまた拾いに来る……俺が、俺の手で何度だって!!」
ごみだと言われても拾い続けた魔術滓。それは戦場で生きていたカナタにとっての光。
ルイの言葉は自分を低く見積もりがちなカナタにはいつか言わなければいけないことではあった。
少しの理性が自分のためを思っての言葉だと理解しても、全て受け入れることなどできない。
「何を言われても……生き方は変えない。わかったら大人しく助けられてろ」
――それはカナタの生き方ではないから。
善悪じゃない。不要必要でもない。ただほしいから拾う。
ごみと言われても自分にとっては大切だと魔術滓を拾い続けてきた……そんなカナタが自分と関わってきた好きな人達を捨てるはずがない。
カナタの強い意思がこもった瞳は声と共にルイを撃ち抜いて、
「は、はひ……」
もう側仕えとして、などという固い意志は溶けてふにゃふにゃになっていた。
つい勢いのまま頷いてしまったことに気付いた時にはもう遅かった。
カナタは有無を言わせず、ルイに肩を貸す。
「立てる? 胸元は後で隠さないとね」
「こ、腰が……」
「腰!? 痛い!?」
「カナタ様のせいで……腰が抜けました……」
「あー、もう大丈夫そうか」
「ああ! ほんと! ほんとですからこのまま肩をお貸しください!!」
カナタがルイを連れて部屋を出ようとすると、その背中に声が掛かる。
「お、おい……俺を放っておいていいのか! 捕まえておけよ! いつドーディみたいにあんたらに襲い掛かるかもわからないんだぞ!」
「ネットルさん……」
ネットルは起き上がって両手を大きく広げた。
それはまるで罰を求めているようで、襲い掛かるかわからないと言っておきながらその場から動くことはなかった。
カナタはその声に振り返って言う。
「ルイを庇ってくれたんですよね、ありがとうございます」
「っつ!! 違う……違う違う違う! 俺が、攫ったんだ……! 攫ったんだよ……! 俺が攫っちまったんだ!! 俺なんだよぉ!!」
カナタからお礼を言われた瞬間、ネットルは顔を歪ませながら崩れ落ちる。
涙交じりの声には後悔が混じっていて、カナタからの礼の言葉は一番の罰のように見えた。
「……父が今頃、あなたの仲間を捕えているはずです。あなたも父に捕まって……後はこの町で起きてた事件について調べている人がいるので、洗いざらい話してくれたら嬉しいです」
「ま、待て……待ってくれ……!」
それだけ伝えたカナタが部屋を出ようとして、ネットルは縋るように手を伸ばす。
カナタは足を止めて、もう一度振り返った。
ネットルはカナタに待つよう言ったものの、何を言いたいのかわからなくなってしまった。
罰を求めているのか、後悔を吐きだしたいのか、それとも――
「引き返せるかな」
「え?」
「こんなどうしようもない人間でも……引き返せると思うか……?」
無理と突き放されるのを求めていた。
けれどカナタはそんなに優しくはなくて。
「ルイが止めなかったら、俺はあなたに……何をしてたか」
「ああ……」
「ルイが拾ってくれた命なんだから、大切にしてくださいね」
一番厳しい言葉を残しながら一礼すると、その場を後にした。
少しして部屋に来たシャトランに、ネットルは抵抗することなく捕まった。




