152.私の王
「へぇ、四年もこの町に……」
「ああ……最初はただ仕事のつもりだったんだがな……」
目覚めてから数時間、ルイは自分を攫った男ネットルと言葉を交わしている。
我ながら意味のわからない状況ではあるがネットルからは何故か悪意を感じず、他にいたであろう仲間を呼ばれるよりはましと話を聞き続けている内に、何故かネットルのほうが悩みを打ち明けていた。
「この町の人間は……なんというか、警戒心がなさすぎる……。仕事で訪れてると言えば、試飲だなんだと酒を勧めてくるくる……。最初はな、ちょろい奴等だと思ってたさ」
「田舎のほうはそういう傾向にありますね」
「町の半数が獣人ってのも相まってな……味方と思い込んだ連中にはとことん甘い奴等だ……こっちはただの水賊で、これからこの町で何をしようとしているのかも知らないってのによ……」
ネットルはまるで懺悔をしているようだった。
ここが教会なら聞き届けてくれる神もいただろうが、生憎目の前にいるのはただの使用人である。
「そう思ってるのに子供達を攫ったり、事故に見せかけて大人達を殺してたんですか……最低ですね」
「ああ、仕事だからな……俺は水賊だ。雇われたからにはやるさ」
「まるで職業みたいに誇りますね」
「当たり前だ。そうやって生きてきたものを、自分だけでも誇らないでどうする」
「……じゃあ、私を攫ったのも仕事なんですか?」
ルイの問いにネットルは言葉を返しては来なかった。
薄暗い部屋だったが、ネットルの表情はまるで刺されたかのように歪む。
両手両足を縛られているのはルイのほうだというのに、まるでネットルのほうが何かに縛られているようだった。
「あんたは……はっきりと言うなぁ……」
「日々、主人への忠誠と愛情をお伝えしていますから……昔はもっとひねくれていて、あなたと違って自分のやっている事を誇ることすらしてませんでした」
「使用人ってのはあれだろ。貴族の屋敷に務めているような勝ち組でもか?」
「ええ、どうでもいいって思いながら、目先の感情に踊らされて……本当に、ちっちゃくて、嫌な女だった……そう思います……」
ネットルはルイもまた自分の罪を零しているように見えた。
生まれも境遇も全く違う……けれど、何故か近しいものを感じた。
ルイもそう思っているからこそ、臆せずはっきりと物を言えているのかもしれない。
「なあ……だったってことは今は違うんだろ」
「はい、今の主人……カナタ様に仕えることは私の誇りです」
「あんな子供が……それだけ大層な人なのか?」
ネットルはカナタ達が子供達に証言を取りに行く際、遠目から見ていたのか……カナタのことも知っている。
少し大人びているようには見えたが、それくらいで特別何も感じなかった。
「――はい」
それでも一つも間を置かず短く答えるルイにネットルは何故か怯んでいた。
ルイは思い浮かべただけで目を細めて嬉しそうにしている。
貴族というのはネットルも知っている。何せ最近までずっと契約を結んでいた。
貴族というのは下の人間を同じ生き物だと思っていないんじゃなかったのか。だから水賊である自分達にこの町の人間を定期的に攫うなんて仕事を頼んでくる。
――そんな、自分達と同じ最低の人間の集まりじゃないのか。
そう問い掛けたかったが、ルイの瞳はあまりに真っ直ぐで言うことはできなかった。
「あの御方こそ私の全てで……私の王です」
「王……」
「あの御方のおかげで私はようやく……自分の生き方を歩くことができたのです」
――羨ましい。
ネットルはただただそう思った。
「……できんのかね」
「はい?」
「もう引き返せなくなるほど行きすぎちまった人間は……引き返すことができんのかね」
ルイが何かを言おうとした瞬間、がちゃり、と扉が開く音がする。
「おいおいおい、なんだよ……起きてんじゃねえか……」
「!!」
「ドーディ……!」
咄嗟に目をつぶった寝た振りも意味がないようだった。
恐らくはネットルの仲間の一人だろう。
他にいた仲間を連れていないので、どうやら偶然気付いたようだった。
「ずるいな、先に始める気だったのかネットル?」
「い、いや……」
「混ぜろ混ぜろ。他の奴等には黙っておいてやるからよ」
そういって、ドーディと呼ばれた男はズボンに手を掛ける。
ルイは何をされるのか理解して、出来るだけ離れようと身をよじった。
「うっひゃ……やっぱ美人だ……! 娼館だったらいくらするやら!」
「ふざけるな! 私に手を付けていいのはカナタ様だけよ!!」
「震えながらなーに言ってやがる! ネットルお前も……あん?」
ルイに近付こうとするドーディの前にネットルが立ち塞がる。
「もう……やめよう……」
「はぁ?」
「もうここでの仕事は終わったんだ……やっぱり駄目だ。こんな風に自分達の欲望で手を出すのは」
「今更何言ってやがる? まともな人間にでもなったつもりかよ? 俺達は水賊だぜ?」
「ああ、そうだ! だからこそ仕事とそれ以外で分別をつけるべきだ! 俺達は仕事で町の奴等を攫ってた……周囲から見たらただの犯罪でくずなのは変わりない。だけど、自分達だけは依頼されてやっている仕事なんだとプライドを持つべきなんじゃないのか!?
今更なのはわかってる、だけど金や女があればなんでもいいんだろ? なんて目で見られるまま……こんな風に好き勝手やってたら……」
ネットルは今まで自分の中に留めていた言葉を一気に噴き出させる。
それは説得するためというよりも自分の意思をただ伝えたいかのようで。
「本当に……自分のことを救えなくなるじゃねえか……。本当に、自分達は使い捨てなんだって……認めちまうみたいじゃねえか……」
後ろからそれを見ていたルイには、許しを乞うように見えた。
「馬鹿かお前」
「う、ぐっ!?」
「きゃああああああ!!」
ドーディはネットルの頭を容赦なく殴り飛ばす。
酔っ払ってもいるのか、ドーディの頭の中はもうルイという女を汚すことでいっぱいだった。
「さーて! 待たせたな嬢ちゃん!」
「や、やめ……!」
「ネットルさん! いや……いや!! や、やめて! 私に触れていいのはカナタ様だけ!!」
下卑た笑い、汚れた欲に満ちた目を浮かべて近付くドーティにルイは恐怖を覚える。
薄暗い中、自分を汚そうと手を伸ばす男はどれほど醜悪に見えたのか。
両手足を縛られていてろくな抵抗も出来ず、胸元の服を破られて下着と胸があらわになったその瞬間――
「あん!?」
「なん、だ……?」
板が打ち付けられていた窓が砕け散る音が部屋に響いた。
外側から何らかの衝撃があったのか、内側に板と窓の破片が勢いよく散らばる。
閉ざされていた窓が破壊されて月と星の光が部屋に差し込むと同時に、窓枠に飛び乗ってきた小柄なシルエットが薄暗い部屋の中を睨んだ。
「カナタ……様……!」
「ルイ! よかっ――」
その小柄なシルエットをルイが見間違うはずもなく、震える声には安堵があった。
カナタもまたルイが無事なのを見てほっと胸を撫で下ろす――が。
「……おい、何する気だった?」
「なんだこのガキ……!?」
「こっちが聞いてんだろ」
ルイの服の胸元が破られているのを見て、カナタの額に青筋が浮き出る。
今さっきルイの名前を呼ぶ時とは別人のように声色が違っていて、ルイを襲おうとした男……ドーディを見る目は据わっていた。
「"選択"――『虚ろならざる魔腕』」
「魔術師ぃ!? あ?」
カナタの背中から生えた黒い腕はいつもより小さく具現した。
そしてすぐさまズボンを上げようとする男の股間に伸びる。
上げようとしたズボンが腕に引っ掛かり、間抜けながに股になってしまったドーディはこれから起こる未来を想像して青褪めた。
「ま、待っ――!!」
背中から生える黒い腕はカナタの怒りを体現するように、そのまま男の股間を握り潰す。
足の肉ごと削る勢いの力で、ぐしゃっ、と生々しい小さな音がした。
「は……ぶぶっ……」
「そのぶらさげてるゴミ、一生潰しとけ」
泡を吹きながらそのまま崩れ落ちる男。
命までは奪っていないが、ある意味死ぬほどの痛みであろう。
それでも生温いと言いたげに、カナタは気絶したドーディの顔を蹴り飛ばした。




