151.二人の距離
「カナタがシャトランさんと!?」
まだ眠れていなかったルミナはカナタの動きを知らされて声を上げた。
つい声量が大きくなってしまったからかすぐに口を手で押さえる。
そんなルミナの正面に座るラジェストラは落ち着き払った様子だ。
「知らされてなかったようだな」
「は、はい……」
「シャトランとロノスティコも知らされてはいなかったが、カナタなら行くと思っていたのか……さっきまでこそこそと部屋で話をしていた」
「そう、だったのですね……」
確かにカナタなら、とルミナは納得するように頷く。
何故自分に相談してくれなかったのか……ほんの少しもやっとしたものがルミナの胸の中に渦巻く。
「ルミナ、お前は出来た娘だ。少しやんちゃではあったが幼い頃から勤勉で優秀で、飲み込みも早い。大人の言うことをよく聞く手間のかからない子供だった。使用人達との関係も良好で、生まれを理由に傲慢になることも全くない」
「え? お、お父様……急に何を……?」
「最近はフロンティーヌにも似て美しくもなってきたな。まだ幼さは残るがパーティーに出席すれば、壁に立っているだけで同世代の男子共が放っておかぬだろう」
「あ、ありがとうございます……」
「町に出掛けた際に起きた事件以降は表情に影を落としていて少し心配する時期もあったが、今はそれもないな。トラウマから来る男性恐怖症も今は気にならないほどだと聞く……コーレナからの報告によれば学院でも普通に過ごせているようでなによりだ」
「……カナタのおかげです」
ルミナは頬を染めて、カナタに救ってもらった時のことを思い出す。
今でもあの時のことは鮮明に思い出せる。カナタの言葉も、必死に戦ってくれた姿も。
「そう……今のお前があるのはカナタのおかげだな」
「え? は、はい……」
ラジェストラは俯きながら、ルミナに同意する。
だがその表情はどこか失望が混じっていて、声はどこか呆れていた。
……ラジェストラが言うように、ルミナは優秀な子供だった。
幼い頃から両親の言うことをよく聞き、カナタの母親に命を救われてからはより一層勉学に励み、この年齢では珍しい第二域にまで至っている。
絵に描いたような優秀な貴族かつ将来有望な魔術師といっていいだろう。
当然、両親から叱咤されるようなこともなく、ましてや失望などもってのほかだ。
そのせいか父から向けられる初めての視線に少し恐怖を抱く。
「ルミナ、お前……カナタを異性として意識しているんじゃないのか?」
「はえ!? は、はい……」
ばればれとはいえ、心に秘めている思いを指摘されれば動揺してしまう。
しかし思いの外、その動揺はすぐに収まった。
父であるラジェストラの様子が普段と全く違っていたから。
「言っておくが、俺は賛成している。お前がカナタに娶られればカナタを公爵家に完全に取り込めるようになる。カナタの力が何なのかはわからんが、あれが才能ならなおさらだ。
俺は個人的にもカナタを気に入っているから歓迎だ。だからこそフロンティーヌに言われた通りお前への縁談をずっと断っている……」
ルミナももう十三歳……とっくに婚約者がいて当然の年齢だ。
それでも婚約者どころか縁談の話すら来ないのは母フロンティーヌの計らい。
カナタへの恋心を抱いたルミナへのプレゼントといってもいい。
だが……まるでそれが間違いだったかとでも言うかのように、ラジェストラの瞳は冷たかった。
「それで、お前は何をしているんだ?」
「え……」
まるで突き刺すような非難の言葉だった。
初めてそんな風に言われて、ルミナは咄嗟にどういうことかと聞き返すこともできない。
「惹かれたのだろう? 愛してもらいたいのだろう? ならば何故動かない? 何故カナタに自分の意思を示さない?」
「しめ、す……?」
「貴族の女だからと……誘われるのを待つだけでいるつもりか?」
「そんな事は――」
そんな事ありません。そう言い掛けてルミナの声は止まった。
……ここに来てからの自分の行動を思い返す。
ここにいる間の名前の呼び方も、湖を眺めている時も、昼寝をする時でさえ。
誰かの言葉に乗っかるか、カナタが聞いていないとわかって独り言のように言うだけ。
そう――ルミナはカナタに何も伝えていない。
自分がやりたいことも、してほしいことも、一緒にいたいとさえ。
「そんな女が何故話してくれなかったことに不満を持ってる?」
先程ルミナがもやもやとした気持ちを抱いた事もラジェストラには見透かされているようだった。
「何故自分の意思を示さない? 俺がお前をカナタと別行動させようとした時もそうだ。お前は自分でカナタと一緒に行くと言うべきじゃなかったのか。カナタは私の側近だからと」
「そ、れは……」
「何故さっきカナタを止めに行かない? カナタを後押ししに行かない? お前はカナタをわかりたくないのか? シャトランとロノスティコは動いたぞ。良くも悪くもカナタに影響されて……人として一緒の場所にいるために。お前はカナタと対等な関係でいたくないのか?」
「そんな事はありません!」
「だが現実、お前は信頼されていない。カナタが黙ってルイを救いに行こうとしたのが答えだ」
「――」
ルミナはラジェストラの言葉を否定する証が自分の中に無いことに気付かされる。
……わかっていた。わかっていたつもりだった。
カナタの中で自分は"母親が助けた女の子"のまま。
ルミナ・ヴィサス・アンドレイスとしてカナタの特別になどなっていない。
公女と側近あるいは友人――そこから一歩先の関係になどなる兆しがないことを。
「俺はカナタと違ってお前に何もしてやれなかったが、だからこそ今言うぞ。お前、カナタに救われたんじゃないのか? 何故立ち止まったままなんだ?」
「わ、たし……」
「カナタはどんどん先に行ってしまうぞ。傭兵団の連中に自分の名前が届くくらい大きな男になる……曖昧だからこそゴールのない目標に向けていつまでも」
「……っ」
「娘にこんな事を言いたくないが、今のお前ではカナタと釣り合っているように思えん。お前があいつの一歩後ろで支えたいのか、隣に立ちたいか、居場所となりたいか。どんな形でカナタを愛したいかは知らん……だがな」
ラジェストラは話はこれだけだと立ち上がる。
涙を浮かべるルミナにかける慰めは当然ない。
「カナタは壁の華を慈しんでも、愛してはくれないぞ」
最後にそう言い残して、ラジェストラは部屋を出て行く。
ルミナは自分に泣く権利はないと思っているのか、唇をぎゅっと閉じてこらえていて……コーレナはそんな姿に言葉をかけることはできなかった。




