140.泳ぐ前は準備運動を
カナタ達が宿屋に到着するとすでにシャトランが手続きを済ませてくれていた。
今回は高級宿屋の三階を貸し切っており、ラジェストラに一室、ルミナとコーレナに一室、カナタとルイに一室、ロノスティコに一室、シャトランに一室、職員に扮する他の使用人三人に一室割り振られる。
宿屋は観光客向けだからか歴史を感じさせる外観なものの、内装は新しい。
外観と同じく白を基調とした壁に高級感あるタイルの床のロビーホール。部屋は木製の柱や床を中心にしていて、窓から見える湖と合わせて自然を感じさせる落ち着いた雰囲気だ。
「……三階全部を貸し切るのは普通の商人に変装できてるのかな…………?」
「カナタ様ー! すっごいですよ部屋! 湖が一望できます!」
唯一感性が平民よりなのもあってカナタは常識的な疑問を抱くも、ルイの声とともに風に乗って消えていく。
ルイに言われて窓に出れば確かに絶景。
宿屋自体が小高い丘のような場所に立っているからか、チェスティの町並みを含めて湖がより一層綺麗に見えた。
さやさやと吹く風は夏の肌に心地よく、風景を涼しげにさせる。
隣を見れば髪を耳にかけながら無邪気に湖のほうを指差すルイの瞳も湖に負けないくらい輝いていた。
「わっはぁ! カナタ様カナタ様! ボートに乗れるみたいですよ! それに遊泳できるエリアと釣りができるエリアで別れているようですね!」
「うん、あんだけ大きいと色々遊べちゃうね」
「ええ! どうしましょう、滞在中に遊びきれますかね!?」
「はは、ルイ楽しそう」
言われて、ルイはこほんとわざとらしい咳払いを一つ。
そして上がり切ったテンションを下げるように深呼吸した。
「失礼しました、公爵家の旅行で私がはしゃぐのはおかしいですね……」
「何言ってんの、おかしくないよ」
「いえ、私はカナタ様の側仕えだからということで同行させて頂いている身ですから……」
ルイは湖を見てそわそわとしながらも背筋を正す。
使用人として、ルイなりに思う所があるのだろうが……カナタとしては普段自分達だけでいる時のような冗談めいたことを言ってくるルイのほうが、と思ってしまう。
「そういえば、ルイ……カナタ様って言うの駄目だよ?」
「え……クビ、ですか……?」
「ち、違う違う! そうじゃなくて!」
顔から一気に血の気が引くルイを見て、カナタは慌てて訂正する。
「ほら、商人一家って設定だからさ……他の使用人の人達はともかくルイは俺とずっと一緒にいるでしょ? だから俺とかルミナ様に様付けしちゃ変だよ」
「そ、そういうことですか……。確かに私の呼び方でばれてご迷惑になってはいけませんね」
「うん、だからここにいる間は俺のお姉ちゃんってことでいい?」
「――――」
カナタが何気なく言った言葉でルイはカナタを見つめたまま固まる。
「あ、あれ? ルイ?」
顔の目の前で手を振っても反応は全くなく、呼びかけている内に部屋がノックされた。
「カナタ、一緒に湖のほうに行きませんか?」
「ルミナさ……おっと」
「ふふ、まだ慣れませんね」
ドアを開けると部屋を訪れたのはルミナとコーレナだった。
白いワンピースにつばの広い帽子を握っていて、夏らしい涼し気で楚々とした服に着替えている。
コーレナのほうは商人の職員を装っているのかきっちりとした服装で、まるで制服のようだ。さながらお嬢様のお目付け役といったころか、その手があったかとカナタは思ったもののもう遅い。
「湖は行きたいけど……ごめんルミナ、ちょっと待ってもらっていい?」
「はうっ……! は、はい! どうされました?」
ルミナはまだ呼び捨てが慣れないのか、心臓に悪そうな声を上げながらも嬉しそうだ。
しかし部屋に小走りで戻っていくカナタを見て少し心配そうに部屋の中を覗く。
「ルイが動かなくなっちゃって……」
「ルイが……? 具合でも悪いのですか? 馬車酔いでも?」
「ううん、さっきまで楽しそうだったんだけど……ここにいる間はお姉ちゃんねって言ったらこうなっちゃって……」
「ああ、なるほど……そういうことですか」
「ええ、ルイには刺激が強いですね」
わけがわからないカナタをよそにルミナとコーレナは納得したように頷いた。
ルミナは自分自身の今の状態から、コーレナも普段のルミナとルイを見ているからかすぐに察することができたようだった。
コーレナは静かに部屋に上がったと思うと、ルイの頬をぺちぺちと叩く。
「安心してください、気絶しているだけです」
「立ったまま気絶は安心していい症状なの……?」
「この女に限ってはそうです」
コーレナの言う通り、ルイは一分もしないうちに目覚めた。
♦
カナタ達がプピラ湖へ行くと大勢とまではいかないが、観光客や地元の人間含めた様々な人達が訪れていた。
緑豊かな山々を背景に透明度の高い水がプピラ湖そのものだけでなく、この町全体の魅力と美しさを湖面に映し出している。
照らされる日の光で湖面はさらに輝き、浮かぶボートはゆったりと時間を忘れさせるかのよう。
湖には小さな魚も多く生息していて、手を伸ばすだけで捕まえられるのではと錯覚するくらいに近かった。
「わっ……!」
カナタはそーっと、湖の水に足を伸ばす。
湖面に指先は少し触れて、すぐに引っ込めてしまった。
「ふう……広すぎて恐いな……」
「意外ですね、カナタが湖を恐いだなんて」
「普段恐いもの知らずなのに不思議ですね」
「カナタさ……こほん、カナタの新しいところを見た気分です」
「いやいや、こんなでっかい水たまり恐いでしょ……?」
先程からカナタは湖に近付いては離れるを繰り返している。
その様子が年相応らしくて微笑ましいのか、ルミナ達は微笑ましそうにその様子を見ていた。繰り返しているということは、カナタも湖自代には興味があるということなのだろう。
「本当に初めてなんですね」
「ルミナは違うの?」
「っ……。ここは初めてですが、別の湖なら幼い頃に……その時はお母様やセルドラお兄様も一緒でした」
「お二人も来れたらよかったのに……」
「仕方ありません、お兄様たっての希望ですから」
セルドラは後継者教育の一環としてラジェストラがこちらに滞在中、公爵家の業務を代理で行うために公爵家に残っていた。ルミナの母であるフロンティーヌもその補佐として残っている。
セルドラ自身から言い出したというのもあって、ラジェストラが許可したらしく……難しい判断を迫られるような内容はラジェストラが事前に処理しているが、それでも当主不在の中、判断を任されるというプレッシャーは想像以上のものだろう。
「ここは遊泳エリアですが……泳がれますか?」
「え? あ……」
「お、泳ぐ……!」
そんな話をしながら湖の周りを歩いていると、どうやら遊泳エリアまで歩いてきてしまったらしい。
ルミナを気遣ってコーレナがよかれと思って提案するも、肝心のルミナの心の準備ができていないようだった。
「どうされますか?」
「え、っと……」
ルミナはカナタをちらちら見ながら頬を赤らめ、
「お、泳ぐ……およぐ……!?」
カナタはそんなルミナの思いなど気付かず、湖を見ながら戦々恐々としている。
遊泳エリアなので、数人泳いでいる人達もカナタに見えているのだが……そんな目の前の光景も湖が恐いカナタにとってはまるで遠い国の出来事のようだった。
「……あれ?」
「ど、どうしましたカナタ……?」
「いやあの人……」
そんな泳いでいる人達の中に、カナタは知っている人を見つけたような気がした。
カナタが泳いでいるその人をじっと見つめていると、向こうもこちらに気付いたのかこちらのほうに泳いでくる。
泳いできた速度そのままに勢いよく水から飛び出してきたその人物は、カナタ達に手を振りながら湖畔を走ってきた。
「わー! 久しぶりじゃない!」
「あなたは……」
濡れた髪をしぼるようにしてこちらに歩いてくる水着の女性。
それはカナタが入学当初、謎に流されていた女たらしという噂について学院の図書館で教えてくれた上級生だった。
赤みがかったサイドテールが揺れるのを見て、カナタも完全に思い出す。
「やほやほ、また会ったねお二人さん」
「サイドテール先輩!」
「誰がサイドテール先輩か!? ディーナ! ディーナ・モンディーツね!? あれ? あの時名乗ってなかったっけ……? まぁ、今名乗ったからいっか?」




