139.呼び方
湖の町チェスティはプピラ湖と豊かな自然という美しい観光資源がありながら、知る人ぞ知る観光地の一つである。
積極的に観光地として押し出していないというのもあるが、もう一つの理由はここが百年ほど前までアンドレイス家と犬猿の仲であるベルナーズ家の領地だったという点である。
それを理由にアンドレイス領の貴族の大半はここに訪れているのを避けているという点が仕事を忘れて休みを過ごしたい今の公爵家には都合がよく、避暑地としてこの場を利用するようになっていた。
無論、他の領地から避暑に来る貴族はいるのだが……公爵家と関わりがない貴族が大半でアンドレイス家の顔を知る者が少ないので貴族のしがらみから離れるには十分なのだ。
「アンドレイス領の北部はタミア公国が近いので、こうして獣人の方々もいらっしゃるんですよ」
「タミア公国……?」
「カナタさん……基礎教育で習いますよ……」
高級宿屋への手続きや馬車はシャトランやルイを含めた使用人に任せて、カナタ達は散策しながら高級宿屋へと向かう事にした。
せっかくの時間だが、出鼻を挫かれたかのようにカナタはロノスティコの言葉で真顔になる。
カナタは勉強がそこまで得意ではない。夏季休暇前に行われた筆記試験を思い出したのかもしれない。
「そういえばルミナの成績は聞いたが、カナタは筆記試験はどうだったんだ?」
「……まぁまぁ……でしょうか……」
「それがまぁまぁの成績の顔か? まぁ、後期の実技のほうで挽回できるか……」
「はい!!」
「いい返事だな……筆記を疎かにしていい理由にはならんぞ」
「……」
ラジェストラから振られた話を逸らすかのようにカナタは無言を貫き歩き始める。この話題は分が悪い、戦略的撤退というやつだろうか。
こんな風に押されるカナタが珍しいのか、ルミナはくすくすと笑いながらその後を小走りでついていった。
チェスティの町は観光地にしてはとても穏やかで静かである。
町並みは白やクリーム色を基調とした建物が多く、建築様式が古めかしいのとスターレイ王国の象徴である竜をモチーフとした石像が橋にあるくらいしか目立った点はない。貴族街と庶民街の間にあるような風景だ。
観光地だからとご当地特有の商品を売り込むような店も奇をてらっているような店もなく、住民もあくまで自然体。いい意味でシンプルな町と言えるだろう。
「ふふ、話を戻しますね? 獣人の方々は主にタミア公国やシャーメリアン商業連合国の一部に住んでいらっしゃいます。カナタは見かけたことはなかったですか?」
「……死体、なら」
「……っ。そう、ですか」
言いにくそうなカナタを見て、ルミナは反省する。
カナタの過去を占めているのは村と傭兵団の記憶。であれば、見かけるタイミングが傭兵時代だと予想がつく。
そして傭兵団時代に見たということは必然……そういうことになるだろう。
ルミナもまた楽しい旅行の出端を自分で挫いてしまった気分になる。
「自分達の間では耳の兵士って呼んでました。何て呼ぶのかわからなかったので……」
「な、なるほど。確かにスターレイ王国で見かけることはほとんどないですからね……ですが、学院にも一人、獣人の教師の方がいますよ」
「え? そうなんですか?」
「はい、セルドラお兄様やエイダンがいる三年生の担当です」
「知らなかった……あ」
カナタは入学前、学院長に呼び出された時のことを思い出す。
そういえば自分を見ながら口々に喋る人達の中に、なわけにゃいか、とか……にゃに!? とか……喋り方が特徴的な人が混じっていた覚えがある。
もしかすればあの声の主が獣人の教師だったのかもしれない。
真偽を確認しようにも学院はもうとっくに離れているので確認しようがないが。
「タミア公国出身の方で一度お会いしましたがとても優しい方でしたよ。リメタ先生というのですけど……あの方のように、スターレイ王国に仕事をしに来る方もいらっしゃるのでカナタが見かけた人達にもそういった事情があったのかもしれませんね」
「なるほど……」
「逆に事情がなければ一般の方がわざわざスターレイ王国に来るようなことはないので……一応、貴族の中にも獣人の方々が何人かいたりします。あまり特徴が目立たない方もいらっしゃるので、気付かれていない可能性もありますし」
「目立たない……?」
カナタは町を歩く一人の女性に目を向ける。
その女性には小さな巻き角がついていて、いくら小さくても目立たないというのは無理な話だ。
むしろその女性は角にアクセサリーのようなものをつけて着飾り、目立たせているようにすら見えた。
「ふふ、耳や角以外にもわかりにくい特徴がある方もいらっしゃるんですよ」
「なるほど……何か耳とか角とか可愛かったりかっこよかったりいいですね……」
「ええ、そうで――」
その時、ルミナの頭に光速を超えた思考が走る。
普段なら頭によぎっても口に出さないであろう質問。
だが好きな男の子と今旅行中という状況がルミナからほんの少し躊躇いを奪った。
「か、カナタは……」
「はい?」
「カナタは、私にあのような耳がついていたら、可愛いと思いますか?」
「え……? ルミナ様、今でも可愛いのに……耳もつけたいんですか……?」
「~~~~~!!」
カナタが好む嗜好を聞こうと思っただけだったが、予想外の答えが返ってきてルミナは悶絶しかける。
しかしそこはスターレイ王国有数の貴族、アンドレイス公爵家の息女ルミナ。
貴族としての誇りが寸前でその叫びを喉奥で押しとどめた。その誇りをこんなことに持ち出すのもどうかと思うが。
「あ、女性のお洒落ってやつですね……すみません、よくわからなくて……」
「いいえ! いいえ! こちらこそごめんなさい、変なことを聞いて……!」
先程、話の流れで出鼻を挫いて落ち込む心はぐんぐんと回復する。
今ルミナの頭の中にあるのは期待だけだ。カナタと一緒なのだから、今までよりも遥かに楽しいものになるだろうという。
「カナタさん……」
「はい、ロノスティコ様」
そんなルミナの後ろから、本を抱えながらひょこっと顔を出すロノスティコ。どうやら先を歩き始めたカナタとルミナに追いついたようだ。
ラジェストラのほうはとカナタが後ろを確認すると、すでに酒屋で何かを試飲していた。放っておいてもよさそうである。
「その、滞在中は……様っていうのやめましょう……。商人一家としてここに滞在するわけですから……」
「そうか、そうですよね……ラジェストラ様をお父様と呼ぶのもそれが理由でしたもんね」
「うん……だから、はい、どうぞ……。僕の名前を呼んでください、それと言葉遣いも砕けたものにしましょう……年齢的に僕が弟になるでしょうから……」
呼んでとアピールするようにカナタの服を掴むロノスティコ。
去年のパーティの出来事からというもの、ロノスティコは前以上にカナタに懐いたようである。
「えっと、無礼なのでは?」
「旅行中は無礼講です……どぞ」
「では……わかった、ロノスティコ。気を付けるよ」
「うん、カナタお兄様……」
「っ!!」
柔らかい笑顔を浮かべるカナタ、それを受けて微笑むロノスティコ。
そんな光景を横で羨ましそうに見るルミナもまたカナタの服の袖を掴んだ。
「か、カナタ……! 私も……!」
「えっと……そうか、ルミナ様にだけっていうのはおかしいですもんね」
「ええ、それに言葉遣いも……ほ、ほら、お父様にならともかく私にもというのは変ですから!」
ルミナは興奮からか少し紅潮させながらカナタにせがむ。
学院で出会ったラクトラルの聖女であり友人のエイミー……彼女自身の要望でカナタに呼び捨てにされているのを羨んでいたルミナからすると、これは絶好の機会だ。
この機会を逃すものかと思っているのか、普段よりも妙に語気が強い。
「わかったよルミナ、ここにいる間はこうする」
「は、は、はわぁぁ……!」
呼び捨てだからか、少し照れくさそうにしているカナタの笑顔。
その笑顔もあいまって……ルミナはあまりの喜びからか口をわなわなさせ、身悶えながらロノスティコの肩を掴んだ。
その喜びは足腰に来ているのか、ルミナは少し立ち止まる。
「ロノスティコ、あなたが弟であることは私の誇りです……!」
「今言われても複雑なのですが……」




