138.公爵家の避暑旅行
「おとう……さま……」
「ふむ、まだ硬さが残るが……まぁ、よいだろう」
顔を引きつらせながら公爵家の側近カナタは、正面に座る公爵家の当主ラジェストラを父と呼ぶ。
隣に座るカナタの主人ルミナも、ラジェストラの隣に座るルミナの弟ロノスティコもその様子を面白がっているのか少しずつ笑いが漏れていた。
「チェスティでの滞在中は俺のことはそう呼ぶように。変な気分なのはお互い様だ」
「わかりました……」
「わかりやすく不満そうだな」
「まぁ、親と思ってない人を呼びたくないので……」
「おい、正直すぎるぞ」
「ぷはっ!」
笑いをこらえていたロノスティコは噴き出した勢いで笑いだす。
それをきっかけにルミナもくすくすと楽しそうに笑い声を零した。
馬車の旅にはつきものな聞こえてくる馬車の車輪の音、少しの揺れ。そんなものが気にならないほど馬車の中は二人の笑いに包まれる。
「おいルミナ……カナタのやつ少し生意気になったんじゃないのか?」
「カナタは元から正直な人ですよ? お父様に負い目があるから生意気に見えるのでは?」
「うぐっ……言うようになったなルミナ……!」
「ふふ、むしろカナタの正直なところが私に移ったのかもしれません」
「本当に言うようになったな……」
ラジェストラは嬉しいやら寂しいやら複雑な表情を見せながらルミナに視線をやる。
もうルミナはラジェストラを見ておらず、隣のカナタを見て笑顔を見せていた。
先程噴き出していたロノスティコも交えて、子供同士……いや友人同士の会話に戻っている。
「もうすぐ着きますよカナタさん……楽しみですね……」
「はい、ロノスティコ様」
「チェスティは湖が有名な町でとても大きいですから、カナタも見たらきっと驚きますよ」
「湖……でっかい水たまりだって聞いたことあります……それが有名って言われてもあんまりピンと来ないんですけど……どうなんでしょうか?」
「ふふ、カナタの想像より大きいんですよ?」
魔術学院は夏季休暇に入り、カナタは学院から帰省後……ラジェストラの思い付きによって決行が決まった公爵家の旅行へと同行していた。
現地を管理している貴族や町の人々に無用な負担やトラブルの種になる噂話を避けるべく、家族ぐるみで行っている小さな商人の一団としてアンドレイス領の北部にある町チェスティに訪れる予定である。先程カナタが言わされていたお父様呼びもその偽装のための一環だ。
カナタ達が乗る馬車の御者はコーレナが務めており、後ろに続くもう一つの馬車にはラジェストラの側近としてシャトラン、そしてルイを含めた他使用人が乗っている。
ラジェストラ達の服装もいつもと違って平服を着ており、派手さと華美さが消えて貴族らしさが幾分薄まって……いるはずだ。
「傭兵団にいた時は湖をみなかったのか? 各地を転々としていたのだろう?」
ラジェストラが問うとカナタは首を横に振る。
「水場での荒事は水賊の領分なので、傭兵はあんまり……舟の操縦とか違う技術がいるのであんまり必要とされないんだと思います。自分達のいう水場といえば川ぐらいです」
「水賊? 海賊みたいなものか? 海の盗賊みたいな輩だ」
「多分……? 海を見たことないので、海賊がどんなものかわかりませんけど……」
「海を知らないのか。スターレイは一応南西が海に繋がっているがお前の言う通り、水場は水賊とやらが出張ってくるとなれば確かに見る機会はないか……と、そろそろ見えてくるぞ」
ふむ、とラジェストラは改めてカナタの特殊な境遇に納得しながら窓の方を見る。
流れる景色の中、見えてきたものに気付いてカナタ達に窓の外を見るよう促した。
カナタは窓の外を何故か恐る恐ると覗き込むようにして見る。
「うわ……」
窓の外に見えてきたのは日の光に照らされて輝く湖面。
遠くに見える自然豊かな山や森など気にならないくらいの広大さ。
ここからでもその水は自分が知る水たまりのような濁りがないことがよくわかるほど美しく、中央には小さな島があってそこには歴史を感じさせる城のような建物まである。
湖に寄り添うように建てられた町並みも見えてきており、そこがカナタ達の目的地だ。
「これが……海……!」
「湖ですカナタ」
「あ、そうでした……でも、こんなおっきい……これで海じゃないんですね……」
「プピラ湖といって、チェスティの町よりも大きいんですよ」
「へぇ……すごい……」
窓に張り付くように景色を見るカナタを見て、ルミナは微笑む。
自分の側近としてラジェストラが半ば無理矢理同行させてしまったことを少し気にしていたのだが……どうやら旅行を楽しんでもらえそうで安堵した。
そんなカナタの様子を見たからかラジェストラも提案する。
「宿泊する宿屋には事情を話してあるからな、最初からプピラ湖を見に行ってもいいんだぞ?」
「あ、いえ……ちょっと、その、急にあの水たまりに近付くのはこわいので……」
「ははは、恐いか。はっはっは! そうかそうか!」
宮廷魔術師に立ち向かうのは躊躇わないが、湖に近付くのは恐い。
あまりにも歪ではあるが、カナタにしっかりと子供らしい一面があることにラジェストラは嬉しそうに笑った。
「あ」
「カナタさん……どうしました……?」
何かを見つけた様子のカナタにロノスティコが問う。
「耳の人がいる……」
「えっと、耳は自分達にもありますけど……」
「ごめんなさい、そうじゃなくて……えっと……見たことはあるんですけど、何て呼ぶ人達なんでしょう……?」
カナタは窓の外を指差すとルミナが確認するように窓の外を見る。
「ああ、獣人の方々のことですね」
カナタが見つけたのは湖畔で船を出している一人の男性……その頭には犬のような大きな耳がついていた。




