134.孤独のまま
「ふっ!」
「おぶぉあ!」
腹部を打たれたことで背中が丸まり位置の下がった顔に、カナタは腰を回転させて左の拳をバウアーの右頬に打ち込む。
脳が揺れ、カナタの服が破れる音を聞きながらバウアーは吹っ飛んだ。
胃の中にある違法魔道具のおかげで痛みはほとんどない。
しかし体の不調は痛み以外にも現れる。今の一撃で脳が揺れ、先程の腹部へのダメージも相まってバウアーは吐き気を催す。
「……動きにくいな」
流石に成長前の服のサイズで激しい動きは無理があったのか今の拳で袖が破れた。
上着を脱ぎ捨て、シャツだけになったカナタは先程バウアーが出した魔術滓を拾いながら距離を詰める。
「っ……! 『砂岩の闘牛』!」
「『火花』」
カナタの拳を炎が纏う。
その炎の拳で向かってくる牛の形をした魔術を殴り、牛は発火しながら崩れ落ちた。
自分の魔術があまりにも一瞬で破壊されたことにバウアーは自分の目を疑う。
「おい……第二域を第一域で……」
驚愕を声に変えている余裕はない。
カナタはすぐに距離を詰める。
先程の牛よりも速く、その拳は角より鋭い。
カナタが拳を向けると、バウアーは咄嗟に腕を顔の盾にする。
「ぐ――おおおおああぁ!!?」
カナタは構わずバウアーを殴り飛ばし、殴り飛ばしたその部分は発火した。
恐怖はないはずだ。バウアーの腹の中にある魔道具はそもそも兵士達から恐怖を取り除き、魔物と戦うためのもの。
しかし、バウアーは無意識にカナタと距離を取ろうと後ろに跳ぶ。
それが有り得るはずのない恐怖からなのか、戦略的な行動なのかは本人にもわからない。
「"選択"」
しかし、カナタはそれすら許さない。
先程拾ったバウアーの魔術滓を自分の視界に入るように投げる。
「『望まぬ引き合い』」
「!?」
カナタが魔術を唱えると、後ろに跳んで距離を離そうとしたはずのバウアーの体が宙で止まり、そのままカナタに引き寄せられた。
「お、れの――!?」
バウアーにとってあまりに覚えのある感覚だった。
磁力を付与する魔術はバウアーが一番得意としている魔術。
だからこそ間違えるはずはないが、間違いだと思いたかった。
何故なら自分が使っていた時と明確に違う点がある。
(おい待て……この魔術は生き物には使えないはず……!?)
そう、本来この魔術は生物には使えない。
一体どういう事かと考える間もなく、バウアーの体はカナタの目の前に。
カナタもカナタで拳を叩きつける予定だったようだが、引き寄せる速度が速すぎたのかタイミングが全く合わず、勢いのままバウアーの顔に頭突きをお見舞いした。
「ぶっ――はがっ!」
「いっづあ……」
予定外の頭突きがバウアーの鼻にめり込み、バウアーの鼻からは折れた音と鼻血が噴き出した。
頭突きを繰り出したカナタのほうも予定外の頭突きに頭を擦る。
「ってぇ……最初はコントロールが利かないのはこの年齢になっても変わんないのかぁ……」
「……!? ぁ……っ!」
カナタは不満そうに愚痴っているが、バウアーの混乱はそれどころではない。
鼻が折れたことではない。今目の前で起こった出来事に対してだ。
(こいつ、まさか……魔術滓から俺の魔術を……! いや、それどころかリアルタイムで改造まで、してるのか――!?)
……自分の得意魔術がたった一つの魔術滓によって奪われ、上位互換に改造される。
その事実は魔術師の戦意を折るには十分過ぎた。
――いかれてる。
どんな歪んだ訓練を繰り返したらそんな能力が身につくのか想像もつかない。
バウアーはようやく自分が同じ魔術師ではなく、魔術師にとっての怪物と戦っているのだと気付いた。
考えてみれば、先程まで二対一でようやく拮抗していたのだ。
更に成長したカナタと一対一などあまりに無謀すぎる。
「そう、だ……シメルタ……!」
バウアーはそこでようやく二対一だったことを思い出す。
元々のカナタの対戦相手はそもそもシメルタだ。あいつを盾にすればいいとバウアーが周囲を確認すると、シメルタは壁を背にこちらを見ていた。
その様子に怒りが湧き上がり、カナタに背を向けてバウアーは掴みかかった。
そんな隙を見せれば背中を狙われて終わりという思考すら今のバウアーにはない。
「何をしている! 加勢しろ! タッグマッチだろうが!!」
「……承知した。『凍える剣』」
胸倉を掴まれたシメルタは間を置いて頷き、魔術を唱える。
不確定要素の多い二対一ならまだ可能性はあるとバウアーは笑みを浮かべた。
成長の魔術だってずっと続くわけではない。まだ勝機はある。
……そう、疑わなかった。
「……は?」
シメルタの持つ氷の剣が自分の腹部に刺さるまでは。
「は? あ? はあああ!? 何、してやが――」
激高しかけたバウアーをシメルタは蹴り飛ばす。
腹部を貫かれ、一瞬力が抜けたバウアーはそのまま地面に転がった。
「お望み通り加勢した。カナタくんのほうにな」
「な、ざけ、おいこの……!」
「めでたい男だ。食い扶持を台無しにされたというのに……その元凶の味方をすると思ったのか?」
シメルタにとってカナタはあくまで試合の相手。裏決闘場が興行として成り立っているからこそ戦っていた。
だが今のこの状況はどうだ。観客は逃げて試合の賭け金などうやむやになっていて、推薦してくれていた支援者とこれからどうなるのかもわからない。
この場所での仕事が台無しになった今シメルタがカナタの敵になる理由などない。
だが仕事を台無しにしたバウアーの敵になる理由は当然ある。
「ありがとうシメルタさん」
「君の強さなら自分の加勢などなくても勝っていただろう。大義もないただの腹いせさ」
……完全に勝負は決した。
二対一でようやく拮抗していたところにカナタの自己成長の魔術、そしてタッグマッチに付き合う理由がなくなったシメルタの敵対。
観客席を攻撃し、興行である試合を台無しにした瞬間からバウアーにはとっくに勝ち目などなかったのだ。
「ふざ、けるな……俺はベルナーズ……こんなことして……!」
だが、プライドがバウアーを止めさせない。
腹の中の魔道具の影響で痛みは薄れているせいかバウアーはよろよろと立ち上がる。
「どっちも消えろ! 俺の前からぁ!!」
観客席のほうでエイミーの防御魔術に攻撃し続けていた石の竜が崩れ落ちて、砂がバウアーの下に集まる。
視野が狭まり、もうカナタをなんのために排除したいのかもわかっていないのかもしれない。
「救えないな……お前は、祈りを見る必要もない」
カナタの頭の中で二つの魔術の名前が浮かぶ。
すでに練習で成功の感覚は掴んだ。強制的に成長した今ならば頭の中でもやれる確信と共に。
「『飢え満たす怪岩竜』ぅ!!」
「"術式連結"――『炎精纏う黒妖犬』」
巨大な石の竜は今度は決闘場に現れて、カナタに襲い掛かる。
同時にカナタの背後に現れたのは炎と鎖を纏った巨大な黒い犬だった。
カナタ目掛けて振り下ろされる石の爪。その爪を巨大な犬が炎の牙で噛み砕く。
犬から伸びる鎖は石の竜を縛り上げて、抵抗すら許さない。
「あ……あ……」
「本物の竜はもっと強いんだろうな」
動けなくなった石の竜の首に、巨大な犬の炎の牙が突き立てられた。
石の竜はそのまま燃え上がって、徐々に崩れ落ちていく。
バウアーが持ちうる最強の魔術は無残な姿へ。
零れる魔術滓と一緒にバウアーは膝から崩れ落ちた。
魔道具の影響で痛みは薄れているし、身体能力は上がっている。
それでも、戦意までは支えられなかった。
しかし、魔術戦に勝ったからといって終わりではない。
目的はあくまでバウアーが飲み込んでいる違法魔道具の確保。
カナタは崩れ落ちて動くなくなったバウアーの前まで歩くと、バウアーはカナタを睨む。
「えっと、魔道具は飲み込んでるんだっけ」
「ああ、そうだ。残念だが手渡しできない場所にある……吐かせてみたまえ……」
せめてもの抵抗かバウアーは残った魔力で胃袋を覆った。
術式の影響で痛みは感じないのもあって無理矢理吐かせるのは至難の業だろう。
何もかもカナタの思い通りというのが嫌なのか、最後まで嫌がらせじみた抵抗を続けるようだ。
「いやいいよ。こっちで勝手に取り出すから」
「…………は?」
だが、目の前の少年にそんなものは通じない。
カナタの背後には先程石の竜を噛み砕いた巨大な犬が唸り声を上げていた。
「おい……まさか……」
カナタが今から何をしようとするのか不運なことにバウアーは想像できてしまった。
「お前、俺に正面からじゃ勝てないって思ったのか……観客席を攻撃したよな」
「ま、待て……わかった……。俺が、悪かった……! 魔道具は返す! 返すから!」
「観客席には俺の主人と母上がいたんだ」
「知らなかった! 知らなかったんだ!! 知らなかったんだ!!」
「うん、わかってる。だけどお前言ったよな……どうする? って」
カナタの背後で待っている巨大な犬が口を開き、よだれのような炎が熱を放ってバウアーにまで届く。
バウアーは助けを乞うようにシメルタのほうを見るが、シメルタも止める様子はない。
理由は違えど、観客席を攻撃されて不満なのはシメルタも一緒だった。
「だから、こうすることにした」
「トラウリヒと繋がりがあるんだろ!? 慈悲は! 慈悲を! デルフィ教の教義にだって! 救いは誰にでも――!」
腹の中にある魔道具によって恐怖はないはずだった。
ないはずだったが……カナタとの戦闘で魔力が残り少なくなってしまったからか、小さな恐怖が湧き上がってそのまま大きくなっていく。
都合よく懇願するバウアーにカナタは冷たく言い放つ。
「悪いが、俺は聖女じゃない」
バウアーが最後に見た光景は燃え盛る炎の牙と闇のような喉奥。
これが自分は正しく、何よりも優先されて、価値があると豪語していた男の末路。
逃亡し続けていた四年の間、味方の一人も作れないままバウアーは孤独にその人生を終えた。




