第20話 魔獣は眠らぬ丑三つ時
夜が更けた頃、王女の安眠確保と警備の為、町には戒厳令が敷かれ、警備の兵達が店舗を回り、帰宅を命令された飲んだくれ達は渋々店を後にして眠りについていた。
静まり返った町を警備の兵が巡回し、町の外では国防軍の魔獣達が外敵に備え目を光らせているだけ───の筈だった。
『ねえ! 何でそんなの着けてるの!』
『······小僧はもう寝る時間だぞ』
『ねえ! なんでなんで?』
『おい! この小僧をどうにかしてくれないか!』
ビオンが声を掛けているのは、国章が刺繍された布を胸に垂らした国防軍所属の魔獣だった。
『その小僧は元気だけが取り柄だし。まあ、相手してやってよ······寝みぃ』
お気に入りの木の上で寛いでいた双尾猫のティムは、目を閉じ我関せずと大きな欠伸をかいて、国防軍の角山犬に返事をした。
魔獣達は冬の期間には魔法訓練場を厩舎として提供されているが、それ以外は何箇所か有る東屋か、自分の縄張り(人の縄張り内で勝手に主張しているので、余りこだわってはいない)にしている場所で体を休めている。
『貴様達の仲間だろう! おい、そこの! 小僧を連れて行ってくれ!』
『妾か? 妾はここに住んではおらぬぞ。主様と旅で寄っているだけじゃ。───ここの長は貴殿であろう?』
国防軍の角山犬から指名された、グローズルフクスのミヤビは、王山猫のリッキーへ話を振った。
『俺は今の主人に従ってまだ間もない、まだまだ余所者の様なものだ。お前が適任ではないか? 主人同士仲が良いだろう』
リッキーは更に隣の巨眼鳥のマブロに流した。
『······私もう寝てる』
『······そうか、寝てるなら仕方が無い。やはりお前さんが、小僧が飽きるまで相手をしてやってくれ』
『そいつ起きてただろ!』
マブロはもう寝ているようで、リッキーは国防軍の角山犬に子守役を突き返した。
『ねえ、おじさん答えてよー! 僕は強いんだぞ!』
『あー! 止めろ止めろ! 吠えるな、吠えないでくれ!』
痺れを切らしたビオンが実力行使に出ようとしたところで、国防軍の角山犬は観念して聞き分けのない小僧の相手をする事になった。
戒厳令中に警備の角山犬が吠えれば、それは敵襲の合図になってしまう。ビオンはフェンリル種の幼体なので、魔獣同士なら声色で角山犬と違う事は判断出来るが、人の耳では大半の者は聞き分ける事は不可能だ。
『良いか小僧。これは主人達の長から戴いた大変名誉ある物なのだ。これを身に着ける事が出来るのは、厳しい訓練を修めたほんの僅かな者だけなんだぞ』
『······それは凄いの?』
『そうだぞ、凄いんだぞ』
『じゃあ、おじさんは強いんだ! 僕と闘ってよ! 僕も強いんだよ!』
『え? いやいやいや、なんでそうなる?』
体力を持て余しているビオンは、国防軍の角山犬と闘いごっこをしたくて堪らない様だった。
『森へ狩りに行けば良い。疲れれば勝手に寝てくれるだろう』
『待て! 今私は仕事の最中だぞ!』
『今その小僧は貴殿に懐いているようじゃぞ? 森の中へ一緒に巡視に行けば良かろう、お·じ·さ·ん』
『うぅ! ······小僧、森の中を見に行こう。ちょっと待っていろ、おじさんの仲間と話を付けてくる』
国防軍の角山犬は、このまま付き纏われるよりはさっさと寝かしつけたほうが良いと判断し、ビオンと遊んでやることにした。決してミヤビの艶のある言葉に、心を揺らされたからではない。
国防軍で鍛えられた魔獣と言えど、人の言葉は完全には理解出来ない。なので起きていて周囲を警戒していれば、それは角山犬の基準では警備の範疇に入っている行為だった。
『雄々しいたてがみのお兄さん、森が騒がしい様に感じるが、何か居ると見ているのじゃろう?』
山へ向かうビオンと国防軍の角山犬を見送りながら、ミヤビはリッキーに問いかけた。
『いつでも何かは居るだろう。俺はここへ来てまだ長くない、知らんことが多くある。勿論、お前の様な美しい尾を持った雌もよく知らん、お前を教えてくれないか?』
リッキーはミヤビの隣に移動して寄り添い、頬を擦り寄せた。
『妾を知りたいと? こんなにも雄々しく立派なたてがみを持った貴殿が、雌の何を知らぬと言うのじゃ?』
ミヤビはリッキーに頬擦りを返し、耳を甘噛した。
『ハッ! 良いね良いね! ヤるなら過激なヤツをヤッてくれよ!』
『······どっか他所でやれ』
そう言ったマブロは、ビオンが入った森を眺めていた。それはリッキーとミヤビを煽ったティムも、「戯れは終わり」とばかりに少し唸ったミヤビも、しょぼくれるリッキーも、いつもと違う、何か不自然な感覚のする森を警戒していた。
ここは森の中、ビオンと国防軍の角山犬は森の中を散策していた。土臭い森の匂いに混じり、生きているも死んでいるも、他の生き物の匂いが風に乗って漂っている。
『おじさん、アレを獲ろうよ!じゃあ行くよ······それ!』
『お、おい───っはや!』
国防軍の角山犬はビオンが飛び出すのが早かった事と、その速度が余りにも速かった事に驚いた。
ビオンが目を付けたのは、木の実を拾っている野生の兎だった。角山犬を含む山犬種の狩りは、持久力を頼りにした追跡が基本だ。そうは言っても無駄な体力は使いたくないので、ギリギリまで近付いてから飛び出すものだが、ビオンはそれをしなかった。
『おじさん、僕の勝ちだよ!』
『ああ、凄いな小僧。······小僧、狩りの仕方を知らないのか?』
『闘い方はエイルが教えてくれたよ!』
『お兄ちゃん······?』
国防軍の角山犬はビオンの狩りが山猫の狩りに似ていた事から、ティムの顔を思い浮かべた。しかし、瞬発力の強い山猫でさえも、狩りの成功率を上げるため、もっと接近してから飛び掛かるものだ。
『小僧、親は居ないのか?』
『お母さんが居るよ!』
国防軍の角山犬はミヤビを思い浮かべたが、絶対にそれは無いと直ぐに却下した。そして、ビオンの言う「お母さん」が主人の事である事に気が付き、憐憫の眼差しをビオンに向けた。
『それを食べてもまだ眠くならなかったら、もう少し一緒に狩りをしようか······坊や』
国防軍の角山犬は、ビオンは「このまま育っても大丈夫だ」とは思ったものの、ビオンに必要なものは「見本となる親」で有るとも思い、角山犬の狩りを教えてやろうと考え、兎の肉を食い千切っているビオンに優しく声を掛けた。
国防軍の角山犬とビオンは、次の兎を見つけ狩りの体勢に入った。ビオンはどっちが先に仕留めるかの競争をしたかったが、国防軍の角山犬は「今度は自分がやる」と提案し、少し腹が重くなったビオンはそれを了解した。
国防軍の角山犬は姿勢を低くし、呼吸と足の運びに気を配り、気配を殺して物陰に潜みながら近付いて行く。
木の実を食うのに夢中になっている兎も馬鹿ではない。体躯は大きく、もう成体になっており、恐らくは何度も捕食者から逃げ果せている猛者だ。
距離は20メートルを近くまで接近出来た。もう一声欲しいところだが、まあまずまずの距離感だ。軍の一角狼は兎の隙を伺っているが、ビオンはもう我慢が出来ずに、少し勇み足になってしまった。
パキッ───葉が風になびく音の中に、枯れ枝を踏み折る乾いた音が響き、兎が耳をピンと立てて音の鳴った方を向く。それと同時に国防軍の角山犬は、仕方無しに強く地面を蹴った。
兎は瞬間的には角山犬よりも速いが、直ぐに身を隠す事が出来なければ、バテて捕まってしまう。なので、ビオンの様に圧倒的な速度を以て、問答無用で捕まえてしまうのは、ある意味正解なのかも知れない。
通常角山犬は、初動で距離を空けられるのは覚悟の上で、見失わないように追いかけ、ジリジリ詰め寄り、巣穴に逃げ込まれる前に捕まえる。これを家族単位で行うのが、本来の角山犬の狩りだ。
『おじさん、もっと速く走れないの?』
『これが限界だ。坊やが特別なんだよ』
並走するビオンが国防軍の角山犬に話しかけ、国防軍の角山犬は兎を追いながらそれに答えた。彼は湧いて出てきた父性から「特別」に頼るビオンに、ほぼ同じ姿の角山犬の限界を教え、仲間と協力する事を教えてやりたかった。
『あ! あっちに逃げたよ!』
兎は突然進路を変えた。これはよくある逃げ方の一つで、国防軍の角山犬も慌てず後を追おうとしたのだが───
『ッ!!! 駄目だ坊や! そっちへ行くな! 大人の言う事を聞くんだ!』
国防軍の角山犬は兎の逃げた方から、森へ入って薄々と感じていた同族の胡散臭い死臭が強くなったのと、瞬間的に発した魔力に胸騒ぎを覚え、ビオンに追跡の中止を訴えた。しかし、まだそんな異常を異常と判断出来無いビオンは、楽しそうに夢中で兎を追って行ってしまった。
冒険者や国防軍と同行し、魔法という人の手の入った魔力を身近に体験している魔獣は、不自然的な魔力を感じ取る感覚が養われ、人よりも魔法に対して優れた危機察知能力を発揮する場合が有る。
今、国防軍の角山犬が感じた魔力は、野生や本能的では無く、作為的で嫌に整った、人の使う魔法に似た魔力の感覚だった。




