第19話 妙案が浮かばれたようです
床を強く蹴り、エイルの間合いへ深く踏み込み、渾身の力で横一文字に放たれたアナスタシアの剣は、エイルの腹を捉える事無く空を切った。そして───
アナスタシアが見せたほんの僅かな隙、当然それをエイルが見過ごす事はなかった───
エイルが見たほんの僅かな隙、当然それはアナスタシアが仕掛けた罠だった───
エイルにとって、これが罠だろうが隙だろうが大した違いは無く、選択肢は絶好のチャンスに剣を捕らえるの一つだけだった。
この間合いで剣を振るなら、木剣がエイルの胴に当たるより早く、エイルの手が木剣の柄を抑えるだろう。もし、突いて来るなら躱して柄を抑える。その後は拳を軽く頬に当ててやれば良い。まさか「失神するほど殴らなければ駄目だ」とは言わないだろう。
「「ああっ!!!」」
ギャラリーが揃って声を上げた。アナスタシアがこのタイミングで後退をした。それはアナスタシアにとっては想定通り、エイルにとっては想定外だった。
(勝負に来るんじゃなかったのか!?)
エイルの思考に生まれたほんの一瞬の判断の遅れ、そこに後退から転じ、間合いを詰めたアナスタシアの剣が振られた。
「ッちぃ!」
「当たった! エイルの脚に! 膝に当たったぞ!」
「きゃああ! エイルさん! イヤァァァ!」
「ひぃい! 斬られちゃったよー!」
「······ベル、ミーア。あれは木の剣、痛いだけだ」
「「───あ、あはは······」」
アナスタシアはこの時の為に仕込んでいた。両手で木剣を握っているときの間合いを、時間を掛けじっくりとエイルの感覚に染み込ませていた。
そして、初めて仕掛けるフェイントでエイルの身体と心に隙を作り、回避の為に身体を蹴り出し最後まで残る軸脚に、片手を外しリーチを伸ばした斬撃を見舞ったのだ。
エイルは左足を上げ、片足立ちになってアナスタシアに向き直った。
「待っていてくれてありがとう。こんな感じで良いですか?」
「───ああ、次で決めよう」
アナスタシアは剣を頭上高く掲げ、好敵手に捧ぐ最後の一撃を準備した。エイルも両の拳を頭上に振り上げ、大きく息を吸った。
「コォォオオオオッ!ホォッ!」
叫びとも悲鳴とも違う何だかよくわからないものに、店内が「何だ何だ?」とざわつき、アナスタシアも目を丸くしていた。
「ア、アレクス君······あれは······エイルさんはどうかしてしまったのか?」
「あれはイブキです。イブキは呼吸を整えると共に、気持ちを一新する効果があります。エイルさんはまだ諦めていません!」
片足立ちのエイルの両手は、ガードを解いてだらっと垂れ下がり、誰がどう見ても隙だらけな格好をしている。だが、エイルの目は一切の隙を見せることなく、アナスタシアを捉えていた。
(気圧されたが······終いだ)
アナスタシアはエイルに詰め寄り、それまでよりも半歩間合いを詰めた。これは五体満足の状態のエイルの間合いギリギリで、単純にアナスタシアの剣がより深く斬り込める間合いだ。
この間合いでエイルの左肩から右の脇腹へ剣を走らせる。エイルの脚が健在なら、反撃を警戒してこんな大胆な事は出来なかった。
エイルはアナスタシアの目から視線を外さず、木剣を振り下ろす為、筋肉に力が入るタイミングを計る───
アナスタシアの腹から胸、胸から腕へ、筋肉の収縮が伝わり、頭上の木剣がピクリと動いた。
エイルは瞬間的に腹を張り背を反らせ、その勢いで左の拳を跳ね上げ、打ち上げた拳を木剣の腹に叩き込み振り抜いた。
バッキィ!
木剣は乾いた爽快な音を立て、真ん中から真っ二つにへし折れた。そんな勢いで木剣を横から煽られたアナスタシアはバランスを崩し、更に半歩エイルの間合いへ、余計に踏み込む事になってしまった。
それはエイルには嬉しい誤算だった。少し右手を上げるだけで、木剣の柄を握るアナスタシアの手がそこにある。
エイルはアナスタシアの手ごと木剣の柄を右手で掴み、倒れ込みながら更に左手でガッチリ捕まえ、二人仲良く床に転がった。
そこからはエイルの独壇場で、エイルは左に寝返りをうつ様にアナスタシアを巻き込んで転がり、流れるよう重なり押さえ込み、腕力に任せて折れた木剣をアナスタシアの首に押し当てた。
「ふぅ、俺の勝ちで良いですか?」
「ああ。······退いてくれないか? 苦しい······」
「あ、これは失礼!」
エイルが立ち上がると、店内は大きな拍手と歓声に包まれた。
店内が盛り上がる中、アナスタシアはフリーディアの前で両膝をつき頭を垂れて、その姿で場の興奮を冷ましていた。
「近衛隊長アナスタシア、何も咎める事はありません。顔を上げなさい、皆さんが畏縮してしまいます」
「はい」
アナスタシアが起立をすると、フリーディアは「隣に着け」と視線を送った。
「エイル、とても素晴らしい闘いを見させていただきました。貴方の事は第三王子妃、エルミアーナ姉様から聞いておりました。
途中、話にも聞こえましたが、貴方はギルドの天啓の儀で、カクトーカ、と言うものを授かった様ですね。少し詳しく聞かせていただけますか?」
「は、はい! ええ、と、その───」
エイルは王女の取り巻きの様子をチラチラと伺った。なにせ今の今まで庶民生活を堪能していたので、超VIPに対する礼儀など、全くと言っていい程弁えていなかったからだ。
「多少の失言には目を瞑る。続けろ」
エイルの気持ちを察したアナスタシアが、「わざとじゃなければ良い」旨の言葉をかけた。
「ありがとうございます。そうですね······何から話しましょうか───」
エイルは格闘とは、空手とは、柔道とは何かを、なるべくここの言葉に訳して伝えてから、日々の修行、今では弟子との稽古の事を話した。この町の住民や冒険者達も、王女様が真剣に耳を傾けているので、話に水を差すことなく、初めてまともにエイルの話を聞くことになった。
「そうですか、毎朝欠かさずに───それが貴方の強さの秘訣なのですね。己を心身共に鍛え抜く。アナスタシアも日々時間を作り、剣を振り鍛えておりますが、少しばかり及ばなかった様ですね」
「いいえ、私が脚を斬られたとき、あのまま攻められれば私は負けていました。私が勝てたのは、アナスタシア隊長に情けを掛けていただけたからです」
「それはアナスタシアが“もう勝てる”と傲り、貴方を侮ったからです。ですが、私もあの状況から逆転出来るとは思ってもいませんでした。今もまだ気分が昂揚したままです! 是非、国王と兄様達にもこの感動を味わっていただきたいものです!
───決めました! 王都で催しを開きましょう! それぞれの領から手練を集めて······国防軍も参加させましょう! きっと良い刺激になるはずです!」
(何言ってんだこの王女?)
エイルだけではなく、近衛隊長のアナスタシアでさえ、王女フリーディアの突拍子もない発言に呆気に取られていた。
「エイル、勿論参加していただけますね? アナスタシアも、活躍を期待していますよ!」
((え!? もう決定事項なの?))
「さてアナスタシア、私達はお暇致しましょう。皆さん、お体を大切に、お酒と喧嘩は程々にしてくださいね」
フリーディアは取り巻きを引き連れて、民に見送られ店を後にした。フリーディアの姿が消えると、近衛隊の女兵士が大将の元へ走り寄り、可愛らしく盛り付けられたフルーツと麻袋を交換し、王女の後を追ってホテルカロアリギアに走って行った。
王女一行が去った店内は、テーブルが元の位置に戻され、麻袋の中身で全員に酒が振る舞われ、さっき見た新鮮な酒の肴で盛り上がっている。
エイル達のテーブルには、いよいよやっとようやく、格闘技に興味を示した者達が、入れ代わり訪れて話をしていった。
エイルは「やれやれ、面倒なことになった」と言った感じだが、アレクス、ベル、ミーアの三人は、鼻高々にエイルとの冒険譚を吹聴し───
イリシュは「私はエイルの勝ちを認めない!」と、武闘派な冒険者達と、あーでもないこーでもないと、闘いの評論を繰り広げ───
スズのところへは、滅多に見ない珍客に人が集まり、最初はスズへの個人的な話が、やがて武具の手入れや専門的な話に内容が移り、翌日からアーロイ武具店は客足が増える事になった。
王女フリーディアが現代人だったら、趣味はスポーツ観戦(特に格闘技)でしょうね




