第10話 雷の如く
賊の男を殴り倒した、黒地に手足と鼻が白の猫型獣人の女は、駐屯兵達から武器を向けられると、棍棒を捨てて強く叫んだ。
「助けて!私はコイツラに無理矢理連れて来られたの!」
「信用しちゃ駄目よ」
「わかってるって」
テントの裏に隠れている角山犬を警戒しながら、賊を拿捕するためにエイル達はテントの前に集まった。
「私はコイツラの仲間じゃない!私の家は国防軍に納める魔獣を育てているの!それをコイツラに目を付けられて、角山犬がもう一体欲しいからって、無理矢理───!言うことを聞けって······酷いこともされて!うっ······ううっ!」
女が啜り泣き始め、場は気不味い雰囲気に包まれた。よく見れば着ている服も、破かれた所を雑に応急修理した跡が残っている。
「いやあ、こいつは······」
「嘘をついてる風には見えませんね······」
「エイルさんまで······まだ魔獣が居るし、矢を射る間隔から、この女も射ってた筈よ?隙を伺ってるだけかも知れないわ」
獣尾の女兵士はまだ疑っている。猫型獣人の女は、首から血を流し動かなくなっている角山犬を指差し、大きく声を上げて泣き出した。
「あーあ、やっちまったな」
「ぬぅ······」
「まあ何にせよ、この女が白だろうが黒だろうが、詰所までは連れて行くからな。───武器を隠していないか見てくれ」
「ハイハイ分かりました。ちょっと体触るわよ?」
テントの裏に隠れている角山犬の警戒を男達に任せて、獣尾の女兵士は女の所持品検査を始めた。女を立ち上がらせ、検査者が比較的安全な背中側から手を回して検査を進めていく。検査が腰まで進み、後は下半身になり、獣尾の女兵士はしゃがんで検査の続きを進めようとした。
「いたっアッ───」
獣人の女の尻尾が獣尾の女兵士の首に触れると、女兵士がビクッと身体を硬直させ、意識を失い地面に倒れた。
「ルフルー!」
獣人の女が何かを叫びながら自分の服を破り、手際良く獣尾の女兵士に巻き付け抱えると、テントの裏から飛び出してきた角山犬に跨り颯爽と逃走を始めた。
「あんのヤロー!」
「待て射つな!追え!」
「アハハハハ!騙されてやんのバーカ!邪魔されたけど、この女を売っぱらって少しは儲けさせて貰うわ!」
獣人の女は角山犬を蛇行させ、立ち並ぶ木々と獣尾の女兵士を盾に使って逃げて行く。
「おい、魔獣を貸してくれ!」
「え、ええ、構いませんが、鞍は付けていませんよ?」
「ああ良いぜ。俺のケツがあいつに追い付くまで持ってくれればいい!」
坊主の兵士は角山犬に飛び乗り、獣尾の女兵士に追い付くべく角山犬を疾走らせた。
国防軍では騎乗は必修科目に入っており、正規兵になっている者は、ギルドの天啓の儀で『騎士』を言われた者程の才能は無いが、一定以上の騎乗の腕前は担保されており、自分の才能に特化した者が集まる冒険者に対して、国防軍は広く一定以上の成果を求める構成になっている。
「俺も行きます!」
「エイルさん、あんた魔獣には乗れ───何だその格好は?」
エイルは両手を地に付けて右足を踏み出した姿勢、クラウチングスタートの姿勢を取っていた。丹田に気を溜め姿勢をより前傾に、なるべく地面に平行に持っていく。
「───フウッ!」
エイルは短く息を吐き、気合いの一歩を蹴り出した。
靴底の土がアーチを描いて、ひと蹴りで10メートルは跳んだだろうか。エイルは続けて二蹴り、三蹴りと大地を蹴り、緩い放物線を描いて跳躍する。
(まだ上に向う力が強い······これはただのロスだ。柔らかい土で力が逃げるのもロスだ。アレクスはエリーを担いでたと言っていたが、何か······)
何か重い物でも抱えて走ろうか?ビオンの様に四つ脚で走ろうか?───ここは森の中、エイルの目に丁度良さそうなものが大量に映った。
(太い幹なら全力で蹴り込む事が出来る。───真っ直ぐじゃない、次に繋がるのはジグザグだ。ジグザグで良い。それで前に進める───より強い力でより速く!)
エイルは木の幹に跳び乗り、両足でしっかり踏み込み、地面と水平に跳躍した。
(ウッハ!)
エイルは目に映る世界の速度感に歓喜し、昂揚した。視界の半分近くはスレスレの地面だ。それでいて障害物は多い。そんな中、それを躱す安全なルートを瞬時に選択し、地面を蹴って次の木まで勢いを殺さないように跳び、そしてまた木を強く蹴り、大きく跳躍を重ね、更に加速する事ができた。
「お~い、お前本当に人間かよ?」
エイルは雷光型の軌跡から、『雷光』と名付けたこの技術で、先行した坊主の兵士と角山犬を追い抜き、先を行く獣人の女との距離を、あっと言う間に詰めていく。
「ちょ!?はああ!?何なの?何なのアイツ!?人間でしょ!何で追いつけるのよ!イカレてんじゃないのお!?」
人間と角山犬が並走するという有り得ない状況に、獣人の女は驚きの声を上げた。
「その人を返して貰う!」
二度、三度とすれ違い、そして軌道が一致した絶好のチャンスに、エイルは獣尾の女兵士を掴もうと手を伸ばす。その状況に獣人の女から焦りは消え、鼻で笑うと一本の矢を握った。
「はんっ!アンタ殆んど真っ直ぐしか進めないでしょ?バッカじゃん!」
獣人の女の見立ては正解だ。そして2メートルも無い距離で足も地に付いていない状況では、目視での回避など不可能だった。
(───矢!?何処だ?何処に投げる?───否、投げる瞬間に合わせる───今っ!金剛!)
獣人の女はエイルの太腿を狙って矢を投げた。「これで終わり、さよーなら」獣人の女は、倒れるエイルにそんな事を言おうと思っていただろう。
「───はあ?」
エイルの太腿は音も無く鏃を弾き、平然と次の一歩を踏み込んでいた。
そして遂に坊主の兵士が追い付き、エイルと共に並走した。
「最悪ッ!なんも成果無しなんてダサ過ぎ!」
獣人の女はエイルと坊主の兵士に見せつけながら、獣尾の女兵士の上衣を全部引っ剥がした。
「な?なにぃ!」
「この女の綺麗な胸、しかっり見ときなさいよ!このまま転がしたら、とても見られたもんじゃなくなるからさ!」
そう言って獣人の女は、相棒の角山犬を跳ねさせ、高い位置で獣尾の女兵士を放り投げた。
「くっそ!」
「間に合え!」
獣人の女は、獣尾の女兵士をそのまま地面に転がした場合は、諦めて報復の方を優先される可能性を考慮して、エイル達なら“仲間を見捨てない”と判断し、庇護欲を刺激する状態で放り投げていた。
その読みは的中し、上半身を晒して地面に向かって行く獣尾の女兵士に坊主の兵士が飛び付き、肌に傷を付けないように抱き締める。
エイルは金剛を使用し、全身の強度を上げて獣尾の女兵士を抱いた坊主の兵士と地面の間に滑り込み、更にもう一枚の緩衝材の代わりになった。
「この鎧と服だけ戦利品でいただいてくよ!じゃあね!」
「イテテ······おい!エイルさん、大丈夫か!」
「俺は大丈夫です。それより───!」
「······大丈夫だ怪我はない。気を失っているだけだ」
エイルと坊主の兵士は立ち上がり、走り去って行く獣人の女の背中を見送った。
「逃げられてしまいましたね」
「ああ、相当な手練れだ」
───時は進み、領主が王都から帰り、エイルは今大将の店に居る。
「だーはっはっは!エイルお前!結局女のおっぱい見ただけかよ!」
「見ただけって······オルフお前なあ······」
「エイル、おっぱいの話はベルちゃんにはしたのか?」
「······」
「「にやにや」」
領主一行と護衛の兵が町に帰って来て、エイルの臨時の任は解かれて日常に戻り、エイルは大将の店でオルフとファルと飲んでいた。
あの後捕らえた男達から聞いたところによると、あの獣人の女は男達の仲間ではなく、「エプリー」と言う名の、スリや泥棒で最近王都で名を上げてきた女盗賊と、相棒の角山犬の「フルール」のコンビだった。
そして今王都の闇奴隷業界では、アルトレーネ領民に高値をつけるヤツが居るようで、男達がエプリーに儲け話を持ち掛けていた。
「ははは。まあ、駐屯さんも無傷で流石じゃないか。それより、明日ギルドで領主様から重要な話が有るんだろう?」
「そうらしいな。俺達のところはアレクスが出るが、領主様から直接依頼が有るって事か?王都から帰った後だし、厄介毎じゃなければ良いが······」
エイルのその期待を他所に、アルトレーネ領は厄介事に巻き込まれるのだった。
この話の下書きをしたのが4月1日でした。




