第3話 アルトレーネの風景③
エイルはいつもの時間に目が覚めると、冷え切った顔を布団に埋めたくなる衝動を抑え、隣で眠っているベルを起こさないようにそっと布団から出る。
エイルが布団から出たところで、折角の熱を逃すまいと、ベルが布団を手繰り寄せて丸くなった。エイルはこれから朝の稽古に行く、尤もこの時期は弟子が誰一人として参加しないので、稽古ではなく修行である。
エイルの朝は、パーティーの家の暖炉に薪を焚べる事から始まる。これは実家で修行していたときからの習慣で、せめてもの親孝行でやっていた事だ。エイルは魔法が使えないので、ドワーフの鍛冶屋タングから、打つと熱を持つ赤熱鋼の欠片を買って火種にしている。カンカンと軽く金鎚で叩いて、赤味を帯びた赤熱鋼に木屑を乗せて火を起こす。
薪に火が移ったのを確認してから、エイルは家を出た。
「さっむ······今日は一段と白くなったな」
外は、はらはらと雪が舞っていて、木々は雪化粧をして白い花を咲かせている。エイルは一番好きな風景を楽しみながら、雪掻きのシャベルを担いでいつもの場所までランニングを開始した。
エイルの修行は基本的には年中無休だ。多少の雨や雪はお構い無しで、嵐や吹雪のときは家の中で簡略化して行うようにしている。
弟子がいるときの稽古は、どうしても指導に重きを置いて、自分の修行は疎かになってしまっていた。エイルは弟子達が布団から出られなくなってから、気合いを乗せた打撃、金剛を前提にした防御、弟子達に会ってから習得した技術を使って、規格外の大型の魔物用の型を組んでいる。
「鉄の鎧を陥没させる打撃は、分厚い肉には通用するのか?───手刀での切断、貫き手での刺突······これらも試さないといけないな」
ダンジョンであの魔物に煮え湯を飲まされた屈辱、有望な若者を守れなかった悔しみ、エイルはそれらを型に刻み込んで、再戦や類似の魔物に遭遇した時に備えていた。
修行から帰ったエイルは、玄関で雪を払う。雪の多いこの地域では、良物件になると玄関が外扉と内扉の二重構造になっている。間の空間で雪を払えるし、断熱効果も高くなっている───筈なのだが、他の壁がペラペラなので効果は雀の涙程だった。
「おかえりなさいエイルさん。朝ご飯出来ていますよ」
「ベル、いつもありがとう」
家の中では、ベルが竈で料理をしながら暖を取り、アレクスとイリシュは暖炉の火にあたって暖を取っている。エイルはベルと協力して、鍋と皿を暖炉の前に移動させた。食事用のテーブルはあるが、結局のところここが一番暖かいので、寒くなってから気が付けば暖炉の前が定位置になっていた。
「エイルさん、お疲れ様です!本当によく外なんかに出られますね!?」
「習慣になってるからな。慣れればなんてことないぞ?」
「慣れない、寒い。エルフの森、暖かい」
少し厚着をして暖炉に手をかざしているアレクスと、毛布を頭から被ってブルブル震えているイリシュ。多少肌寒い季節はあるが、比較的気温が安定しているエルフの森出身のイリシュは、当然冬など体験するのは始めてで、今まさにその歓迎を受けているところだ。
「あっつ!───ハフハフ!あっつ!ああ、温かい」
朝食の煮リンゴ入り野菜スープが入った器で、先ず手を温めてから、スープを啜り野菜とリンゴの甘みが溶け合ったスープを味わい口を温める。大き目にカットされた具を口の中でハフハフ転がしてから飲み込み、仕上げに適度に冷めたスープを流し込んで身体の芯から温める。
朝食を食べ終わり、今度はエイルとベルが暖炉の前に陣取り、アレクスとイリシュが食器の片付けを行う。これがここ最近のパーティーのルーティンのひとつになっていた。
「さて、アレクス。そろそろ行こうか?」
「ええ!?もうちょっと!もうちょっとだけ暖まりたいです!」
「駄目だ。そのもうちょっとは信用できん」
「エイルさん、行ってらっしゃい。家の周りは掻いておきますね」
エイルは嫌がるアレクスを連れてギルドへ向かった。
秋から冬は冒険者が減る時期だ。秋は収穫の時期になるので、農家との兼業をしている大半の冒険者は休業になり、例年依頼に対して冒険者が不足している。今年からは他所の冒険者が来ることで、冒険者の供給は満足出来ていたが、冬はまた毛色が違ってくる。
他所の冒険者は定住者では無いので、冬になれば地元や、少しでも過ごしやすい地域へ移動していってしまう。それに雪で物流が止まり、人も好き好んで外を出歩く事も無くなる。
ギルドも依頼を持って来る者と依頼を受ける者が減り、それによる業務量の低下に伴い出勤する職員も減って、冬は出勤した者が暖炉を囲んで暖を取っている。
害獣駆除の依頼が貼られる事が無くなるが、そこは町の魔獣達が食料を得るため狩りをするので勝手に駆除される。過去に魔獣の餌を備蓄したことがあったが、その時は魔獣が怠けて狩りをしなくなってしまったので、餌の備蓄は規則で禁止された。
ダンジョン探索も、雪でダンジョンまで行くのが大変になるので、冬の季節のある地域は拠点を撤収し、ダンジョンの魔物や鉱脈の回復期間に充てている。
エイルとアレクスがギルドの扉を開けると、暖炉の前に集まって暖を取っていた職員達が、一斉に「さっさと閉めろ」オーラを出して、二人を迎え入れた。
職員達の中にはアンナと、前任の代わりに赴任してきた女性ギルド長『ユリア·ユースティティア』が居た。23とまだ若いながらも、ユースティティア家というギルド本部に近い関係の名家の出自で、ハーフエルフと間違う濃いクリーム色の髪の人間種だ。
「エイルく───エイルさん、お待ちしておりました。依頼はこちらにあります」
エイルを見つけたアンナは、暖炉の近くに置かれた机に並べられた依頼書をエイルに紹介した。
「雪掻きと、猪の狩猟と······雪坊主の採取か。···ん?この猪、ミーアが依頼主になってるぞ!?アレクスどうする?」
「ミーアとビオンなら直ぐに猪を見つけられそうですから、ミーアの依頼にしましょう!」
エイルもアレクスも、正直に言ってしまうと冬の依頼は乗り気ではない。寒いし、足元は悪いし、脂が乗って今が旬の猪も、自分で食う分ならまだしも他人の食う分をわざわざ雪の中に入ってまで獲りたくは無い。
今日もギルドから「依頼主が餓死してしまうので、どうしても!」と頼まれなければ帰るつもりでいたが、他でもないミーアの出した依頼だったので受ける事にした。
「承知致しました。ミーアさんは、領主様の館で待っています。······それとエイルさん、雪坊主を見つけたら採ってきてください!」
「依頼にもあるやつだな。珍味だと聞くが、アンナ君、職員が個人的な依頼をするのは見過ごせないな」
アンナがエイルに個人的な依頼を出したが、それにはギルド長のユリアが直ぐに待ったをかけた。
「いやいやギルド長、そんな堅い事言わずに一緒に食べましょう!」
「そうですよ~。お肌が艶々になるんですよ~」
「つやつや······いいや、駄目だ。規則は規則だ」
あと一押しといった感触に、アンナと同僚の女性職員はぐぬぬと呻った。
「まあ、見つけたら勝手に採ってくるよ。ギルド長も是非食べてみて下さい、きっと驚くと思いますよ」
「さすがエイルさん!勝手なら仕方ないですね!」
「これでギルド長もつやつやのすべすべです〜」
「冒険者の採取物を横領······にはあたらないか。あまり褒められたものでは無いが、(つやつやのすべすべか······)エイルさん、依頼に支障の無い程度に宜しくお願いする」
今までも毎年、雪坊主のお裾分けはこっそり行なわれていたが、今季からは女性のギルド長に変わった事もあり、女性職員が大っぴらに行動を起こした。ギルド長ユリアも美容に良いと聞いて満更でもなく、これは個人同士のお裾分けだと、特に咎める気は無くなった。
暖かいギルドを出発したエイルとアレクスは、領主の館でミーアとビオンと合流すると、ビオンの冬場の狩りの練習に雪深い森へ向かった。




