第2話 アルトレーネの風景②
日を新たにして、お天道様と一緒に起床して日課の稽古に向かう。あれからこの稽古の顔触れも少し変わっていた。アレクスの友達のロックが「俺も強くなりたい!」ということで稽古に参加するようになり、ミーアもビオンを連れて来るようになった。
「おはようビオン!おいで!」
「ワウ!」
ビオンは勢い良くベルに飛び掛かった。まだまだ子供だが、大きさは大型犬と同じくらいのサイズになっている。力加減がまだ出来ていない所があり、ベルを押し倒しているが、ミーアが身を呈して牙と爪と二本の角の危険性を教えた事で、その辺には配慮することが出来る様になっていた。
「ガルルよりもずっとやんちゃな子だよー」
と、ミーアが言っているように、エイル達が稽古を始めるとビオンは毎回、双尾猫のティム、巨眼鳥のマブロ、そして王山猫のリッキーに戦いを挑んでいる。
リッキーの威嚇にも物怖じせず、マブロがホバリングして逃げても果敢に飛び上がり、一番体躯が近いティムは、ビオンがリッキーに甘噛で引き離されるまで、戦いごっこに付き合わされていた。
エイルはビオンに感心するところがあった。それはベルとシュナ、二人の魔人種が言うのだから間違いがない。ビオンはなんと、気の使い方を覚えたというのだ。
ビオンの呼吸は犬の様な「ハッハッハッ」という短いものから、大きく吸って大きく吐く丹田呼吸のものに変わっていた。ビオンとしては、母親代わりのミーアの真似をしただけだと思われるが、そこから誰に教わるでもなく、脚力の強化等に利用しているのだから恐ろしいものだ。
「アレクス、今日はビオンに狩りを教えようと思ってるから手伝って欲しいんだよー」
「ミーアごめん。今日はベルの家の果樹園とミーアの家の果樹園の手伝いを頼まれてるんだ」
「そうだね、忙しい時期だったよー。私の家からも頼まれたんだね。ありがとうだよ」
「ごめんミーア、折角ビオンの狩りに誘ってもらったのに······」
「ベル、しょうがないよ。熟し過ぎても良くないからね。ビオン、狩りはもうちょっと我慢だよ」
「ワウン?」
「じゃあ俺がパナテスさんに頼んでみるよ!フォスさんは賛成してくれると思うし、同行出来ると思うぜ!」
「は~ん!私だってオルフに聞くし!ロック!どっちが先にミアの依頼取るか勝負よ!」
「シュナは私達と一緒に収穫じゃなかった?」
「あ───」
この稽古もまた活気を取り戻して、更に全体のレベルも上がっている。女同士で組み手をさせると、中々良い試合を見ることが出来る様になっていた。
中でもミーアの柔軟な身体から繰り出される体術には目を見張るものがあり、ロックと組み手をしてみれば、ミドルキックでダウンを取ってしまう程だ。気合無しでも成人男性が悶絶するなら、ミーアは並の暴漢3人くらいなら平気だろう。
ミーアにやられたロックは、今日もアレクスに果敢に挑んで地面に転がされている。
「おーい、アレクス。攻撃は控えて打たせてやれ、負ける感覚ばかり覚えてしまうぞ」
「分かりました!ロック、俺はコンゴーを使うから全力で来い!」
「チクショー!それ殴った方も痛いんだぞ!」
「キアイで殴れば痛くないぞ。痛いのが嫌なら早く覚えろ」
アレクスも先輩風吹かせて楽しそうだ。エイルは楽しそうな二人から、退屈そうな期待のルーキーに目を移した。
「さあ来いビオン。───お手!」
「ワン!」
ドシッ!っと、ビオンの前足がお手の音じゃない音を出し、エイルの手のひらに置かれた。もうちょっと大きくなれば、軽くお手をしただけでゴブリンの首をもぎ取れそうだ。
「良し!次は、あんよ!」
「ゥワウ!」
ビオンが跳躍して反転し、エイルの腹に後ろ足を揃えて強く踏み込む。
「───ッフ!」
ズン!と腹を蹴り込まれ、エイルは少し仰け反った。これはミーアにひたすらドロップキックをさせる事で、覚えさせる事に成功した技だ。ビオンはただ両足を揃えて飛び付くだけでなく、しっかり蹴り込んでおり、凄まじい戦闘センスを発揮していた。
稽古を終え支度を整えて、収穫の手伝いの為にベルの家へ向かった。ベルの実家のあるサリ村の人口は100人程度で、お互い顔を知らない者が居ないような村だ。駐屯兵が詰めている町から離れているのもあって、賊や魔物に襲撃され易そうなものだが、魔獣を飼いならす事で、村人の生命や財産への被害を防いでいる。
今も一体の角山犬が、森の中からエイル達の動向を伺っている。人に対しては監視だけで、不審な行動を取らなければ遠吠えで通報される事もない。
今の村の角山犬は、ひとつの番とその子供3匹の計5匹が飼われている。
ベルの家での収獲作業は順調に進み、お昼頃にはミーアの家の果樹園に移動した。
「娘がバカな事をしでかして御迷惑をお掛けしました!」
着いて早々、エイル達はミーアの両親からの謝罪の言葉で迎えられた。十中八九エルミアーナの胸倉を掴んだときの事だろう。
「お父さん、お母さん、私達は誰も迷惑だなんて思っていませんよ。びっくりはしましたが······ミーアは素直に罰を受けましたから、誰にも迷惑をかけてなんかいません」
ベルがミーアの両親を慰める。ミーアの父は翅を持った魔人種で、母は人間種だ。翅を持った魔人種は大食いの傾向にあるが、ミーアの事件を聞いたときは3日は禄に食べる事が出来なくて少し痩せたらしい。
リンゴ畑ではミーアの兄が、木に梯子を掛けて高い所の収穫をしていた。ミーアの兄は人間種で、「いつも飛べるミーアが高い所を取っていたのに」と、少し愚痴っていた。それから間もなくして鳥人種のベルの兄が手伝いに来たので、ミーアの兄は気を良くして作業を続けた。
この日も大量のお土産と、ミーアへの果物の仕送りを預かって町へ戻った。夕食は大将のところに行こうと決まり、騒がしい通りに入って、騒がしい店の扉を開ける。
先ず目に入るのは、腕を組んで店内に睨みを効かせる大将と、忙しなく働く大将の趣味で集められた獣人種の女の子達だ。
エイル達は大将に顎でテーブルへ案内され、料理を注文して、焼きチーズを摘みにブドウ酒のぬる燗をチビチビやって料理を待つ。少し肌寒くなってきたので、お湯割りや燗付きが出るようになった。
ベルは「割ると味が薄い」と、イリシュは「アルコールが薄い」と、ぬる燗を飲んでいる。アレクスとシュナは酒の進みが早いので、お湯割りで薄くしておかないと大変な事になってしまう。
この店も他所の冒険者が入るようになり、常連と合せて手狭になった。大将も新築で移転するか、隣の自宅を潰して店を増築するかで悩んでいる。
それと大将だけの問題で無い悩み事がまだあった。
「あ~、エルフのお姉さんだ〜。エルフのお姉さ〜ん、俺達と一緒に······あ」
知らない顔の男がイリシュに後ろから声を掛けて、振り返ったイリシュの顔を見て言葉を飲んだ。イリシュは顔の火傷の痕を、眼帯から下は「男除け」としてわざと露出させている。それが功を奏して、男は一言二言ゴニョゴニョと何かを言って、自分の席へ戻って行った。
エイル達のテーブルは事なきを得たが、他のテーブルでは一悶着始まった様だ。いつもの様に場を仕切る親が出て来て、テーブルが除けられていくが───ガッシャーン!とテーブルの倒れる音と、女の悲鳴が上がり店内がざわついた。
他所の冒険者がテーブルを蹴飛ばした様だ。トルレナの住民の中では当たり前になっている喧嘩賭博に、乗って来ない冒険者が出てくる様になっていた。こうなってしまうと常連客も黙っては居られず、一触即発の空気になってしまう。
「オウっ!エイルゥ!アイツ等叩き出せ!」
ざわつく店内に大将の怒声が響いた。しかもエイルのご指名付きだ。
「いやあ大将、ここはもっと平和的に······」
「お前等5人はタダだ!」
(······へ?)
「エイルぅ!私、タダが良い!」
「エイルさん!気をつけて!」
「エイル、ゴチソーサマ」
「ああ、その······エイルさん。俺もタダにしてもらえるならその方が良いです。頑張って下さい!」
大将に外堀を埋められたエイルに選択肢は無かった。
「ヒャア!エイルの喧嘩だア!コイツは賭けにならねえぜ!」
「ここでエイルか!タイショーキレてんなー!」
「店の女の子の尻尾触って、テーブル倒して皿割ったんだ。そりゃあキレて最高戦力投入よ!」
「そこの女共、お仲間の男共のゲロ片付ける準備しておくことね!」
久し振りにエイルの戦いを見られると、常連客達は大いに盛り上がり始めた。騒ぎを聞き付けた駐屯兵も、取り敢えずは観戦してから仕事をするようだ。
(······もうやるしかないな。軽くあしらって飯の続きだ)
まだまだ秋も中盤、これから世界が白く染まるまでは、アルトレーネ領トルレナの町は冒険者で大いに盛り上がるのだった。




