第6話 修行の賜物
「(エイルさんは、魔法を使わないのですか?)」
「(使えないな。指導してもらった事もあるが、俺からは魔力を感じないそうだ。ああ、なんか魔力っぽい何かとか、酔えない酒とか、魔人種からはそんな事を言われた事が有るな)」
魔法の得手不得手は人それぞれで、大半の人は何かしらの立場、場面で魔法を使って生活しているが、中には魔法の扱いが不器用過ぎて上手く扱えない者や、不器用の域にも至らない者もいる。
魔法が得意な者は、自分の魔力の濃淡や周囲の環境の魔力濃度を感じることが出来、更に経験を積むことで人や魔物の魔力の濃淡を感じ取り、魔法攻撃の予測も出来るようになる。
ベルカノール達魔人種は更に、他の人種には見られ無い魔力を五感で感じ取り表現する能力がある。ベルカノールは今までに魔力が全く無い人や生き物には合った事が無かった。ただ、エイルからは今までには無い感覚を感じていて、それを確かめる為にエイルの腹に軽く手を触れていた。
「(───お酒のことは分からないですが、味のしないお茶ですね。音の出ない楽器とか冷えない氷とか···エイルさんも魔力は持っています。ただ、魔力が変質している様に思えます)」
「(───使い物にならないってことなのか?)」
「(い、いいえ!そんな使い物にならない事はない······と思います)」
ベルカノールはエイルの身体で一番魔力らしきものが濃い場所に触れれば、多少なりとも答えが出てくるかと思ったが、結局何も分からず終いだった。
エイルが規則正しい生活をし、体を鍛え、技を磨き修行をするのは、心技体を鍛え邪道外道に落ちないように、正道、即ち人の道を空手道とし歩む為だ。前世で日本にいたときは、社会に縛られ趣味程度で終わっていたが、この世界は時間という面では自由だ。道を歩むにはお誂え向きな世界は、エイルにとって都合が良かった。
その結果、元々魔法の才に乏しかったエイルの身体は、いよいよ魔力を嫌うに至たってしまった。魔の抜けた力は、魔力としては使い物にならないのだ。
ベルカノールはエイルの腹に触れている自分の手を見ていると、ハッと我に返りエイルの腹から手を退けた。
「(ごめんなさい、さっきから私、ずっとエイルさんのお腹を触っていて。気になったのですが、エイルさんが呼吸をする度に何故お腹が動くのですか?)」
「(ん?ああ、これは『丹田』呼吸法と言って、『丹田』に『気』を集める呼吸法なんだ。ああ『丹田』って言うのは─────)」
エイルは息吹呼吸法だけでなく、『気』を高めるために、常に丹田呼吸法を意識して行っていた。この世界には意識して腹で呼吸する考えは無く、人体に任せて普通に肺呼吸をしていた。
「(俺は、この呼吸法で得られるもの······得られていると思っているものを気と呼んでいるんだけど、これが味のしないお茶なのか?)」
「(キ···ですか?その言葉は初めて聞きました。魔力との違いはよくわかりません。ただ、色はとても澄んでいて、綺麗な魔力の様に感じます。──それって私にもできますか?)」
「(できるよ)」
エイルは、ベルカノールを仰向けに寝かせ、彼女の手を下腹部に置いて、その上に自分の手を重ねた。
「(ここを意識して膨らませる様に、ゆっくり大きく吸って大きく吐く、それだけだ。)」
スウゥゥ、ハアァァとベルカノールが呼吸を始めた。何だか弟子が出来たみたいで、エイルは少し嬉しくなってしまった。
「(───今までと同じ魔力しか感じません。私にはキを作れない様です)」
エイルには魔力を感じると言う感覚が分からない。気ですらも自分で言う割には分かっていないのだ。ベルカノールは残念そうな表情を浮かべているが、ただ腹を膨らませれば良いわけではなく、丹田呼吸法の奥義は精神面にある。
「(呼吸を意識して、他の雑念を捨てる事から始めるんだ)」
そう言ってエイルは、ベルカノールの太腿の傷の近くを指で軽く突いた。折角少し慣れてきた痛みに意識が向き、ベルカノールは顔を歪めエイルを軽く睨んだ。
「(自然体の精神と言って、今俺達が生きているこの世界の自然の様に、ありのままを受け入れ何事にも動じない心、『無我』······人の心の衝動を捨てて、自然の様な寛大な精神を持つ事。それを習得する事が丹田呼吸法の奥義だ。痛みもそうだ、痛みもありのまま受け入れる。···ちょっと抓ってみてくれ)」
エイルはベルカノールに腕を差し出した。ベルカノールはさっきのお返しとばかりに、躊躇無くエイルの腕の肉と皮を摘んで徐々に力を入れていく。だいぶ力が入ったところで、ベルカノールは確認するようにエイルの顔を覗いた。
「(本当に痛く無いんですか?)」
申し訳無さそうに聞いてきたベルカノールに、エイルは素直に感想を言った。
「(うん、メッチャ痛い。俺も修行が足りないな、今のは痩我慢だ」
「っぷ!あはは!何ですかそれぇ!?信じちゃったじゃないですか!」
ベルカノールがうっかり声を出してしまい、落ち葉を踏み枯れ枝を圧し折る足音が、自分達に向いた事に二人は気付いた。
エイルはベルカノールの失敗を分かち合うために、ベルカノールはどうしたら良いか分からなくなって──笑った。次第にベルカノールの笑い声に嗚咽が混じり涙が流れた。エイルは彼女の震える手をそっと握り話しかけた。
「やることは分かるね?バレてしまったなら、こっちから遠慮無く助けを呼べる。仲間を信じて、信号魔法を空高く撃ちまくるんだ」
ベルカノールは唇を固く結び、酷い顔で力強く頷いた。冒険者なんて四六時中仕事をしている訳ではない。それはエイルの仲間も同じだ。エイルはベルカノールを背負い、暇であろう仲間を信じて飛び出した。
エイルの動きを察知したオークも勢い良く飛び降りてきた。幸運なことに進路を塞がれたのは森の奥側だった。上手く行けばこのまま町まで逃げ切れるだろう。エイルは町の方へ向かい走り出し、当然オークはエイル達を追いかけた。
エイルがここへ来たときと同じように、狭い所を通って巻いてやろうと考えているときだった。オークの動きが走るのではなく、何か別の動きをする気配を発した。それを確認するために振り返ったエイルとベルカノールが見たのは、オークが投げて寄越した大剣だった。
間一髪、ブンブン横回転で迫ってくる大剣を、エイルは地面に転がることで何とか回避することが出来た。地面に投げ出されたベルカノールは、太腿を抱えて悶絶しているが状況は好転した。自ら武器を手放してくれたのだ。素手同士ならエイルも戦える。
「ベルカノール、自力で町へ向かってくれ。俺はここでコイツを足止めする!」
今から彼女を背負うなんて選択肢は無い。背負う暇もなく潰されるだけだ。エイルに残された道は、暇な仲間が集まっているのを信じて、敵の足止めをすることだ。
「フッ!」
オークが伸ばしてきた手を避けながら、後ろ回し蹴りを下顎に叩き込んだ。人間相手なら失神K.Oなくらいキレイに決まったが、オークは少しグラついただけだった。
「──ハッ!」
エイルは殴りかかってきたオークの拳を、両手で掴みながら懐に潜り込み、背中とオークの腰を合わせお辞儀をした。勿論、手を引いて頭のフォローなどしない、投げっ放しだ。キレイに決まった背負投げは、着込んだ甲冑の重量ごと、オークを背中から地面に叩きつけた。
エイルが視線を横に流すと、枝を杖代わりにして脚を引き摺るベルカノールの背中と、上空には赤い煙の魔法が大きく花を咲かせているのが見えた。
「ッシャア!」
背中を打ち咽返っているオークの鼻面に、全体重を乗せた足刀を叩き込んだ。バキッ!っと実に子気味の良い音がしてオークが鼻血を吹き出した。
怒ったオークが我武者羅に振った腕に巻き込まれ、エイルは吹っ飛ばされて天を仰いだ。雲一つ無い澄んだ青空には、ベルカノールの二つ目の信号魔法が、赤い煙の花となって滞空していた。
赤は緊急事態を知らせる色として周知されている。これを見たら、捜索隊の編成もお構い無しに飛び出す者もいる。エイルも過去にそうしたし、冒険者なんてそんな気質の者ばかりだ。エイルは仲間に希望を託し立ち上がった。
オークも鼻血が溢れる鼻を抑えながら立ち上がり、視界に自分の得物を捉えると、それを拾うべく走り出した。
だが、初速なら体重と筋力比からエイルの方が圧倒的に速い。走っているオークの背後から、膝裏に足刀を打ち込こむ。オークはド派手にすっ転びガシャガシャと甲冑を鳴らした。
再び立ち上がったオークは、エイルの技に恐れを成して動こうとしない。エイルにとっては、体力を使わずに時間を稼げる最高なシチュエーションだ。睨み合っている間に、空には三つ目の赤い煙の花が咲いた。




