第42話 ミーアのビオン
ベルは今、パーティーの家に居る。
「ごめんなさい。まだ目を覚まさないんです。───ありがとうございます。エイルさんに渡しておきます」
オルフ達がエイルのお見舞いに来たのだが、ベルは他にもエイルに会いに来た者の面会を断っている。
ベルは嘘を吐いている。本当は昨日の夜には目を覚ましていた。しかし、エイルは人に会える状態ではないと、そう判断したベルは嘘を吐いていた。
オルフ達が持ってきたのは、下膨れの形で、紫の薄皮の下に、白くて柔らかい果肉が包まれている果物。この果物は非常に脆く、簡単に潰れて噛む必要が無い事から病人食として重宝され、ギルドに採取依頼が出るのも少なくはない。
ベルはそれを縦に4等分して一つ貰った。皮の端を摘んで口の中に入れ、前歯で挟み、皮を引っ張って果肉をこそぎ落とす。汚い食べ方だが、今この台所には誰の目も無い。口の中の果肉は舌で軽く押しつぶすと、甘い果汁が絞られ、繊維とつぶつぶの種がちょっと残った。
「おいしい」
口の中のものを飲み込むと、ベルはつい感想を漏らした。
ベルはその果物を盛り付けたお皿を持って、男部屋の扉を少し開ける。
「エイルさん、オルフさんとファルさんとシュナから果物を戴きました。───ここに置いておきますね」
返事はない───。エイルは部屋の隅っこでずっと頭を抱えている。
目を覚まして、ベルとアレクスから話を聞いて、声もなく涙を滝の様に流して、それからずっとこの様子だった。ベルはエイルから、あの果物へ視線を移す。
(───エイルさんは、こんなものとは違いますよね?)
◁◁◁
昨日───
いつもなら自分達の町のギルドのAランク冒険者の帰還には、街を総出で盛り上がりを見せるのだが、町からも“赤”は確認されており、エルミアーナと並んで歩くアレクス達の表情から、そんな雰囲気では無い事は住民にもひしひしと伝わっっていた。
アレクスにエルミアーナが付き添って報告をすると、アンナが飛び出し、直ぐにパナキア医院へエイルを送って行った。
キールの悲報を聞いた同い年の茶色の垂れ耳の犬型獣人の受付嬢が、アレクスを慰めに声を掛けてきたが、結局は自分が泣き出して、どちらが慰められて居るのか分からなくなっていた。
ギルド職員とエルミアーナの話が、部屋の片隅で椅子にも座らず、床に座り込むベルの耳に入ってきた。遠くに聞こえる話の内容は、トルレナのダンジョンの等級はAランクに設定されるという話しだった。
ダンジョンの等級は三段階ある。Cランクは比較的楽にダンジョン素材の採取が出来る。Bランクは魔物の出現頻度が高い。Aランクは予測不能の強力な魔物が出現する。町のBランク冒険者までで着実に探索が出来ている事から、トルレナのダンジョンはBランクだろうとギルド内で噂が流れていた。そこであの魔物だった。
エルミアーナはパーティーとギルド職員に、アレコレ指示を飛ばすと、アレクス達をギルドの応接室に案内した。今この部屋にはエルミアーナと、ベル、アレクス、ミーアの四人だけがいる。
「ミーア、君への罰を考えた。」
エルミアーナは唐突に切り出した。ベルは「事情を考慮して許してくれるかも?」なんて考えていたが、そんな甘い人物では無かった。
「ミーア、君をアルトレーネ家の所有物として、我が領地から出ることを禁ずる───」
奴隷を所有物と言い換えただけで、「領地の外に出るな」は、庶民にとっては罰にはならず、ベルにもアレクスにも、当事者のミーアにもエルミアーナの意図が分からなかった。
「───それと、魔物の子の飼育を命ずる。魔物の子を成体まで育て上げ、町の魔獣とし、町を外敵から守れる様にする事」
そう言ってエルミアーナは、机をコンコンとノックした。すると直ぐに扉が開き、オフと呼ばれていた鳥人種の女が、御包みを抱えて部屋に入って来た。
「この子の母親は私が討伐した。動きが鈍くて執拗に腹を庇っていてな。この子が腹の中に居ることに気が付いたのは、母親が息絶えた後だった。臨月だったのだろう、腹を切って取り上げたら、弱々しくも何とか鳴いてくれたよ。そうしたら私もオフも情が移ってしまってな。───どうだミーア、この罰を受けるか?もっと直接的な分かり易いものが良いならそうするが?」
最後の一言を聞いて、ミーアはビクッと反応した。最後に体罰を匂わせて、前の提案を飲ませるつもりなのだろう。
このなんて事無い様な罰は、今のミーアにとってはとても心に重くのしかかる罰だ。子供を亡くした親は、もう親になる事を諦めてしまう事がある。ベルの近所の夫婦がそうだった。
親子では無いが、ミーアはガルルを失った傷が癒える前に、次の魔獣に心変わりしろと言われている様なものだ。
「ガ······ルル······うっ!」
ミーアが口を押さえた。また失う所を想像したのだろう。ミーアは涙目でその御包みの中を覗いている。ベルも少し身を乗り出して中を見てみた。
「ガルル······?」
人の赤ん坊くらいの犬だった。まだ毛は疎らに生えていて、産まれるのが少し早かったのが伺える。目が開いていないのは眠っているからなのか、まだ成長が足りないのか。そしていずれ立派な二本の角になるだろう、2つの突起が額に有った。
「この国には居ない種だ。エヴィメリア王国では双角犬、この子の居た国ではフェンリルと呼ばれている。気性が荒く、騎士にも魔獣使いにも人気が無い種だ。これを育てられるか?」
オフが御包みを机の上に置くと、赤ちゃんフェンリルはグウウっと伸びて大きく欠伸をした。ベルはつい、「かわいい」と言ってしまいそうになった。
「───この子の名前はありますか?」
ミーアが赤ちゃんフェンリルの名前を訪ねた。
「『ビオン』だ。“生命·人生”から取り、私達はそう名付けた」
「ビオン───。受けます······その罰を受けます。私が······ビオンは私に育てさせて下さい。アルトレーネ領を守る事で、エルミアーナ様に対する無礼を償わせて下さい」
「良いだろう。緩怠無きよう勤めを果たせ」
このあとミーアは、パーティーを脱退してビオンの保護に専念することになった。アルトレーネ家の紋が入った首輪を付けられ、アルトレーネ家の管理と庇護を受ける、いわゆる町の為の奴隷になった。
ベルも「もう辞めたい」と思っているのだから、ミーアはもっと強く思っていただろう。しかし、いざとなると、それは中々言えない、言い出し辛い事だ。
エルミアーナは冒険者の経験からそれを汲んで、ミーアに十分な心と体の療養期間を与えると共に、魔獣使いのミーアにビオンを育てさせ、行く行くは領土の防衛力の強化に繋げる。
エルミアーナは、気さくなディオセオスと姉弟と思えない程に、圧倒的な権力者だった。ただその横暴さは、利己では無く、最終的に領民領地の為に行き着く。
ミーアをパーティーから脱退するように誘導したのも、領民と領土を考えての事だった。




