第39話 俺達の声が届いているうちは
「撤退だ!逃げろ!」
エイルが叫び、キールの腕を掴んで投げ飛ばす。
地面を転がって顔を上げたキールと、投げ飛ばされたキールを目で追っていたアレクスは目が合い。その間を、エイルがスッ飛んで行った───
((───え?))
((なにが······?))
「撤退だ!動けぇ!」
アレクスは取り敢えず、エイルが直前に言っていた事を叫んだ。呆けていたベルとミーアは、ビクッ!として我に返り、エイルのところへ走った。
アレクスが魔物の方を向くと、「小さい女の子だと思っていた物」が、空中に振り上げられプラプラとストラップの様に揺れており、「ソレ」が居た場所には、一本の丸太の様な太い触手がドンと横たわっていた。
「(きっとあれがエイルさ───)っぐああ!」
触手がもう一本闇の中から鞭の様に伸び、アレクスが咄嗟に構えた剣を弾き、両刃の剣はアレクスの右肩を傷付けた。剣の刃を叩いた触手の方は、触手の先端が切れ、予期せぬ痛みに闇の中へ引っ込んで行った。
「アレクス!エイルさんが!エイルさんが起きない!」
痛む肩などお構い無しに、ベルの悲痛な叫びがアレクスの耳に届く。
「ベル!ミーア!エイルさんをガルルに乗せるんだ!」
アレクスは力の入らない右腕を垂らして、時間稼ぎの為に、敵の触手の射程ギリギリと思われる場所で我武者羅に剣を振った。
「アレクスどうする?どう戦うんだ!」
キールが駆け付けたが、アレクスにはどうすれば良いか分からない。魔物は丸太の様な二本の太い触手で、巨体をズリズリ引き摺って向かって来る。鈍い───否、巨大な見た目から鈍重に感じるだけで、アレクスとキールの退く足が休まる事は無い。
明かりの下に近付くにつれ、魔物の巨体が照らし出されていく。巨大な平べったい魚の額から一本の触手が伸びて、その先には「今はイリシュに見えるモノ」がぶら下がっている。それが疑似餌で、近付いた獲物を二本の太い触手で仕留め、口に詰め込むのだろう。
「戦い方が分からない!戦えない!」
「全力で走れば逃げられるだろうけど!でもよ!俺は一発かまさないと気が済まねえ!」
「アレクス!キール!エイルさん乗せたよ!早く逃げようよー!」
「よし!みんな走れ!」
待ちに待った朗報だ。アレクスが踵を返して逃げ出すと、キールも渋々アレクスに続く。
アレクスの走る先には、ガルルの両隣にベルとミーアがエイルを支えて並走している。早歩き程度の速度だが、アレクスとキールが追い付いたところで、一緒に支えて走れば逃げ切れそうだった。
ミーアはガルルに「急げ」「揺らすな」と無茶な指示を飛ばす。
キールはいち早くエイルを支えようと、足を早める。
アレクスは髪がゾワっと持ち上がる感覚に、何か胸騒ぎがした。
ベルは何かに反応をした。
「───魔法?」
ベルの呟きがアレクスの耳に届くと一瞬だった。
一瞬、青白い閃光が地面を走ると、ガルルとミーアが倒れた。
「アレクス!ミーアがガルルの下敷きになった!」
(何が起こった?──なんで?──なんでこんなに悪い事が起るんだ?)
アレクスとキールが追い付き、ガルルを退かそうとするが重くて動かせない。ミーアを引っ張り出す事も出来無い───魔物が来る───時間が無い。
「アレクス!?なんで剣を?」
アレクスは探した。何処が良いかを探した。前脚か、後ろ脚か───
「ギャイン!」
ガルルが痛みに飛び起きて、自分が主人を押し潰していた事を理解した。ガルルは右後ろ脚を引き摺ってミーアの顔を鼻で突付いた。
「クゥーン······ゥウウ!グルゥウウ!」
ガルルの表情が怒りに染まり、魔物を睨みつけた。それは自分への怒りか、魔物への怒りか───両方だ。
「アレクス!これを!」
キールがアレクスに、手のひらに収まるくらいの小さな包みを投げて寄越した。
「なんだこれ?どういう事だ!?フザケてないでエイルさんとミーアを連れて逃げるんだよ!」
「俺がバカしなきゃエイルさんは無事だった!俺のせいなんだ!」
「今はそんな事言ってる場合じゃねえ!さっさと手ぇ貸せよ!」
キールは投擲槍の筒を背負い、アレクスに背を向けて静かに力強く言った。
「気に入って貰えるか自身が無くて、ずっと温めてた······イリシュに渡せ、絶対に!」
「そん───」
そんな大切な物自分で渡せ───アレクスは言えなかった。キールの思いを理解してしまった。アレクスは急いでエイルを背負い、ベルに言った。
「ベル!ミーアを背負え!引き摺っても良い!行くぞ!」
「なんで?キールは?ガルルは?なんで?なんで武器を構えているの?」
「二度も言わせんなよ!······っ!行くんだよ!」
「っう!ううっ!······うあぁ、うわああ!あああ!」
ベルは酷い顔で泣きじゃくり、ミーアを何とか背負ってヨタヨタと歩き出した。ベルは理解してしまった。キールが自らを犠牲にして自分達を逃がそうとしている事を───、我が身可愛さにキールとガルルを犠牲にする事を決めた自分の心を───
「オラァ!汚え触手伸ばしてんじゃねえぞコラァ!」
戦闘が近い。アレクスはベルに手を貸し、少しでも早く出口へと向かう。
「ウオーン!ウオオォーン!」
アレクスとベルには、遠吠えの意味は分からないが、二人の背中を強く押した。
「いいぞガルル!そのまま咥えてろ!いや!全部食っちまえ!」
魔物の迫る音が止まった。
「ゥウヴ!グルゥウウ!」
「テメエゴラァ!ごっちの触手!テメエの相手は俺だろうがああ!」
木の棒が圧し折れる様な音がした。
「ォオン!ガルォオオン!」
「は!そうだぜ!俺とお!ガルルがあっ!組めばよお!最強だ!疾走れガルル!」
ガルルが駆ける音など、ひとつも聞こえない。
「ォン!ゥゥ······ウオン!ウオン!ウオン!」
「そうだぁガルルぅ!回避にぃ······専念しろお!攻撃はあ!俺にぃ任ぜろおお!」
キールとガルルは不必要な程デカい声を出している。まだ健在だと、振り返るなと、その声を背に受け、アレクスとベルは進んだ。
広間へ続く通路にはあの巨体は入ってこれない。ついさっき五人と一匹で、楽しい時間を過ごした場所を通り過ぎ、安全は確保された。しかし、立ち止まれない、振り返れない、声が聞こえない、認めたくない───
アレクスとベルは、重い足を力無く前に出し続けた。
つらい
私の拙い文章で上手く伝わってくれていれば幸いです。




