第27話 おはよう
あれから朝になるまで何度かエルフが痛みで呻き暴れて、その度にキールはエルフが疲れて眠るまで抱き締め続けた。キールの背中や首、頰にまでも付いた痛々しい引っかき傷は、エルフの苦痛とキールの献身を物語っていた。
エイル達はキールを残して、早々に朝の稽古に出た。皆あの空間には居たくなかったのだ。アレクスとベルとミーアも、疲れた表情から満足に眠れなかったのが見て取れる。
今朝はシュナが来たが、場の雰囲気を察して、居心地悪そうにエイルに話し掛けた。
「キルと喧嘩した?」
「喧嘩では無いけど、ちょっと問題がね······。先に聞きたいか?」
「······後で良い」
エイルもアレクス達も皆一心不乱に、わだかまりを吐き出すように、声を出し、拳を出し、稽古に打ち込んだ。
エイルは後半の稽古はベルに任せて、アレクスとミーアに昨日と同じく、凍りの攻撃魔法の練習をさせた。町内は氷室用の生活魔法以外は制限されているので、攻撃魔法の練習は大体皆、目立たない様にコソコソやっている。
エイルは少し離れてシュナに昨夜の出来事を話すことにした。
「───そう······バカだって言ったら怒る?」
「怒らない」
「バカもバカ、大バカ。私が困ったって言いながら擦り寄るだけでお金をくれる男がバカなら、キルは大バカ。オルフと同じくらい大バカよ······!」
「そうか?オルフだって死にかけの奴隷は助けないと思うぞ」
「じゃあ、スゲー大バカ。信じられないくらいのバカ野郎······そのエルフがキルを裏切ったら、残り半分も焼いてやるから······」
「······シュナは分かり易いな。ミーアとベルは内心どう思ってるんだろうな?」
「ミアは、そのエルフが敵意を剥き出しにしなければ、自分から構っていくと思う。ベルはどうだろ······あの子ちょっと冷めたところがあるから。二人共守銭奴じゃないから、キルとアックが二人に負担をかけないなら、お金の事は引きずる事は無いと思う」
「まだ数回しか会ってないのに、さすがだな」
「女同士でしか見せない面もあるから。落ち着いたらオルフと会いに行って良い?オルフ、エルフ語喋れるっしょ?」
「良いけど、あいつは王都のお店の女の子相手の会話だから、品の無い言葉ばかりしか知らんぞ?」
「えーサイテー」
言葉の壁もどうにかしないといけない問題だった。紙媒体の書物なんて貴重品で、辞書があったとしても一般人が手に取れるかも分からない貴重な代物だ。
エイルが悩んでいるとシュナが問いかけてきた。
「代金は幾らだったの?奴隷を買うためにベルとミアを奴隷に出すとか無しでしょ?」
「まだ金額は聞いてない······すまんな、年長者のくせに情け無い。───だけどそれは無しなのは当然だ」
「オルフに相談しても良い?」
「ああ、大丈夫だ」
「エイルも溜まってるっしょ?組手しよ!」
シュナの言う通りエイルも溜まっていた。年長者として格好付けてはいるが、キールにも、ベルとミーアにも、そして自分にも思うところはあった。
今はシュナに胸を貸して殴らせているが、心の面ではエイルはシュナの胸を借りていた。シュナは一発一発力強く打ち込んで、気持ちを毎朝の日常に戻してくれている。「オルフは本当に良い女を捕まえたものだ」と、エイルはシュナに感心した。
エイル達は稽古を閉め、シュナと別れて家に帰った。ただの木製の玄関の扉が、今はとてつもなく重く感じる。アレクスが先頭で扉を開けて入って行くと、キールとエルフは起きていて、会話を試みているところだった。
「あ、皆んな······お早う」
キールのビクビクした挨拶に、エイル達は平静を装って挨拶を返した。
「ォ······ハ、ョ」
床に座り、右肩を壁に預けたエルフは、掠れた声で「おはよう」と挨拶の言葉を紡いだ。
「ワ、タシィ······イ······ィ、ュ」
「イーユ?」
「イリシュ、彼女は『イリシュ』だ。皆んな、宜しく······」
エイル達が自己紹介をするためにイリシュに近付くと、呼吸は荒く無理をしているのが分かる。寝かせた方が良いかと思うが、どうやら勝手にこうして座っている様だ。お尻と右腕は焼け爛れていないので、本人的にこの姿勢が一番楽なのかも知れない。
ミーアはシュナの読み通り、イリシュに積極的に話し掛けている。魔獣使いなだけあって言葉が通じなくても、「何となく」でどうにかなるのだろう。ベルは簡単に挨拶を済ませると朝食を作り始めた。昨日の血濡れの鍋は廃棄して、まだ予備の鍋が有るのでそれを使い、主食はお粥で、エイル達には肉と野菜を煮込んだ簡単なスープが付いてきた。
「ふーふー······これくらいか?───なあ、もうちょっと口開かないか?」
「これくらいか?じゃないよー!自分で食べて確かめてからだよー!」
「あと、それは量が多過ぎ。兄弟を看病したことは無いの?───そうそう、それくらい······ちょっ!どうしてそんなに奥までお匙を入れようとするの!?」
イリシュにお粥を食べさせるキールの余りの手際の悪さに、いよいよ我慢が出来なくなったベルとミーアが口と手を出し始めた。
「······カーチャンみたいですね」
「母性ってやつだろうな」
「母性ですか。······イリシュ、奴隷っぽく無いですね」
「イイヤツに買われたって事だろ?」
「イイヤツ過ぎですよ······」
騒がしい朝食が終わって少し食休みをしてから、エイル達はイリシュを練習台にして、全員同席で包帯の巻き方と手当の練習を行った。イリシュはキール達が作業をし易い様に体位を調整しながら、自分を囲む5人を観察していた。
ベルとミーアは散歩に行くと出て行き、エイルとアレクスはギルドに行く事にした。町はダンジョンの話が飛び交っており、町民からの期待の高さが伺える。昨日の内にもう一箇所大きな入り口が見つかり、本格的なダンジョンアタックの為に、当面は拠点設営と周囲の警戒が主な依頼になる様だ。
今朝から色々やっていたので、エイルとアレクスは都合良く人が少ない時間帯にギルドに入ることができた。キールがバカな買い物をしたのは、ギルドの職員内で共有されているようで、多くの視線を集めてしまう。アンナが手招きして、二人は招かれるままにギルドの奥の部屋へ向かった。
「取り敢えず······先ずは旦那の請求がこれ。薬代は貰わないとだから、これが限界なの」
「9万8千リィン······」
「火傷の薬がね······材料を他国から取り寄せるし、あの量でしょ?でも、効果は火を吹く魔物が出る地域とかで証明されてるから安心して───それでこっちが奴隷商からの請求だけど間違い無い?」
アンナが提示した木簡には、12万リィンの文字が書かれていた。
「12万リィン······え?」
「12万か······12!?家で買った牛より安いぞ?」
「え?······キール君に聞いてないの?」
「その······聞き辛くて」
「エイル君も聞いてなかったの?」
「······はい」
アンナは「呆れた······」と顔に出してから、お節介で説明を始めた。
「······まあ、良いわ。仔山羊とか仔牛が10から40万、雌だと20万上乗せくらいよね?人間は労働力としては牛以下山羊以上で、お乳が取れないでしょ?だから人間の相場は30万くらいみたいね。冒険者適性が高かったり、稼げそうな女は値も上がるみたいだけど······本当はエルフの相場は200万を超えてくるのよ。けど旦那から聞いた限りだと、早く手放したくて、命を繋げてた分の経費と幾らか儲けが出れば良いって値段ね」
イリシュはエルフとしての価値も、女としての価値も、労働力としての価値も無いに等しいくらい低く、治療費がかかって、その後はただの穀潰しを12万───。エイルとアレクスは「高いな」と思いつつも、想定を遥かに下回る金額に「ホッ」と安堵の息を漏らした。
「支払いはどうするの?旦那もギルドもこのくらいなら気長に待てるけど······。アレクス君、また後日で良いから答えを持ってきてね」
エイルとアレクスはギルドを後にして、少し寄り道をしながら帰ることにした。
「キールは値段を気にして買ったと思いますか?」
「幾らなら諦めたか、そんな無粋は本人の心に仕舞っとけば良いさ。───奴隷商からしても、キールは逃がす訳には行かない客だったんだろうな」
「奴隷商も、もっと金持ちに······それこそデュオセオスさんに紹介すれば」
「あの人は買わんだろう。町の利益にならないからな。あの三人の奴隷は将来性を考えて買ったんだと思うぞ······ハーフエルフは趣味かも知れんがな」
「······俺達、今のパーティーのままでやっていけますか?」
エイルがアレクスの方を見ると、アレクスの俯いた横顔からは哀しさが溢れていた。
「ベルとミーアか?代金も思った程ではなかったし、今朝の様子なら······ミーアは興味を持った様だし、ベルも食事に気を配ってくれてたから、暫くは大丈夫だと思う」
「暫くって言うと······?」
「介護疲れってのがあるんだ。最初は善意で世話が出来ても、不満が溜まっていって耐えられなくなってしまうんだ。今、パーティーは爆弾を抱えている様なものだな」
「バクダンってなんですか?」
「あー、昨日の透明な奴みたいなものだ。破裂して自分も鳥も死んじゃっただろ?」
「誰かのバクダンが破裂すると、パーティーがお仕舞いって事ですね」
それから二人は、お昼時まで宛もなくプラプラ歩き回って家に帰ると、キールが穏やかな顔をしてイリシュの膝枕で寝ていた。その反面、イリシュは頭を抱えて束ねた袖を噛み締め、痛みと痒み、それと薬の禁断症状に顔を歪めていた。
それはキールが主人だからか、恩人と感じているかなのかは分からないが、眠っているキールを起こさないように、必死に耐えている事は明白だった。
「アレクス······イリシュはただのエルフの少女じゃないぞ。この精神力は半端じゃない」
「はい、俺は同じ状況で耐えられる自信は無いです」
エルフは保守的で排他的な種族であり、森を脅かす者には容赦無く攻撃を加える。そんな事から魔物は当然ながら、人類とも幾度となく大小様々な戦いを繰り広げていた。
その中でイリシュも戦火の中で軽くはない傷を負い、今は火傷に上書きされただけで、その身体には生死の境を彷徨った傷が幾つも有るのかも知れない。
薬による意識の混濁から目覚めたイリシュは、本来の自分を取り戻して、現状に抗っているのだろうと二人は推測した。
「イリシュはただ施しを受けただけで納得するようなエルフじゃないと思う。きっとこのパーティーは大丈夫だ!」
「はい!俺もそんな気がします!───エイルさん!俺、キールをぶん殴りたいんですけど、良いですか?」
「ああ、やっちまえ!もう十分休んだだろう!」
全体の起にあたるギルド編も、あと2話ほのぼのしてから転がります。




