玉と石
貸し切られた風呂に、エーデルアンジュとイリシュ、それと領主家お抱えのベテランの侍女三名が居た。
ようやく心を許せる場所に着いたエーデルアンジュは、数えるのも忘れたくらい振りに、まともに身体を清めている。侍女が髪に温かな湯を優しく掛けただけで、汚れた水が排水に流れて行く。エーデルアンジュの召し物を洗濯している侍女も、いつまでも出て来る汚れに悪戦苦闘している。
それでも肌には一つの傷も無く、どれ程大切に扱われていたのかが容易に覗える。エーデルアンジュの肌を洗う侍女は気が気ではないだろう。
イリシュはエーデルアンジュと一緒に裸になっている。同族の女性が一緒に居る事で安心させようと、配慮したつもりだったのだが、
『イリシュさん……その……お怪我はどうされたのですか?』
逆に心配されてしまっていた。
イリシュは自分の体を見て「まったく酷いものだ…」と、自分で自分を鼻で笑う。
『魔物との戦いで負いました。…これが切っ掛けで、あの商人達に拾われ、この地で最愛の人にめぐり逢う事が出来ました』
そして、お世辞にも綺麗とは言えない石の様な胸に手を当てる。そこに確かに遺る愛を感じるイリシュの表情は、お世辞抜きに優しく美しく、慈愛に満ちており、エーデルアンジュもつられて顔を綻ばせた。
『アレクス·イーロアス様は、素敵な方なのですね!』
『いいえ。あ、ああ、アレクスも素敵です。ですが私の最愛の人は、戦士として勇敢に戦い、既に精霊となりました。今の夫のアレクスは、その最愛の人の友人です』
『! そう…ですか……』
迂闊に複雑な事情に触れてしまい、エーデルアンジュは綻んだ顔を緊張させた。
少し気不味くなったのか、エーデルアンジュがしばらく侍女に体を委ねると、会話に配慮する必要がなくなり、作業の効率が上がった。
汚れが落ちた髪は絹の様に黄金に輝きだし、髪を洗う侍女は自分の宝かの様に、エーデルアンジュの髪を掬い上げて見惚れる。
体を洗う侍女も、丁寧に磨き上げたエーデルアンジュの玉のような肌を、優しく、しかし洗身に託つけ、執拗にその感触を堪能した。
体を綺麗にし終わると、ゆっくりと湯に浸かっていただく為、侍女はエーデルアンジュの髪を纏め、丁寧にタオルに包む。
イリシュは湯船の前に立ち、エーデルアンジュに手を差し伸べる。エーデルアンジュはイリシュの前まで歩き、イリシュの手に指先だけを触れた。
当然イリシュは疑問に思うが、エーデルアンジュの出方を窺う。エーデルアンジュはイリシュに聞きたかった。イリシュの本心を。エルフを捨て人類に拾われた結果を。
『イリシュさんは、本当に幸せですか?』
『? 本当に幸せです』
正直イリシュは何を聞かれているか理解が出来なかった。無礼千万ではあるが「バカにしているのか」とも思った。
エーデルアンジュは俯き、イリシュの手に触れた指先をフルフルと震わせている。侍女達はどうしたものかと困り果て、イリシュもどうしたら良いか分からずにいると、エーデルアンジュが涙声でイリシュに問うた。
『グリシーヌも……グリシーヌも幸せになれますか?』
イリシュはエーデルアンジュの質問の意図が理解できた。理解できてしまったが、そんな事を聞かれても、自分だって奇跡的に奇跡的なお人好しに出会えただけの事であり、答えようがない。
『───きっと』
そう答えてしまった。
イリシュは奴隷商との会話を思い出す。イリシュは「トリトニア連合国にエルフの奴隷を売ったか」と、聞いた。奴隷商の答えは「いいえ」だった。「今回エルフの商品は無い」とも言っていた。
あの商会は無駄に正直であり、自分達の商売に誠実だ。だとしたら売り先は自国かラルバルマ王国か。イリシュはラルバルマ王国の奴隷制度には詳しくないが、サングロリア王国の奴隷の扱い、特にエルフの扱いは酷いと聞いている。
奴隷が“行動の自由の剥奪”程度のエヴィメリア王国で奇跡なのだから、しっかり人権まで剥奪されるサングロリア王国では、奇跡のきの字も無いかも知れない。全く無責任な回答だった。
エーデルアンジュは顔を上げた。王女に相応しくない酷い顔だった。そして固く結ばれていた唇が細く開き、ひくついた声が聞こえると、
『うっ…ううっ…うあ、うわああああん! あああん!』
エーデルアンジュはイリシュに飛び付き、子供の様に泣き出した。
イリシュは優しくエーデルアンジュを包み込み、ゆっくりと床に座らせる。夫を愛し、子供を育て上げたベテランの侍女達は、たっぷりと目尻に涙を蓄え、エーデルアンジュの気が済むまで泣かせてやるのだった。
あけましておめでとうございます!
旧年は本作のご愛顧ありがとうございます。本年は一層のご愛顧とご指導ご鞭撻の程よろしくおねがいします。どうぞ気長にお付き合い下さいませ(_ _)




