白と影③
人の全力疾走は、一分と持たない。気合を使って走れば、一蹴りの滞空時間が増える事で脚を休める時間が自ずと出来、全力で走れる時間が延びるが、地を這う様に走る事で速度を得るニンポウ鳥人の術は、滞空時間が少なく、長距離の逃走とは相性が悪い。
それでも、その圧倒的な速度により追っ手を引き離す事は出来た。だが、前方には騒ぎを聞き付けた魔獣達が集まって来ていた。
「ハァッ! ハァッ! ──チィッ!」
魔獣の中には猫型のものも居り、それの反射神経は非常に厄介だが、攻撃するにも回り込むにも減速は必至で、追っ手との距離が縮まってしまう事から好ましくなく、シノビには真っ直ぐ以外の道はない。
シノビと魔獣達が互いに接近する。町の外で放し飼いにされている魔獣には、闘衣が配備されていないのが不幸中の幸いだが、津波の様に押し寄せる魔獣の壁は、怖気付き足を止めてしまいそうな迫力だ。
だが、シノビは足を止めない。シノビの武器は、苦無が数本と小太刀が二刀、それと太刀が一刀。他には目潰しが三つ、吹き矢が十本と三種類の毒、小振りの魔石が九つ。シノビはニンポウ鳥人の術を止め、懐に手を突っ込んだ。
取り出したのは吹き矢を二つと、蜂の魔物から採った毒の小瓶。瓶の栓を抜き、針をドップリと漬ける。針に加工された微小なササクレと細かい溝が、瞬時にたっぷりと毒を抱え込み、シノビは瓶を投棄すると同時に毒矢を吹いた。
矢を受けた魔獣は焼ける様な痛みに悶絶する。シノビは間髪入れずに隣の奴にも毒の吹き矢を射ち込み、後続を横に避けさせる事により進路を抉じ開けた。
進路上に残ったのは、悶絶した魔獣が二体、その奥に二体の犬型魔獣、それと猫型魔獣が一体。うかうかしていては、折角横に逸らした魔獣が戻ってしまう。
シノビは悶絶している一体を踏み台にし、高く跳躍。横に居た魔獣と、正面の犬型魔獣がシノビに飛び付くが届かない。だが、猫型魔獣は異常な反射と伸びを発揮し、鋭い爪でシノビに襲い掛かった。
「間抜けが!」
シノビは二刀の小太刀を抜刀。猫型魔獣の爪を迎え撃つ。
「ギァニ゛ャア゛アアッッ!」
剛い被毛も、分厚い皮膚も、それらを斬り裂く為に造られた武器を受け止める事は出来ず、猫型魔獣は不用意に手を出してしまった大きな悲鳴を上げる事になった。
魔獣達は仲間の悲鳴に二の足を踏み、シノビに再加速を許した。森はもう目と鼻の先。心配はユニコーンだが、密集した魔獣達が壁になる事から、シノビはホッと一息、ラストスパートを掛けた。のだが───
「ハイヤー!」
凛々しく通る女の声が響き、ユニコーンが魔獣の壁を飛び越える。
(なっ…! そこまでとは!)
闘衣を身に着ければ、脚力が増し速力が増すのだから、当然跳躍力も増す。そんな事はシノビも想定していた。だが、事実は余りにも想定以上で、状況を最悪と判断したシノビは直ちにシュンを呼ぶ。
夜空に煌々と火の玉が燃え、甲高い笛の音が鳴り響く。それは位置を伝える為の火の魔法による照明弾。それと、風の魔法で吹いたシュンへの緊急招集の合図。
シュン足ならば、待機させていた場所から然程時間は掛からない。だが、既にユニコーンはシノビの後ろにピタリとつけ、踏み潰さんとばかりに追いかけ、騎手の女はシノビに筒を向けた。
シノビは死線を潜り抜けてきた感覚で殺気を感じ取り、射撃に合わせて回避する。しかし、目にも止まらぬ速さで打ち出されるものをいつまでも躱し続ける事など出来ず、いよいよ鳥人の術の翼の幕を貫かれ、シノビはバランスを崩した。
射出された針の様な物があまり長くなく、貫通してくれたのが不幸中の幸いで、もし地面に縫い付けられれようものなら転倒は免れなかった。
シノビは何とか体勢を立て直し、走り続ける。女は珍妙な走り方を止め、減速したシノビに、止めとばかりにゆっくりと、確実に、筒の照準を合わせた。
その瞬間、シノビから煙が噴き出し女の視界を遮った。それはシノビが放った信号魔法の応用の目眩まし。
しかし、魔法は魔法。ただ色が付いただけの漂う魔力は、女が放った風弾の魔法に掻き消され、瞬く間に穴だらけになり、視界は確保された。
だが、シノビはそんな事は百も承知。
「───!? ペルーン落ち着け! どうどう!」
突然噎せ始め、首を振り回す相棒を落ち着かせ、女は相棒から飛び降りる。シノビの本命は、魔法の煙に紛れ込ませた目潰しだった。女は魔法で煙幕を払った事が功を奏し、目潰しも同時に払う事が出来ており、無事に煙幕を通過する事が出来ていた。
辺りは闇。女は鳥人種が持っていた物と同じ灯りで照らしながら、まだ居るのかもう逃げのかも分からない敵に向かって叫ぶ。
「卑怯な真似を! 居るんだろう! 隠れてないで出て来い!」
ただの負け惜しみの虚勢。だが、それは見事に的中。仕事熱心な敵は確かに潜んでいた。
ユニコーンの陰に潜んで近付いたシノビは、太刀を抜き、気合を込め、背後から女の股を斬り上げる。
「───ッうう!!?」
「───くそッ!」
背後かつ股下の完全なる死角。それに気合も乗せていた。だが、太刀は不可視の力に依って弾かれ、女は驚きと屈辱と怒りの声を漏らし、シノビは短く毒づく。
女は跳んで距離を離しならがら振り向き、得物の斧槍を構え、一喝。
「恥を知れ、貴様!」
それにシノビの返答はない。間もなくシュンが来る。そして後続の追っ手も来る。そのタイミングは同時になりそうだ。
そのギリギリまで一太刀でも、一撃でも、一発でも多く攻撃し、闘衣の弱点の情報を得る。シノビは「これが返事だ」とばかりに女に斬り掛かった。
シノビの鋭い踏み込みからの一太刀も、不可視の力に依って弾かれ、失速。シノビはそこから強引に振り抜くが、女は余裕を持って斧槍で太刀を受け止める。
「ギルドのネズミめ!」
「!! (この女、慣れているのか?)」
その反応は闘衣の性能への信頼も有るのだろうが、気合を使う者との戦闘経験があるか、少なくとも見た事はあると思われる反応だった。
力比べは常に強い力を発揮している女が勝る。シノビは鍔迫り合いを嫌い、身体を落として斧槍をいなす。そして直ぐに攻撃に移ろうとしたが、シノビを脳天からに真っ二つにせんと、斧槍が振り下ろされていた。
「ぐぅっ、くっ!(強い! こんなもの、どうしろと言うのだ!)」
強化された膂力、それに斧槍の重量も相まった重い一撃を、シノビは太刀の峰を片腕で支える事で何とか受け止めた。
そこでシノビは気付く。相手は片手で槍斧を握っている。だとすれば、もう片手は何を握っているのか。
あの筒だ。
シノビは筒の口と目が合うやいなや、斧槍を振り払い横へ飛ぶ。
「チィッ!」
女はシノビを追って射撃をするが、先端に偏重した槍斧を振られた事により身体も振られ、姿勢が崩れたまま連続で射出された針は、地面に軌跡を描くだけだった。
一方、女の側面に付いたシノビは片手で太刀の刃先を握り、
「セイヤッ!」
気合を込め、刃先を握った手を女の太腿へ叩き付けた。
不可視の力に弾かれた衝撃で、刃先を握った手に血が滲む。だが届いた。闘衣の迎撃機構は魔法由来のもの。気合の拳は迎撃の魔法とカチ合い、弱々しくも、女の太腿に太刀の切っ先を送り届けていた。
「ッ──」
痛み。それは女にも予想外だった。そして、
「──ガァッ! ッ! アァッ!」
激痛。太刀が押し込まれ、剰えグリぃッと肉を掻き混ぜられた。女は武器など持って居られず、立ち方も、悲鳴の上げ方も忘れた。
シュンの足音と追っ手の足音が近づく中。シノビは女が落とした武器を見る。手前にある槍斧はどうでも良い。女を挟んで向こう側にある針の発射機構を搭載した謎の筒。それだけは持ち帰りたいと欲が出た。
太刀から手を離し、シノビは筒へ飛び付く。
「プラーミャ!」
女は崩れ落ちながらも、痛みを紛らわせる為の叫びと共に、足元のシノビへ魔法の炎を垂れ流す。
(───! これだけは持ち帰らなければ!)
首輪を諦め。魔物の石を諦め。今度は炎に怖気付き、敵の新型の武器を諦める。それでは犠牲にしてしまった部下達に申し訳が立たない。
それに、シュンはもうすぐ到着する。後はシュンに乗って逃げるだけであり、その武器はリスクを冒してでも得るに値するものだ。
魔法障壁をぶつけて、速力を落としてでも安全に武器を回収するか。練気をしたまま武器を回収し、炎に巻かれようとも最速で走り抜けるか。
シノビは後者を選んだ。収束力も貫通力も無いただの炎の魔法は、それ自体は気に満ちたシノビの身体には効果が薄い。
だが、放たれた炎がシノビの身体に触れるまでの、炎に付随する熱は、気でも無力化しきれない。
だが、そんなものは一瞬我慢すれば良いだけの事。1秒でも早く、一歩でも近く、シュンと合流出来る方が好ましかった───
『───炎を浴びた? 魔法? シノビは何かを拾おうとしていた? 何を───』
その時ユリアの言葉が想起された。この瞬間こそがシノビの運命を決する瞬間だった───
シノビを乗せたシュンは森を駆ける。そのシュンを追うのは三騎のユニコーンの騎兵。シノビの予想に反し、障害物を薙ぎ倒して走るユニコーンが、障害物を老獪に利用して走るシュンを、ジリジリと追い詰めている。
シノビは筒を拾わなかった。その判断により、今のこの距離を作れている。そしてここまで来る間に、ほぼ全ての装備を捨てている。
全ての暗器を捨てた。鎖帷子を捨てた。頭巾を捨てた。上衣を脱ぎ捨てた。シュンの鞍に積んでいた荷物も捨てた。残したのはナイフと縄と毒と傷薬。
シノビはさらなる軽量化を実行する。縄で自分の腰と左手を鞍に縛り付け、その縄の残りを太腿の付け根に巻き、縄の端を噛み締める。
そして、ナイフに麻痺毒と薬を塗り──
「ウウッ! フウゥッ! ウウウッッッ───!」
自分の太腿にナイフを突き立て、押し切り、引き抜き、突き立て、押し切り、引き抜き───太腿の肉を切り離していく。
「フウ! フフッ! ウフ──フウウウフフッ!」
骨をガリガリ削るのが気持ちが良いのは、毒と薬の覚醒作用か、単に気が狂れたからか。
右脚を捨て、ナイフを捨て、毒を捨て、薬を捨て、朦朧とした所で縄を締め上げ、血を捨てるのを止め。シノビは意識を捨てて、シュンに命運を託すのだった。




