シノビのけじめ①
マグナオルド王国、ギルド本部、総裁私室。マリアはベランダで椅子に腰掛け、その隣にはシノビが手を後ろ手に組み、立っている。
「───シノビが行くのですか?」
「はい。私の手で」
「そう───」
マリアは天を仰ぎ、目を瞑り、「ふうぅ…」と深く息を吐いた。
去年の秋くらいから不穏な動向を見せる国があった。その国は東西南北のトリトニアが一つに連なったトリトニア連合国。マグナオルド王国からは、遥か南南西の方角にある国だ。
その国が突然ギルド脱退を言い出し、派遣していたギルド職員達を追い出した。ギルドが去れば、ギルドの保証で入国を許可されている冒険者も、当然トリトニアを去る事になり、後にはカゲだけが残り、動向の調査を続けていた。
それが秋の終わりを最後に連絡が途絶えた。それまでに得られた情報は、『北トリトニアが魔族領のダンジョンに頻繁に出入りをしている』、『南トリトニアに多くの魔石が運び込まれている』、『魔人種差別が反転し、魔人種の地位が高まった感覚がある』、『中央トリトニアなる地区を作り、女王を国家元首に据えようとする動きがある』と、何かの事の起こりだけだった。
シノビはその消息不明のカゲを“死亡か監禁状態”と判断し、冬の間に一人、また一人とカゲを送り込む事になったが、その二人からも一切の連絡が無いまま春を迎え、今に至っていた。
シノビは正面に広がる長閑な風景に顔を向けたまま、椅子に凭れて目を瞑っているマリアに話しかける。
「最初のカゲは、補充要員で正式に入隊したばかりの新人でした。しかし彼は十分に訓練を積み、手が掛からない程に優秀でした。キアイの習得はまだまだと言ったところでしたが、自分が走る分には問題無く、及第点は満たしていました」
シノビは、ギルド脱退後のトリトニア連合国に残したカゲを語った。
今となっては事態を過小評価して人選を誤ったと言えるが、当時は憤怒の魔界で出した損失を補充する必要があり、通常の任務に新人の教育、予備隊の訓練と、人員に余裕がある状況ではなかった。
マリアは目を開け、シノビに聞く。
「───逃げられなかった?」
シノビは身体は動かさず、マリアを横目で1度目見てから答える。
「恐らくはキアイの技術がトリトニアにも流出したのでしょう。それも加味して、次に送ったのは、あの時の憤怒の魔界を生き残った手練れでした……。ですが、そのカゲすら戻る事が出来ず。その後に送った私が最も信頼を置いているカゲですら、何の成果も上げる事が出来ませんでした」
マリアは脚を組み、顎に手を当て、少し考える。
「───罠を張られていた? でも、そのくらい想定済みよね……。一体何が……」
カゲとて人であり、開かぬ口を持っている訳では無い。
此方の情報が渡っていれば、向こうから何かしらのゆすりがあっていいものだが、それすら無い事が気持ち悪く、マリアは脚を組み替えた。
シノビはマリアの自問に答える。
「闇に潜むのが我らカゲの務め。そして、相手を闇に誘うのも我らの務め。そんなカゲが退路を確保せずに動く事は有り得ません。余程、相手の闇は深いのでしょう」
答えになっていない答えに疑問は更に深まり、マリアはシノビに顔を向け、口を尖らせて言う。
「つまり、どういう事?」
「……我々の想定を超えた何かがあるという事です」
そう言うシノビの顔は、マリアの視線から逃げる様に、無意識に少しだけ上を向いていた。
無言の時間の中、マリアは忙しく脚を組み替える。それはまるで、「私は不安です」と言っている様なものだ。
「心配には及びません。相手が此方の想定を超えようとも、そう想定出来たのですから、今度は万全です」
マリアはいつ組んだのか分からない自分の脚を見ると、溜息をつき、脚を解く。
「……シノビ」
そしてシノビを呼び、頭巾の隙間に見えるギラついた目を凝視して言った。
「心配よ…シノビは冷静さを失ってる。声に余裕が無いもの」
シノビはハッと驚く。自分でも把握出来ていなかった精神状態を気付かされ、マリアに顔を向けた。
護るべきマリアに気遣いをさせた失態に、シノビは大きく溜め息をつく。そして大きく息を吸い、「コォォォ」と静かに息を吐いた。あまり大声を上げて警備に飛び込んで来られても困る為、それは小さく抑えた息吹だった。
「おやおや、私とした事がこれは失態。危うく足をすくわれるところでした」
身体の中の魔力がクリアになると、ギラついた目も穏やかになった。
いつもの調子に戻ったシノビに、マリアは笑顔を返す。
「それでは平常心を取り戻す為に、通常業務を行ってもらおうかしら。ユリア様の代わりのアルトレーネ領のギルド長を選んでおいたから、貴女のけじめをつけに行くついでに、支部まで同行して頂戴。
それと、アレクスさんのイーロアス領にもギルドの支部を出したいから、開拓の様子を見て来て……それで、必ず! 貴女の口から報告して頂戴!」
それはシノビに任せるまでもない他愛無い仕事。その指示を出すマリアの声は、最後には震えていた。
シノビはもう危険を隠せないと悟ると、マリアに正対する。
「承知致しました。ですが、死地ではありますが、死に場所を求めている訳ではありません。撤退の判断は迅速にかつ的確に致します。私は必ずここへ…貴女の元へ帰って来ますよ」
マリアはその言葉に安心したのか、少し溢れてしまった涙を拭う。
「シノビ、何日で準備できそう?」
「2日…いいえ、今日中に」
シノビは即答した。もう自分の身の回りの準備は終わっており、後はマリアの許可が出たところで、部下に指示を出し、事の段取りを進めるだけだった。
それに対するマリアの答えは、
「じゃあ5日で。彼ももう準備はだいたい終わっているだろうけど、皆にお別れをする時間を取らせてあげないとだから」
それを聞いたシノビはクスクスと笑う。
「おやおや、まるで死地に赴くかのようですね」
「──はっ! 違いますう~! 長期の赴任になるだけですう〜!」
いずれ肩書が外れたのならば、二人は親友か姉妹か。シノビにとってマリアは心の拠り所だ。
シノビは今回それを改めて気付かされ、今はマリアの懐刀を全うする事を心に誓うのだった。




