第5話 初稽古
アレクス達が拠点にしているのは、住宅街の外れにある一戸建ての小さな借家だった。間取りは2LDKといったところで、風呂無しでトイレは近くの公衆便所、家賃は1日3百リィンの物件だ。
トルレナで貸家事業が始まったのは、冒険者という仕事をギルドが持ち込んでからで、区画整備で取り残された空き家を使い、大家として利益を上げる商魂逞しい者が出てくる様になった。
風呂を持っているのは領主やその家系くらいなもので、街の大衆浴場を使うかタオルで拭うのが、ここの庶民のお風呂事情だ。鳥人種や獣人種は羽根や体毛に汚れや寄生虫が付きやすいので、それを落とすためお風呂好きである。
エイルは今日もお天道様と一緒に起床だ。男3人で雑魚寝している部屋で、モゾモゾと出掛ける支度を始めると、物音に気付いたアレクスとキールが目を覚ました。隣の部屋からも物音がするので、ベルとミーアも起きて支度を始めたのだろう。
男達は台所に移動し、タオルで顔を拭って待っていると、寝癖を誤魔化す為に後ろで髪を結わえたベルとミーアが部屋から出てきた。脚を上げたりもするので、二人共下衣はズボンを履いている。
揃ったところで軽く挨拶を済ませると、エイルは四人の弟子を連れて目的の川へ向かって走り出した。
「ハア!ハア!······ごめんなさい、先に······行って下さい」
「私も······ハア!ハア!走るのは······苦手」
まだ目的地までは半分以上あるが、ベルとミーアは体力の限界が来たようだ。アレクスとキールはまだ走れそうなので、三人はそのまま目的地へ向かうことにした。
途中、町の外で待機していたガルルが走ってやってきたので、ミーアが後から来ることを伝えてやると、言葉が通じたのか鼻で感じたのか、その場に良い子に座った。
ガルルの他にも魔獣使いの相棒の魔獣が、点々と町を囲んで主が来るのを待っていた。犬猫が家畜化し易いように、魔獣も犬猫のタイプが大半を締めている。これだけの魔獣が町を囲んでいれば、町の住民は安心して眠れるだろう。
目的地の河原に着くと、お誂え向きに人の気配は無く、エイルは早速稽古を始めた。
「コオオオオオッ!ホッ!──これが息吹呼吸法だ。大きく腹で吸って、一気に吐く。大きく沢山の空気を取り込んで、呼吸を整え、気持ちを切り替えるための呼吸法だ。やってみろ」
アレクスとキールが、腕を上げ、十字に組み、大きく息を吸って、腕を振り下ろした。
「ハアアアアアァ!」
「コオオオ、ハッ!」
「いや、キール自分で言っちゃ駄目だろ。息を吐く勢いでああいう音が出るんだ。深呼吸だと思って何度かやってみな」
その後、何度かやったものの空気が抜ける様な音しか聞こえてこない。流石に一朝一夕で身に付くようなものではないのでこんなものだ。
「次は基本の打撃の稽古だ。直立から左足を半歩出して、拳を握って顎の高さまで上げる。そしたら顎を軽く引いて、肩の力を抜く、これが組みて立ちだ。先ずはジャブとストレートの上段中段からだ。ジャブは軽く前に重心移動しながら左拳を付き出す。ストレートは腰から肩、肩から腕と綺麗な流れで右拳を付き出す。中段は鳩尾を狙って打つ。では······組みて立ち用意!いち!に!さん!───」
正拳の稽古を始めると、ガルルに掴まって走ってくるベルとミーアの姿が見えた。
「ハア!ハア!お待たせ、しましたハア!ハア!」
「ハア!ガルル、ありがとうーハア!」
二人が到着したところで、息吹呼吸法で呼吸を整えさせる。当然空気が抜ける音しかしないが、ミーアが腕を上げると連動して翼が開くので、なかなか迫力があって様になっている。そしてひたすら正拳突きを繰り返している男達と合流して全員で稽古を始めた。
癖を指摘しながら、ジャブとストレートの上段中段、計四十本を1セットとして5セット行い、休憩を挟んで構えを左右スイッチして同じく5セット行って次は蹴りだ。
「今日は蹴上げだけやろうと思う。凄く簡単だ。真っ直ぐ伸ばした足を、胸に当てるつもりで腿で振り上げるだけ──こんな感じ」
蹴り上げた脚をそのまま止めておくと「おお!」と歓声が上がった。日常生活において、こんなに開脚する者は居ない。あっても子供が親に身体の柔らかさ自慢をするときくらいだ。
「うわーっ!痛え!」
「全然上がんねーぞ!」
アレクスとキールは90度くらいは上がっている。微々たる違いだがキールの方が柔軟性が高く、体幹も良い。身体能力自体はキールの方が高そうだ。
「見てベルー、できたよー」
「なんでできてるのよ?エイルさんより胸にピッタリ付いてるし······」
男より女の方が柔軟性が高いとはいうが、これはエイルからしても羨ましい程だ。ミーアと比べてはいけないが、ベルも120度くらいは脚が上がっているが、体幹の方は転けそうで不安になる程ブレブレだ。
エイルはI字バランスで遊んでいるミーアに蹴上げをするように注意して、左右で100本を1セットで5セット行い、息吹で閉めて休憩にした。
「うわー、しんどー」
「エイルさん、この反復練習の稽古は、何の為にやってるんですか?」
脚を投げ出して地べたに座り身体を休めているアレクスが、稽古の意義について質問をした。
「今の段階じゃあ身体を動かす以上の意味は無いかな。正しい動作を覚えたら、そこからは正しい動作を身体に染み込ませる為の稽古になる。正しい動きとは1番効果を生む動きだ。休憩の後はアレクスとキールには、自分の武器を振る稽古をしてもらう。目的は今話した通りだ。ベルには瞑想をしてもらおうか。集中力を高めて魔法の精度が上がれば嬉しいし、丹田呼吸法で魔力の回復が出来れば尚嬉しい。探り探りだけどやってみて欲しい。ミーアは······一緒に組み手をしてみるか?」
休憩後、アレクスとキールは素振りの稽古を始めた。キールは得意な武器なだけあって綺麗な動きをしている。アレクスは勇者であって剣士では無いので無駄な動きも多い印象だ。
ベルは適当な魔法を放ってから、丹田呼吸法と瞑想をして、魔力の回復度合いを測る事になった。
エイルとミーアは組手だ。エイルはミーアのガードが甘かったら手を伸ばすくらいはするが、今日は好きに打たせる事にして、どこでも良いから打って来いで組手を始めた。
「本当に大丈夫?」
「ミーア程度じゃ何されても効かないぞ。試しに胸を殴ってみな」
そう言ってエイルは、胸筋を固めてドンドン!と叩いて見せた。
「人から出る音じゃ無いよー。でも、大丈夫そうだから打つよ。───やあっ!へにゃあ!?」
ミーアはエイルに拳···翼角が当たると同時に素っ頓狂な声を上げた。拳の握りが甘かったり当て方が悪いと、グニャッと巻き込まれてしまう。今のはそんな当たり方だった。
それからミーアの打撃を修正しながら、正に胸を貸した組み手を進め、初日の稽古を終了した。
「ベル、魔力の方はどんな感じだ?」
「激的に回復はしていません。最初に魔力を10消費していたとすると、今の時間で回復は2くらいですね。体感ですけど······普段と変わりません」
「そうか······普段と変わらないなら、ただ丹田呼吸をするだけでは魔力は取り込めないのか······。これを克服できれば魔法の燃費の悪さを解消できるんだが、先人達が挑戦して未だにできていないのだから、そう簡単には出来ないということだろうな」
魔力量はほぼ才能に依存している。数値化したならば魔法使いも平均が100前後で、ベルが110で、次いでアレクスが30くらい、キールとミーアは大体20くらいだ。
明確に数値で見ることはできないので「このくらいの魔力を10として、何回撃てますか?」とか「私がこのくらいのだから、あなたはこのくらい」のように、何かしら基準を設けての比較測定でしか測る方法が無い。
回復の目安は魔力量100が1日で、ベルが試しに使った分は準備していれば回復するので、この後依頼をこなしに行っても問題にはならない。
エイル達は稽古を撤収し、家に戻って汗を拭き、パンにたっぷりのチーズを乗せた簡単な朝食を摂って、既に多くの冒険者で賑わい始めたギルドに向かった。




