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千代兄妹の謎解きな日常  作者: お前らの敵対者
2章 殺意の行方
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 秋が深まり、朝がつらい季節になってきた。

 昔から寒さに弱い京香にとって、目を覚まして学校へ向かう朝の時間は、この時季の一番の苦行だった。兄の充はさほど苦でもなさそうに家を出て、彼女の中学校とは逆方向にある私立高校へ向かう。これが、千代兄妹の朝の風景だ。

 この日の昼休み、京香は同じクラスの水野凛みずのりんから奇妙な相談を受けた。

 それは、本校舎から離れた音楽室の近くにある女子トイレの落書きの件だった。凛によれば、トイレの奥の個室――ちょうどトイレットペーパーをセットする位置の下に、それはあったという。凛に連れられて件の女子トイレに入った京香が個室の壁を見ると、正方形のタイルの枠に収まるように、黒いマーカーで次のように書かれていた。


 次の会で、すべてが苦しみに包まれる。


 短く抽象的で、不気味さを感じさせる文章だった。

 不可解なメッセージに疑問を抱いたらしき凛が、京香の方を見て訊いた。

「この“次の会”って何のことなんだろ?」

「さあ? 分かんないわ」

 凛の問いに、京香が即答した。もちろん興味がないわけではなかったため、京香はすぐに訊き返す。

「凛がこの落書きを見つけたのはいつなの?」

「あたしが練習の途中でトイレを使ったときだったから……昨日の午後五時ぐらいだったかな?」

「凛、確か吹奏楽部だったっけ?」

 京香の問いに、凛は頷いて見せた。普通に考えればこのトイレの使用頻度が高い吹奏楽部の生徒が、この落書きをした可能性が高いだろう。つまり、凛も容疑者の一人と見ておかしくはないが、真偽は明確ではない。

「この“次の会”ってのが何なのか、気になるけど……」

 気付けば京香はそう呟いていた。

 少し考え込む素振りの後、凛が口を開く。

「多分、明日のホームルーム……朝の会のことかな?」

「え、それじゃ明日の朝の会で、何か良くないことが起きるってわけ?」

「いや、はっきりとは分からないけど……その可能性もあるんじゃない?」

 凛の言葉を聞き、京香は一抹の不安を覚えた。

 正体の分からないものに対する、漠然とした恐怖とでもいうのだろうか。何となく胸騒ぎがするような、薄気味悪い不安だった。

「水野さん、いる?」

 突然外から男子生徒の声がして、京香は微かに体を震わせた。

 凛は腰を上げて、ポケットからスマートフォンを取り出す。

「あっ……もうこんな時間か……もう、部活に行かなきゃ。京香ちゃんは大丈夫?」

 時間を確認してスマートフォンを戻し、凛は立ち上がった。

「うん、私のとこはあまりハードな部活じゃないから」

 そう、この中学校は野球とサッカーは練習に熱心で、部員たちの多くは強豪校へ進学していると地元で有名だが、他の部活はさほど力を入れていない。京香の所属するバドミントン部も例外ではないが、彼女は「スポーツはあくまで健康的に楽しむもの」という見解を持ち、それでよいと思っている。

 一人残された京香は、もう一度『次の会で、すべてが苦しみに包まれる』と書かれたタイルを見た。

 “次の会”とは一体いつのことなのだろう? それから、“苦しみ”とは何を意味するのだろう?

 座り込んで熟考するが、一向に謎は解けない。ただどことなく、この予告が何か不穏な予兆であることは分かった。

 しゃがみこんだまま数分考え込んだものの、結局何も予想できず彼女はトイレを後にした。



「……というわけで、知恵を貸して!」

 突然、僕の部屋へ押し入り、京香がそう頼み込んできた。

 彼女によれば、学校で不穏な落書きを目撃して、それについて僕の意見を聞きたいらしい。しかし、僕はまともに取り合う気はなかった。

「そんなものは、ただの悪戯だよ」

「何でそう言えるわけ?」

「だって、まだ何の被害も出てないんだろう? さしずめ、勉強や部活がうまくいかない生徒が憂さ晴らしにやってるだけだろうさ」

 返してから、僕は再び文庫本のページへ目を落とした。今手にしている本は、水泳に全力で臨む高校生たちの生活を描いた青春小説だ。相庭先輩から「面白いから読んでみて」と借りさせらせたため、暇つぶしに読んでいる。先輩の薦める小説はみな読みやすく、文章で冒頭から引き込まれる良書ばかりだった。

 再び若者たちの瑞々しい物語に没入していると、再び妹の声が耳朶を叩いた。

「もし、これで私の学校で何か事件が起こったら兄貴、死ぬほど後悔するわよ」

「何も起こるわけないだろ。てか、まだいたの?」

 適当に返してやると、京香があからさまに顔をしかめた。

「うわ、何なのそれ。いくら妹相手だからって適当すぎるんじゃない?」

「そりゃまあ、正直言って面倒だからね」

「じゃあ、後で兄貴の好きなアーモンドチョコ、私がおごってあげる。それでいい?」

 報酬が一箱二百円ほどの菓子一つとは、ずいぶんと安く見られたものだ。

 内心呆れながらも、僕は本にしおりを挟んで腰を上げた。

「じゃあ、さっそく見に行こう。京香、言ってたトイレまで案内して」

「えっ、今!?」

「そうだよ。もしも悪戯じゃなければ、明日の朝の会が危ないんだろう?」

 あえて「もしも」の部分を強調して言ったが、それでも京香はにんまりと笑んで頷いた。

「話が分かる兄を持って、私は幸せだわ」

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