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千代兄妹の謎解きな日常  作者: お前らの敵対者
1章 アイスモナカ盗難事件
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 断定はできないが、父と母のどちらがアイスを食べた可能性が高いかと聞かれれば、それは母の方だ。

 まずその理由は、母が甘党で逆に父は甘いものを一切食べないという点だ。いや、普段甘い物を食べない人でも、疲れたときは食べたくなるかもしれない。しかし、母にはもう一つ疑わしい点がある。昨日京香が「アイスがなくなってる」と言ったときに、母はこう言った。

「モナカアイス? もしかして、チョコ入りの小さいモナカ?」

 そう、母は京香のアイスが冷凍庫にあったことを知っていたのだ。

 僕は普段アイスを買って食べることはほとんどないため、帰宅した京香が盗難に気付くまでアイスの存在を知らなかった。父も料理をせずアイスは全く食べないため、冷凍庫を使うことはめったにない。母は調理で冷凍食品を使うことも多く、逆に冷凍庫の扉を開けない日の方が少ない。

 つまり、母が犯人であることはあっても、父が犯人である可能性は極めて低いというわけだ。妹から聞いた話によれば、彼女は昨夜父が帰宅するまで起きていて、会社から帰宅した父にモナカアイスを食べたか聞いたらしい。しかし、父は首を横に振って答えたという。

「いや、食べてないよ。そもそも、京香が買ったアイスがあったことすら知らなかった」

 父は嘘をつくような人物ではないし、やはり食べたのは母だろうか。

 パートから帰ってきて家事をしている途中、アイスに気付いてつい食べてしまい、娘の消沈ぶりを見て言い出しづらかったのか。いや、そんなことはない。

 確かに母はたまに僕や京香のアイスやお菓子を食べるときがあるが、それを黙っているような性格ではない。大抵は当日か翌日に謝って、近いうちに代わりのおやつを買ってくる。

 となると、犯人は家族ではないということになる。

「……今週の金曜日に、『今オススメの漫画特集』という漫画に特化した記事をメインにした新聞を発行しようと思う。おい、千代くん」

 僕の脳裏に新たな容疑者が浮かんだそのとき、聞き慣れた男の声が僕を現実へ引き戻した。

 机を二つ挟んだ向かいに座る男子生徒が、僕をじっと睨みつけている。男子生徒は僕より身長が五センチほど高く痩せていて、レンズの大きい黒縁眼鏡をかけている。顔立ちは精悍だが皺のない黒の制服を乱れなく着用しており、いかにも堅物のガリ勉といった格好の男子生徒だ。実際にクラスの成績は常に一位か二位をキープし、まだ二年生だがすでに受験対策をしているらしい。他の部員から聞いた話では、慶応義塾大学の経済学部を志望しているという。

 新聞部の先輩であり、先月に三年生が受験で引退して新部長となった男子生徒――長谷はせ由紀夫(ゆきお)は、呆れたように訊いてきた。

「君、さっきからぼうっとした顔しているけど、僕の話を聞いていたのか?」

「ええ、漫画のコーナーをメインにするというとこは聞きましたが、他は聞いてませんでした。すみません」

 正直に謝る僕に、長谷部長は大きくため息をつき、机の前で手を組み直した。

「全く……色々と悩みがあるのは分かるが、今は重要な会議中なんだ。ちゃんと聞いててくれ」

 彼が言い、僕の周りに座る部員が忍び笑いを漏らした。羞恥で顔が熱くなるが、自分が悪いので押し黙るほかにない。

 いま僕たち新聞部は、部室の中央に寄せて並べられた机を囲うように座り、『新聞部週末会議』をおこなっていた。これは毎週金曜日に新聞部が全校生徒から寄せられた感想や意見をもとに、記事の改善や新たな計画について話し合う会議だ。午後五時半から六時半までという時間帯もあり、軽い飲食も認められている。僕は帰宅してからゆっくりくつろぎたいので、飴を数粒舐めるだけにとどめているが。

「そこで、漫画特集の記事は相庭そうばさんに任せたいと思うんだが……いいかね?」

 長谷部長が僕から少し離れた席に座る女子生徒へ、期待に満ちた声を向けた。女子生徒はカップ状の容器から一本だけスナック菓子を摘まんで口へ運び、「オッケー」と気さくに応じる。

 返答を聞いた長谷部長が満足そうに頷き、会議は大詰めに入った。

 僕は二個目の飴の包装を破って口へ含み、隣の男子部員を挟んで座る女子生徒をちらりと見遣った。

 女子生徒はスナック菓子を咀嚼しながら、会議前に配られた資料を悠然と眺めている。波打つライトブラウンの髪で色白な横顔が少し隠れているが、見る角度をずらすと切れ長な目が窺えた。白いブラウスに茶色のセーターを整然と着用し、ファッションモデルのような洗練された雰囲気をまとっている。

 相庭真美(まみ)

 新聞部の中心メンバーの一人であり、恋愛やミステリー、ファンタジーなどジャンルを問わずあらゆる本を好む読書家だ。文章力も優れており、主に小説や漫画を紹介する記事を執筆している。僕より一つ上の二年生で、将来はジャーナリストを目指しているらしい。

 そう、彼女こそが僕が新聞部に入るきっかけを作った人物である。



 ちょうど半年前、まだ僕がこの高校へ入学して間もないときのことだった。上級生たちが部活の勧誘に励み、同級生たちが次々と部活を決めていく中、僕は早く家で休もうと校舎を出て帰路に就いた。

 校門を出て十メートルほど進んだところで、突然後ろから聞き慣れない女の声に背中を叩かれた。

「ねえ、君。千代くんでしょ?」

 僕が振り返ると、黒いブレザーを着た女子生徒が立っていた。切れ長の目が凛々しく、しかし顔には人懐っこい笑みを浮かべている。身長は女子の中では少し高めで、向かい合った僕と目線が同じ高さにあった。

 長身の女子生徒は僕に歩み寄って続けた。

「私は二年の相庭真美。新聞部やってるんだけど、ちょっと近くの店で一緒にお話しない?」

 少し面倒に思いながらも断りづらく、僕は相庭と名乗った新聞部の先輩と共にファミレスに立ち寄ることにした。

 ファミレスでチーズケーキとカフェラテを注文した彼女は、ひと口だけケーキを食べて開口一番に切り出してきた。

「後輩の子から聞いたんだけどさ、千代くんって文房具オタクなんだってね。筆記具からデスク周りの小物まで、何でも網羅してるとか」

「網羅というのは少し大げさですよ」

 そう謙遜して返したが、彼女の評価はあながち外れてはいなかった。確かに僕は小さい頃から文房具が好きで、中学生になってからはシャーペンやノート、消しゴムなど、あらゆる文房具を集めるようになっていた。高級なものではないが万年筆も三本だけ持っている。最近は文房具の雑誌で部屋の本棚の半分が埋まってしまうほどで、知識もそれなりにはあるつもりだ。

 僕は最初やんわりと断るつもりだったが、彼女の胸元を見て思いとどまった。

 彼女の豊かな胸に見惚れたわけではない。僕が注目したのは、黒いブレザーの胸ポケットに挿されているペンだった。

 ゼムクリップを模したようなワイヤー式のクリップに、蛇腹式の黒いノック部分。クリップの付け根の色はクールなシルバーだ。それは、文房具に詳しい人間なら誰しも知っているペンだった。

「そのボールペン、ラミーのアルスターですね?」

 僕が口を開くと、相庭先輩は嬉々とした顔で頷いた。

「そうだよ。このペン、サファリと似たデザインなのにすぐ分かるなんて、やっぱりすごいね」

「ええ。ボディの色ですぐに分かりました」

 そう、サファリはアルスターと値段が異なるが、ボディの色にも違いがある。サファリは赤や黄、青などのポップな色を多く取り揃えているが、シルバーは存在しない。さらに言うと、サファリとアルスターは万年筆、ボールペン、シャーペンの三種類を展開しているが、それぞれ形状に特徴がある。ちなみにラミーは、『ラミー2000』のペンで有名なドイツの筆記具メーカーだ。

 相庭先輩は目を輝かせたまま、少し身を乗り出すようにしていった。

「私も千代くんほどじゃないかもしれないけど、文房具に興味があるんだ。他にも、うちの部員はそこそこ文房具が好きな子が多いから、気の合う友達ができるかもしれないよ?」

 もちろん全員が文房具好きってわけじゃないけどね、と相庭先輩は続けた。

 彼女の話を聞いた僕は、すぐに返事を返せなかった。

 小さい頃から明るくてスポーツ好きないわゆる『体育会系』が苦手だった僕は、中学に入学してすぐ活動の少ない絵画部へ入った。しかし、絵画部の部員たちはあまり文房具に興味がなく、どちらかといえば漫画やアニメが好きなオタクが多かった。絵を描くことが特に好きではないこともあり、部活に馴染めなかった僕はたった二か月で絵画部を退部した。

 そういったこともあり、高校では同じ趣味の人と親しくなりたいと思っていたが、同時に新たな環境へ身を投じることへの不安もあった。それは例えば、新聞部で苛烈ないじめがあったり、勉学に支障をきたすほど活動がハードだったりといった不安だ。

 実は中学生のときに絵画部を辞めた後、校内で絵画部員と顔を合わせるたびに非難するような目を向けられ、後ろめたい思いをしていた。だから、どうしても部活動に入ることに慎重にならざるを得なかったのだ。

 結局僕は即決できず、歯切れの悪い口調で返した。

「その……とりあえず明日、部活の見学だけさせてもらって、それから考えてもいいですか?」

 僕の返答に、相庭先輩は満面の笑みを浮かべて見せた。

「もちろん」


 その翌日、僕は学校帰りに新聞部の部室へ立ち寄り、活動を見学した。相庭先輩が言っていた通り、新聞部には文房具に興味のある部員が数人いて、その中にはすでに僕のことを知っている者もいた。

 見学を終えて帰宅した後、僕はじっくり考えて新聞部への入部を決意した。

 ある程度予想していたことだが、新聞部での活動は決して楽ではなかった。しかし、相庭先輩が文法のいろはや目を引く見出しの作り方を教えてくれたから、さほど苦戦せず活動に取り組めた。僕が最も恐れていたいじめはなく、僕の苦手な体育会系の生徒もごく少数だった。

 新聞部に入って一番よかったことは、何よりも同じ文房具好きな生徒と友だちになれたことだ。僕は部活の休憩中に友人と文房具を見せ合ったり、好きなシャー芯のメーカーや硬度について語り合ったりした。

 後で聞いた話によれば、長谷部長が新聞に文房具のコーナーを追加しようと決めたのが今年の二月で、相庭先輩は彼に頼まれて僕をスカウトしたらしい。

 そう言ったわけで、僕は決して社交的とはいえない性格でありながらも、もう半年近く部活を続けられている。

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