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異形の賜物  作者: 藤沢凪
38/42

異形の賜物38

18

 後部座席に置いた練炭を焚いた。煙がある程度落ち着いてから、車のドアを閉め、漏れないように外からテープを貼っていき、最後に車の中に入りドアを閉めた。


 ネットで調べていた体験談以上の息苦しさだった。睡眠薬を使って眠りに誘われながら死ぬのが定石だったようなのだけれど、手に入れるまでも煩わしいし、彼に電話をしなければいけないので睡眠薬は服用していない。


 どちらにしても眠れる気がしない。苦しみながら死ぬのが、私の何かしらへの償いかもしれない。


 彼の仕事が終わっている筈の時間に電話を掛けた。


「もしもし」


 知らないはずの番号からの着信を、十秒程で彼は取ってくれた。


「もしもし、ゆかです」


 久しぶりに声を出したせいなのか、練炭の煙で喉を痛めていたのか、声は掠れて聞き取り辛かったはずだった。


「だと思ったよ。そうだと思った」


「ゴメンなさいってだけ先に言わせてもらうね、なお君を私の事に巻き込んでしまった事を謝りたいな」


 私は穏やかな最後を迎えるつもりだった。だから、過去をひとつひとつ彼に謝りながら、最後を迎えようと思っていた。


「僕は巻き込まれてなんかないよ、そして何も傷付いてなんかいない。君との出来事で、僕は傷付いた事なんて一度も無いんだよ」


「嘘だよ。私最低な事したもん」


「それは君が優しいから、だからそう思ってしまうんだよ。君が何を謝っているのかは分ってる。だからもう言わなくていい」


「ゴメンね、こんな最後で」


「どうやって死ぬの?」


「練炭で、ネットで見た通りにしているだけだから、上手く死ねるか分からないけど」


「練炭って、そっか」


「そう」


「死なないでって僕は言うけど死ぬの?」


「死ぬよ」


「勝手なんだよ」


 彼は静かにそう言った後に、次の言葉を叫んだ。


「いい加減にしろよ!」


 彼からそんな大きな声を、怒号を聞いた事が無くて、私は声が出せ無かった。


「みんな勝手なんだよ! なみもゆうきも君も、みんな勝手なんだよ!」


 彼の声は上擦りながらも、その感情を表しているかの様に上下に揺れていた。


「みんな僕を一体何だと思ってるの? みんな死んでしまうけど。僕は傷付かないと思ってるの? それとも僕は傷付いてもいいの?」


 彼がこんなにも取り乱す所を見た事が無かった私は、自分の意見を口に出せる程、思考を整理出来なかった。


「分かってるよ、僕も悪いんだって。僕が言えなかったから。もっと、本当はもっとみんなに伝えたい気持ちがあったのに、伝えきれなかったんだ。怖かったから、自分の感情を晒け出す事は怖かったんだ。僕はみんなの事より自分を優先したんだ。君だって僕がもっと、もっと強く想いを伝えられていればこうはならなかったかもしれない。二人きりで会える場面があったのに、僕は君に伝えきれなかったんだ!」


 私は、今は彼の言葉をちゃんと聞いていたかった。目を閉じて、彼の想いを最後に、最後まで聞きたかった。


「お願いだから、僕の事を見てよ。僕だって今生きてるんだよ。君の事を大切に思っている。ゆうきの事を大切に思ってた。なみさんの事も大切に思ってた。今僕は君の為に生きている。だから、お願いだから、死なないでよ!」


 彼の想いを最後まで受け止めた。私の目からは涙が溢れていた。でも、この涙が流れてしまった訳が、私にはまだ分かっていなかった。


「ゴメンね、私は生きているだけできっと、またなお君の事を傷付けてしまうよ。それに、もう引き返せないんだよ。今ね、お母さんから車を盗んで、その車の中で死のうとしてるんだ。私ね、お母さんと二人暮らしなんだけどあんまり仲良くないの、もう元の生活には戻れないんだ。その覚悟でここまで来たんだから」


 私は多分彼の想いを心では分かっていても、頭では理解しない様にしていた。もう戻る事は出来なかったから。


「知ってるよ。お母さんの車を盗んだ事」


 彼の言葉の意味が、理解出来なかった。


「どういう事?」


「会ったから、君のお母さんに」


 私の頭はぐちゃぐちゃに回り始めた。だから、まだ彼の言っている意味を理解する事が出来なかった。


「なんで」


「君の事を君のお母さんに全て伝えるため」


「なにそれ」


「君の為だと思ったんだ。ごめん」


 私は感情を抑える事が出来ずに、叫んでいた。


「勝手な事しないでよ!」


「君にそんな事言う資格は無いよ」


「あなたにそんな事までされる筋合い無い!」


「君の事を大切に思っている人が、僕が知ってるだけでも三人も居るのに、君はそれを見ない様にして死のうとしてるじゃないか! 僕だって、そんな君に、勝手だなんて言われる筋合い無いんだよ!」


「そんな人居ないよ。そんな人を作らない様にしてたから」


「僕の想いは伝わらなかったんだね」


「あなたは私と同じだから、あなたが傷付いている理由は私と同じだから、私の事は気に掛けないでって言ったよね? 関わらないでって言ったよね?」


「関わらないでなんて言われてない。関わらなくてもいいって言われたんだ。だから僕は、君と関わって生きる事を選んだんだ!」


「そんな言い方したのなんか覚えてない! 私はもう誰とも関わり合う気なんか無かった」


「でも君だって、誰かと関わり合う事を選んだんだよ。生きていく事には迷ったけど、僕や先輩と関わり合う事を選んだんじゃないか!」


「そんなの選んでない! 選んだつもりじゃなかったんだよ」


「それでも僕らは一緒の時間を過ごして、料理を食べて、ビールを飲んで、鍋を囲んだんだ。その出来事は僕達三人の中で、取り消す事の出来ない事なんだよ!」


「もう止めてよ! 最後なのに、最後って決めてるのに、最後くらい優しく見送ってよ」


「君は、本気でそんな事言ってるの?」


「そうだよ」


「優しく見送るってなんなの? 自殺していく人間を、優しく見送る世界なんてあったら駄目なんだよ! 僕は、君が死ぬまで君が生きる事を諦めないよ。練炭で死に至るなら、君は死ぬまで僕に否定されながら死ぬんだ!」


「なんでそんな事言うの」


「君が大切だからだよ」


「やめてよ。迷惑なんだよ」


「僕はこれで君が死んだら、君の最後に酷い事ばかり言ってしまった自分を後悔しながら生きていくよ」


「なにそれ」


「君が最後に連絡をくれるって言ってくれた日から悩んでたんだ。そして僕は、君と向き合って対立してでも、自分の想いを伝えきる事を選んだんだ。最後に君に嫌われて、君に最悪な思いをさせて死なせてしまえば、僕はずっとその事を悔やんで生きるかもしれない。でも、僕達にとって最悪な結末になったとしても、優しく見送るなんて出来無かった。君が何て言ったとしても、僕は君が死ぬ事を納得なんてする筈無かったから!」


 彼が泣いているのを分かっていた。二人ともずっと、流れる涙を止める術も無く話し続けていた。


「でも、私はもう無理なんだよ」


「君は本当に、今心から話しているの?」


「どういう事?」


「僕は考えていたんだ。君の行動の原理を、考えれる事は全て考えたつもりだよ」


「だから何の事を言っているの?」


「君が僕に、最後電話を掛けようと思ったのはなんで?」


「分からない。ゴメンなさい、本当に分からないの。あなたを傷付けるだけなのに、何で私あんな事約束してしまったんだろう」


 私にはもう、偽る力も残っていなかった。正直に自分の言葉を伝えた。


「無意識だったんだと思う。君は、僕に君を止めて欲しかったんだよ」


 偽る術を無くした私の心に、その言葉は深く刺さってしまった。


「僕と君は似てるんだよ。君は前に、僕と二人で会った時に僕に死ぬ事を宣告したよね?私は先に言って欲しかったって言った。でももし君が、ゆうきが自殺する前にそんな事を言われたとしたら止めない筈がない。そして、あの日に君は僕に、君と僕は似ていると言った。君は、止めて欲しかったんだ。本当に無意識だったんだろうけど、自分が死ぬのを止めて欲しかったんだ!」


「そんな事、思ってないよ」


「最後に電話するって、本能がそうさせたんだよ。君はゆうきに言いそびれた事は無かったの? 言いたかった筈だよ。死ぬなって、勝手だって、泣きながら自分の想いを晒け出したかったんだよ。僕だってそうだよ。出来ずに後悔していたんだ。そして君は、君と似ている僕にそうして欲しかったんだ。僕に死ぬなって、勝手だって言って欲しかったんだ!」


 身体が、胸が熱くなっている事に気が付いてしまった。


「もしも、君がそれをゆうきに伝えられたとして、君はゆうきにどうして欲しいの? 生きていってほしいんじゃないの? それが、今僕が願っている事なんだよ」


 私は、あの時の自分と彼を重ねていた。


 出来なかった。このまま死ぬ事なんて出来なかった。


 何よりもあの人の事が大好きで、いつまでも、いつまでもあの人に恋をして生きたかった。


 生きていって欲しかった。


 あの時の私と同じ彼に、同じ悲しみを渡す事なんて出来なかった。


 彼を、これ以上傷付けたくないという想いは嘘じゃない。私が今、死なないというだけの事を彼が望むのならばそうしたい。


 死で満たされていた心があらわれていく様だった。そして、訳も無く流れた涙の意味にも気付いた。


「ただ単に、あなたを傷付けたかっただけかもしれないんだよ?」


「僕は最初に言ったよ。君はそんな人間じゃない。本当は優しい人間なんだよ」


「お母さんに怒られちゃうよ」


「叱られておいで」


「嫌だな、でも私ね、ただもう一度だけでも、なお君の顔が見たくなったんだ」


 私の左手にはもう、携帯を握り留める力さえ残っていなかった。


 右の手はもう動かなかったから、携帯を落としてしまったその左手を力を込めて動かし、車のロックを外し、体重を掛けてドアを開けた。


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