短縮詠唱
セルの教えのおかげで、無事に魔法の習得に成功した。
覚えた魔法はファイアボール一つだけ……それでも大きな一歩である。
零と一で大きく違うからな。
ようやくこの世界で戦う武器が手に入ったわけだ。
「ありがとなセル! 説明わかりやすかったぜ!」
「ふふ……そうか、そうか。そうだろう」
手をギュっと強く握ってぶんぶんと振る。
感謝の気持ちを告げると、満更でもない顔を見せるセル。
最初少しポンコツなんじゃないかと疑ってごめんよ。
「しかし……本当に一回目で成功させるとはな。あとは実戦で確実に使えるように練習だな」
「うん? 今ので成功してるんじゃないのか?」
「甘いぞ。普段詠唱するのと戦闘中に詠唱をするのは難易度が全然違う。危機的状況であるほど成功率は大幅に下がる。緊張、恐怖、そういった感情は声を震わせ詠唱を狂わせる」
「…………」
「深い傷を負い、どんな痛みを感じようとも確実に詠唱を成功させる。そこまでできてようやく極めたといえる。そのためにはひたすらに反復練習するしかない」
「なるほど……忠告サンキュ」
セルの言うとおりだな。
生死を分けるギリギリの場面で、詠唱に失敗したら悔やんでも悔やみきれない。
「さて、そろそろ……セイントバリアを解除したから現れてもいいはずなんだが」
「???」
「……お、きたな」
セルが呟くと、湖の中から丸い半透明のぷよぷよした不定形の物体が現れた。
のそのそと這いながら、ゆっくりこちらに近づいてきている。
大きさは大体五十センチメートルくらいだろうか。
「トール、あれがスライムだ。物理攻撃の耐性が高く斬撃で分断しても、中心部の透明な核を破壊しない限り、すぐくっついて元通りになる。武器で戦う場合は面倒な相手だが、攻撃面積の大きく、遠距離攻撃できる魔法なら倒すのは難しくない」
スライムは目測で大体十メートル先ってところだ。
移動スピードも速くない。あれなら十分に狙えそうだ。
「落ち着いて狙え、もし失敗して近づいてきても私が守ってやる」
「あ、ありがとう」
やばい……セルさん超男前だ。
結界修復の時とお互いの立場が逆になっている。
今は彼女の存在がとても心強い。
おかげで魔物を前にしても緊張せずにすんでいる。
平常心を維持し、掌をスライムに向けてかざす。
「炎よ、我が前に立ち塞がる敵を撃て……ファイアボール!」
詠唱終了と同時、先ほど同様に掌が光りだし火の玉が射出される。
火の玉はそのままスライムへと着弾する。
ブシュウウと水が蒸発する音がしてスライムの体積が半分ほど減少する。
「トール、もう一発だ」
「お、おう。炎よ、我が前に立ち塞がる敵を撃て……ファイアボール!」
再び射出される火の玉。スライムはそのまま消滅した。
セルはスライムのいた地面へと近づく。
「……お、あったな」
セルがしゃがみこみ何かを拾い、俺の傍に戻る。
そうしてセルから渡されたのは透明なビー玉みたいな物体。
「それがスライムの核だ。水耐性の装備品作成によく利用されている。ギルドに持ち込めば買い取ってくれるはずだ」
「なるほど……しかし小さいな。武器で戦う場合これを狙わなきゃいけないのか? 剣なんかで狙えるのか」
核の大きさは三センチメートルくらい。
小さくて透明だからスライムボディの中だと、どこにあるかパッと見ではまずわからないだろう。
「慣れれば可能だ。コツは目に頼り過ぎないことだ。核が発する魔力の位置を正確に把握すればいい」
「ふぅん」
理解はできないけど、凄いことなのは伝わってきたよ。
「一応注意しておくがスライムに対しギルドが危険度に応じて指定した魔物ランクはE、ゴブリンのFよりも高いんだ」
ギルドの設定した目安として。
基本的に冒険者ランクと同ランクのモンスターであれば一対一で戦えるとされている。
ただこれは結構基準が曖昧な目安で、相性などで変化するそうだ。
またパーティを組めば多少上のランクでも討伐できるようになる。
「それと、スライムと魔法職の相性がいいのは確かだが……洞窟など暗闇で遭遇した場合は本当に危険だ。天井に張りついたスライムが頭に落ちてきて顔を塞がれ、窒息死したという話もたくさんある」
「うぇ」
魔法職は口を塞がれたら詠唱できない。
そうなったらとれる手段は殆どない。
極力ソロでダンジョンに潜るのはやめたほうがいいと言われた。
そのあとも俺はファイアボールの練習を続ける。
スライムは大体十分に一匹くらいのペースで出現した。
「炎よ、我が前に立ち塞がる敵を撃て……ファイアボール!」
一時間が経過……これでスライムを倒したのは七匹目だ。
ちなみにここまで俺はすべての詠唱に成功している。
あ……また出たぞ。
「炎よ、我が前に立ち塞がる敵を撃て……ファイアボール!」
「炎よ、我が前に立ち塞がる敵を撃て……ファイアボール!」
スライムにファイアボール二発を発射、これで八匹目だ。
「すごいな。初級魔法とはいえ……覚えたてでここまで完璧に発動させるとは」
「ああ、今んとこ成功率百パーセントだな」
俺の魔法を見てセルが感嘆の声を零す。
「大したものだが油断するなよ。ほら、次のスライムが来たぞ」
「おっと……炎よ、我が前に立ち塞がる敵を撃て……ファイアボール!」
飛んでく火の玉。
スライムを倒すのに二発必要なので、そのあと追撃でもう一発ファイアボール。
にしても、ここまでなんか作業的というか。
やっぱり気が緩んでしまいそうになる。
湖周辺は障害物がほとんどなく、見晴らしがいい。
水中でなければ奇襲を受けることもない。
すごく温いシューティングゲームをやっている気持ちになってきた。
集中力を切らしちゃ駄目なのはわかってるんだけどさ。
気を付けないと、詠唱が雑になってきそうだ。
あれ? そういや……。
「なぁセル……魔法って無詠唱とかできないのか?」
「無詠唱? なんだそれは?」
「えぇと……詠唱をせずに魔法を発動させるっていうのかな」
「そんな馬鹿げたスキル聞いたことがないぞ」
よく小説なんかでは出てくるんだけどな。
セルは知らないようだ。
「先ほども話したが、詠唱とは言葉で精霊に魔法発動をお願いするプロセスだ。無詠唱など精霊へのお願いの放棄と同義ではないか。そんなスキルが存在するわけがない」
まぁ……そうだな。
てことは毎回、この中二病チックな詠唱をしなければならないのだろうか。
まぁそれは嫌いじゃないからいいんだけど。
発動までにかなり時間が必要なのはいただけない。
「無詠唱は無理だが、詠唱を短縮することはできるぞ」
「あ、一応あるのか」
「ああ短縮詠唱と言ってな」
何も知らない俺にセルが丁寧に説明してくれる。
まず詠唱について、これは厳密には前唱、後唱の二つに分かれる。
これは難しい話ではなく。
ファイアボールの詠唱『我が前に立ち塞がる敵を撃て、ファイアボール』を例にとると。
我が前に立ち塞がる敵を撃て(ここまで前唱)、ファイアボール(後唱)。
セイントバリアだと。
聖なる光よ、天より降り注ぎ、我らを守護し、導きたまへ(前唱)セイントバリア(後唱)
このようになり基本的に後唱は魔法名となる。
短縮詠唱は前唱部分を省略して、後唱のみ詠唱する。
つまり「ファイアボール」、「セイントバリア」、これだけ口にすれば魔法は発動する。
「詠唱が長いほど伝える言葉が長ければ長いほど、詠唱は正確性と安定性を増して魔法の成功率はあがるわけだ。だが、補助具もなしに、後唱だけで唱える短縮詠唱ができる者など人間では……」
「ふむ」
まぁ……セルはああ言っているが、せっかくだし駄目元で試してみるかね。
失敗しても損するわけじゃないしな。
「ファイアボール!」
詠唱が終わった瞬間、掌が淡く光りだす。
ボウンと、掌から空へと射出される火の玉。
「…………はぇ?」
セルが呆然とした声を出す。
「なんだ、できたじゃないか。一応マグレかもしれないし、もういっちょファイアボール! 二発目ファイアボール! 最後におまけのファイアボール!」
「…………え、あ? あぁあ?」
今度は三発。
ボン、ボン、ボンと空へ火の玉が飛んでいく。
詠唱量が半分以下になって速度が倍以上に向上したぞ。
「め、滅茶苦茶早いじゃないか……すげえ楽だぞこれ」
「……ト、トール……ま、待て」
ガシッと後ろから強く肩を掴まれる。
振り向くと、そこには目を大きく開き、あり得ないものを見た顔のセル。
「なんだセル?」
「待て、待て待て待て……待てって」
「俺はいつまでも待ってるよ、なんだよ?」
セルは相当に動揺した様子だ。
てか、顔近いってば……さすがに照れるぜ。
「トール……さすがにこれはおかしいぞ」
「おかしいったって、実際成功したんだけど」
「だからそれがおかしいんだ! そんな適当に口にしただけで短縮詠唱がポンポン成功するわけがないんだ! フル詠唱で失敗しないのはまだわかる。だがこれはどう考えても異常だ!」
よほど興奮しているのか、セルの声が荒い。
顔に唾まで飛んできたよ。
「そんなこと言われてもな。熟練の魔法職でも無理なのか」
「可能だが、それはあくまで詠唱補助具などを装備すればの話だ。普通に成功させられる者など元々精霊との繋がりが強く魔法に精通したハイエルフくらいのものだぞ」
わけがわからないといった様子のセル。
「普通に自分の声に調律スキルを使って、詠唱しただけなんだけどな」
「なに?」
俺はセルにその旨を説明する。
そんなに特別なことはしていない。
「調律スキルを使えば安定した詠唱ができる。余程、声が外れなければ音程も音量も想像通りの完璧に近い詠唱ができる」
「そ、そうか、合成魔法の時と同じように……それで短縮詠唱が成功したのか。吟遊詩人のスキルと魔法詠唱、本来交わることのない組み合わせが奇跡的に噛み合った結果というわけだな」
ぶつぶつと考えをまとめるように呟くセル。
「わ、わたしが言うのもなんだが……ちょっと、ずるくないか?」
「そんなこと、言ったってな」
詠唱を苦手とする彼女の気持ちはわからないでもないけど。
「しかし、成功した理由は本当にそれだけだろうか?」
「と、いうと?」
「過去、多くの人間が短縮詠唱に挑戦してきたが素の状態で成功した者はいない。詠唱の精度をあげることで短縮詠唱が発動する。その条件だけなら精霊との親和性が低い種族でも、少しは成功例があっていいと思うんだが……」
セルが説明を始める。
本来は補助具なしではなしえない短縮詠唱。
詠唱補助具は精霊との繋がりを強める効果があるそうだ。
これは先ほど俺が湖に浸かった時よりも、ずっと強力なものだ。
魔法は精霊が引き起こす現象で、精霊との繋がりが強ければ詠唱が伝わりやすくなり、詠唱成功率があがる。
先ほど話に出たハイエルフは身体に精霊が住んでいるとかで、他種族と比較にならないほど強い繋がりを持つらしい。
ゆえに詠唱成功率が抜群に高く短縮詠唱も可能だそうだ。
「まぁ……俺には小難しいことはわかんないけど、実際できたからいいんじゃないか」
「う~ん」
セルは納得いっていない様子だ。
「そういえばトール……かなりの数のファイアボールを撃ったが、魔力の残量は大丈夫か?」
「ああ」
魔力回復スキルですぐ回復するしな。
「そうか……魔力持ちは総じて魔力が低いと聞くが」
「他の人と比較してないからわからないけど、たぶん少なくはないと思う……一応MPだけは二百以上あるし」
「に、にひゃくっ! な……なんだそれは、吟遊詩人なのに高レベル魔法職並みの魔力量ではないかっ」
目を大きく開くセル。
「ま、こんだけ魔力があっても初級魔法しか使えないんじゃ宝の持ち腐れな気もするけどな」
両者がアンバランスなせいで、能力を十全に活かすことができない気がする。
例えるのならパソコンのメモリは高くてもCPUが低いというか。
銃の弾薬は大量にあるけど銃自体が単発式で結局大した活躍ができないとか、そんなイメージ。
「短縮詠唱ができるなら早撃ちできるし、ある程度その問題はカバーできると思うがな」
「……なるほど」
「気になるならトール、少し実戦形式で確認をしてみるか?」
「実戦て……Fランク冒険者の俺とAランクのセルじゃ実力が違いすぎるんじゃないのか? ちなみにセルのレベルっていくつだ」
「五十六だな」
「……無謀だろ? どう考えても勝てっこない」
実際その目で実力を見たわけじゃないから、どんなものかは知らないけど。
俺の十倍近いレベルを相手にまともな戦いになるとは思わない。
「別に本気の戦いをしようというわけではない。私は防御だけ、反撃はしない。今回はトールのスキル確認が目的なのだからな。私自身もかなり興味があるし」
「なるほど……いや、まぁ魔法を実戦で試したい気持ちはあるけどさ。それに友人の女相手に火の玉をぶっ放すってのも抵抗があるなぁと」
「ははは……気遣って心配してくれるのはありがたいが、私がダメージをもらうことはあり得ないさ……もし一発でも当てることができたら今日の晩飯を奢ろう」
「……ふぅん」
そこまで言うなら挑発に乗っちゃうよ。
安い挑発に乗っちゃうよ。
自慢じゃないが、そんなに煽り耐性があるほうじゃないんだぜ。
「仮にダメージを受けても私には回復魔法がある。事前に、数発魔法を防いでくれるマジックガードの魔法も展開しておくしな。遠慮なく放ってきていい」
「……わかった。ならやろうか」
勝つことは無理でも、セルを少しは驚かせてみたいものだ。