魔法講習
翌朝。
「う、う~ん」
異世界生活五日目。
ベッドから起き上がり、大きく背伸びをする。
少しずつ、この世界にも慣れてきた気がするな。
部屋を出て、階段を下り宿の食堂へ。
「あ、おはようございます」
「あら、おはよう」
宿を経営しているのは三十代後半くらいの仲のいい夫妻だ。
五日目となると、宿の女将さんたちとも結構話すようになった。
「……おや?」
「な、なんですか? そんなに俺の顔を見て?」
女将さんが俺を恰好を値踏みするように見てくる。
「…………」
「あ、あの、さすがに旦那さんの手前対応に困るんですが、若い男に興味がある気持ちはわからないでもないですが」
「何を馬鹿言ってるんだい? アンタみたいな子供に浮気なんてするわけないだろう。それに、ウチの旦那は世界一の男なんだから」
「……だとよ。残念だったな坊主、男を磨くんだな」
奥の厨房にいる主人から声が聞こえてくる。
こういう風にオープンに好きって言えるのは、美徳だと思う。
「はは、わかってますよ。まぁ俺を選ぶメリットなんて……老後の面倒を見れるくらいですし」
「……え? 今なんて」
「…………お、おい、やめろよ、そういうこと言うの」
妙な間が空いて焦る旦那さん。
なんか勝手に振られた空気になっていたので、反撃で夫婦の愛に楔を打ち込んでみた。
まぁ……危ない冗談はこれくらいにしておこう。
コホン、と誤魔化すように咳をする女将さん。
「その、なんだ。アンタを見ていたのは寝ぐせもないし、服もいつもよりちゃんとしてると思ってね。もしかしてデートかい?」
「ええと……デートではないけど、女性と一緒なのは確かですね」
「そうかい、ま、頑張りなよ。アンタ顔はいいんだから、黙ってればイイ線いくはずさ」
ほ、褒められている感じがまったくしない。
黙ってて、どうやって口説くんだ。
朝食を食べて冒険者ギルドへ。
朝は一番混雑する時間のようで、カウンターには列ができている。
セルはもうギルドに来ているだろうか?
俺は目的の人物を探す。
「……来たか。トール」
「おはようセル」
セルと朝の挨拶をすると、周囲がざわめく。
いつもより注目を浴びていることに気づいた。
「おい、あれ見ろよアレ」
「うん? 聖剣姫セルじゃねえか」
「ああ、今日も凛々しいな」
まぁ見られるのも無理はないか。
セルはAランク冒険者だって話だったな。
それに美人だし……てか、なにその二つ名。
ちょっと格好いいじゃないか。
「隣の男は誰だ?」
「ほら、あいつは先日噂になってた吟遊詩人だよ」
「ああ、マンドラゴラを直で抜いたってやつか!」
「そうか! あいつがマンドラゴラの奴か」
なぁ、まさかと思うけど……俺の二つ名、植物の名前にならないよな。
まじでやめてくれよ。
「それじゃあ早速、湖に向かおうか」
「わかった、今日はよろしく頼むぜ」
「ああ……任せておけ」
セルとともに街を出ていく。
街から一時間ほど南に歩いた場所に湖はあり、お昼前には着くそうだ。
昼食は事前にサンドイッチを購入してある。
街から湖までは見通しのいい草原となっている。
南側は魔物もほとんど出現しないそうだ。
湖へ繋がる道は馬車が通れるくらいの幅がある。
道沿いには聖水がまかれ、魔物が街道に寄って来ない工夫がされている。
一応、街から遠方に出かける場合は乗り合い馬車もあるそうだ。
まぁ今のところは外に出る余裕もないけどな。
「そういや、今日こうして付き合ってくれてるけど、セルは普段ソロで活動しているのか?」
「基本的にはそうだ。聖騎士はソロに向いているしな。防御力も高く、高レベルの回復魔法も使えるし、攻撃力もそれなり……まぁ罠の多いダンジョンに行くとなったりすると厳しいし、その時々で臨時のパーティを組んだりすることもあるが」
「Aランク冒険者ってどんな仕事をするんだ」
「そうだな……最近の依頼ではヌング山でワイバーンの巣の殲滅、その一つ前は王都最大の商会であるアスタル商会の会長の護衛依頼なども受けたな」
「……お、おおう、なんか聞いているだけで凄そうだ。さぞかしお金も貰えるんだろうな」
「確かワイバーンは一匹で成功報酬三千万ゴールドだったかな」
単位が色々おかしい。
一匹狩れば普通に十年は暮らしていけそうな額だ。
「Aランク冒険者ってすげえ稼げるんだな」
「そうだな。だがソロで討伐するのでなければ仲間への分配分などで減るし、魔物が強ければ強力な装備やアイテムが必要になるから経費も増える。失敗した時のリスクも大きいぞ」
ハイリスクハイリターンてやつか。
「私のことはさておき、トールはどうなんだ?」
「俺はジョブがジョブだからなぁ、そもそも、パーティを組んでくれる奴を探すのが面倒そうだ」
せめて他のジョブにはない強みがあればいいんだけど。
歌も現状では役に立たないしな。
「冒険者に拘りがあるわけじゃないのか?」
「そりゃあ冒険者になって一攫千金を狙ってみたい気持ちはあるよ」
せっかく、こういう世界に来たわけだしな。
「憧れる気持ちはある……けど、ゴブリンに痛い目を見せられそうになったり、ジョブが外れだったり厳しい現実を知るうちに、妥協点を探すべきかもなという気持ちもあったり……」
「う~ん……トールは冒険者としてやっていけると思うんだがな」
「その根拠は?」
「私の勘だ」
なんだそりゃ……。
「トールは雰囲気がどこか異端というかなんというか、私の知る限りそういう奴は大抵なにかがあったりするんだが……うまく説明できないがな」
もし本当に潜在能力とかあるなら俺が知りたいよ。
でもまぁAランク冒険者の話となると、少し期待したくもなる。
「冒険者にならないにしても、トールのスキルなら魔法を教える側にも向いているんじゃないか?」
「……ああ、そうかもな」
学校の教師とかそんな感じの職業か。
この世界には魔法を教える学園もあるって話だ。
でも貴族とか生意気そうなイメージだし、キチンと相手できるかな。
ストレスで初日で辞めそうな気がするよ。
「ま、どちらにせよ初級魔法を覚えておくことは損にはならないはずだ」
「ああ」
雑談をしながら二人で歩く。
「あああああぢい~」
「た、体力ないな。まだ歩き始めて三十分しか経過していないぞ。砂漠じゃあるまいし」
暑さで移動速度が鈍る俺。
だって暑いんだもの……体感的に四十度近くありそうだ。
愚痴も吐きたくなるぜ。
草原だから木陰とかないし、日光をモロに浴びる形に。
ケチらずに水魔法は覚えておくべきだったか。
「というか、セルは金属鎧を着てるのによく平然としているな」
「鎧には耐暑の付与を込めてあるからな」
「ず、ズルい。そんなのあるのかよ」
「今度トールにも教えるから……もう半分だから、頑張れ」
「あいよ~」
さすがにここで引き返すのは付き合ってくれたセルに悪いしな。
幸い目的地は湖。涼むにはもってこいだ。
暑さで息を切らしながら歩く。
ああ、額から汗がダラダラと流れていくぜ。
三十分ほど歩くと、水分を含んだ冷たい風を肌に感じた。
(ようやく、着いたぞ……湖に)
汗だくになりながらも歩き続けてようやくだ。
魔法を教わる前にこんなんでどうすんだと思わんでもないが……まぁいい。
視界一杯に広がる湖。大自然の絶景である。
水底まで見えそうな澄んだ水。
水面では水鳥の群れが優雅に泳いでいる。
水を手ですくうとヒンヤリと冷たい。
「み、湖に入りたくなってきた」
「いいぞ。休憩ついでに、上着を脱いで湖に入っていてくれ」
「え? 魔法練習は?」
「練習の準備として、湖につかることが大事なんだ」
「え~と?」
「そのほうがスムーズに教えられるんだ、浸かっている間に説明する」
よくわからないが、俺はセルの指示通り服を脱ぐことにする。
湖に入り、肩から下を浸かる。
ベタベタした汗が流されていき、ひんやりした水が気持ちいい。
俺はその心地よさに浸っていると……。
「聖なる光よ、天より降り注ぎ、我らを守護し、導きたまへ……セイントバリア!」
セルが俺の周囲に先日の結界魔法を展開する。
「……ふぅ、今日は一発で成功したぞ」
「え、えぇと」
「湖にはスライムがいるからな。説明中にトールに襲い掛からないようにな」
「なるほど」
「さて、まずは魔法発動までの大きな流れからいこうか」
セルが解説を始める。
と、いってもこれは俺が魔法屋で聞いた内容の復習だ。
魔法を使用するには大きく二つのステップを踏む。
まず初めに魔法を覚える(これは先日巻物を購入した時に既に終わっている)
次に正しい詠唱(精霊に魔法発動をお願い)をする。
以上だ。
「トールに湖に入ってもらったのは、詠唱を教える前に精霊との繋がりを強くするためだ」
「繋がり?」
「ああ、湖の精霊は水中が一番多い。トールの身体に水を染み込ませることで、精霊たちとの繋がりが深まる。そうすれば詠唱が精霊に伝わりやすくなり魔法成功率があがる」
「なるほど……精霊がどこにいるかってわかるのか?」
「目には見えないがわかる。精霊は魔力で構成されているから、認識するには魔力操作と魔力感知を覚える必要があるがな。詠唱のため、トールにはこれを今から習得してもらうことになる」
「た、正しい音で詠唱すればそれでいいってわけじゃないのか……」
「詠唱は音程やリズムも大事だが、精霊に魔法行使を願うプロセスだ。精霊に詠唱を伝えるには精霊の存在を認識し、声に魔力を乗せなければならない」
「声に魔力……だから魔法に魔力が必要なんだな」
「ああ、といっても……それは微々たる量だ」
「そうなのか?」
「魔法における魔力消費の大部分は精霊が詠唱を受理すると同時に発生する。ただ精霊にお願いすればいいというわけではない。魔法の代償として魔力を術者から奪う」
「てことは逆に考えると、精霊に受理されなければ魔力消費はほとんどない?」
セルが頷く。
昨日結界を修復するとき、合成魔法のチャレンジで何度失敗しても問題ないとシルクが言っていたのはそういう理由か。
「なぁ、大丈夫かな? 色々言葉が出てきたけど、自分の魔力すら理解できてないんだけど」
「難しいものではないから心配するな。一度覚えれば忘れることもないしな」
自信たっぷりといった様子のセル。
期待を裏切ってしまいそうで不安だけど彼女を信頼するしかないだろう。
「そろそろいいかな。上がってくれ」
俺は湖からあがる。
ビチャビチャと水音を立てながらセルの下に近づく。
「……そこに立っていてくれ。楽にしてくれて構わない」
「わかった」
セルが俺の後ろに立つ。
背中に彼女の指が触れている。
「今からトールの身体に私の魔力を流しこむ」
「お、おう」
「私の魔力を流すことでトールの魔力が押されて動き出す。魔力の存在を知覚できるはずだ」
セルが俺の背中に手を密着させる。
少しだけ変な気分になる。
「…………ん、おぉ、これは?」
「どうした?」
「か、感じるぞ。全身がポカポカしてきた……」
もしかしてこれが魔力の影響か?
こんなすぐ感じ取れるなんて俺才能あるんじゃ……。
「それはただ血流が上がってるだけだ。暑い場所から冷たい湖に入ったからな。勘違いだ」
「……そ、そうでしたか」
いわゆる水とサウナの超回復みたいなやつだった。
魔力全然関係なかった。
やだ、ちょっと恥ずかしい。
「魔力の流れをもっと強くするぞ」
セルが、そう言い終えると同時。
妙な感覚が湧き上がる。
心臓がドクンと大きく跳ねた。
後ろから何かに押されて……熱が移動していく。
頭から手、足の先までとくに身体の前側が熱い。
手、足がかすかに震えている。
「な、なんだこれ」
「知覚できたようだなトール。私の魔力で押されて前に集まったそれが魔力だ」
「これが……魔力」
「今度は魔力を全身に回してみるんだ」
「わ、わかった、なんとか頑張ってみる」
言われた通り、魔力を回そうとする。
自然と身体に力が入ってしまう。
「トール、魔力に重さという概念はないから力む必要はない、大切なのは自然体でいることだ」
「あ、ああ」
少しでも落ち着くために、深く深呼吸をしてみる。
リラックスしたあと、再チャレンジしてみる。
魔力に重みはない、下から上に移動しても不自然ではない。
それは当たり前のことなんだと、自分に言い聞かせる。
脱力する。集まった熱を全体に散らばせるイメージを持つ。
やがて手に足に頭に全身に回り続ける俺の魔力。
「よし、その感じだ。今の状態で周囲を探ってみろ、何か感じないか?」
「感じる……確かに感じるぞ。目には見えないけどたくさんの気配を感じる」
「それが精霊だ。無事、魔力操作と魔力感知を習得できたようだな」
「おお!」
「あとは今の状態で正しい詠唱をすれば、声に魔力がのって魔法は発動する。空にファイアボールを放ってみろ」
「あの、ファイアボールの詠唱の言葉がわかんないんだけど」
「魔法を覚えた時に言葉は魂に刻まれている。発動を願えば自ずと脳裏に言葉が浮かんでくるはずだ。それをそのまま口にすればいい」
考えるな、感じろって感じか。
俺は右手を空へと伸ばす。
ポージングに理由があるのか知らないけど。
ファイアボールの発動を願う。
俺はファイアボールを行使したいんです。
大空へと元気な火の玉を解き放ちたいんです。
精霊さんお願いします。力を貸してください。
(……む)
すると……頭にボンヤリと言葉が浮かんできた。
なるほど、こいつを口にすればいいんだな。
音量、音程、リズム、どう詠唱すればいいのかも不思議と伝わってくる。
スゥ、と息を吐き、呼吸を整える。
(大丈夫……できる、俺ならできる)
成功率をあげるため、調律スキルで自分の声を脳裏に浮かんだイメージにピタリと合わせる。
……さぁ、いくぞ。
『炎よ、我が前に立ち塞がる敵を撃て、ファイアボール』
詠唱が終わると同時、空へと向けた掌が淡く光りだす。
直後に出てきたのは直径三十センチくらいの火球。
目前に熱源があるのに不思議と熱さは感じない。
俺の手を離れ、空へと一気に発射された。
(……き、気持ちいい……これが、これが魔法か)
「成功だな。おめでとうトール」
セルが優しく微笑んだ。