第七話 俺、大地に立つ
それにしても《異世界》と言う奴は実に便利だ。
初めて体験した《転移術》は、乗り物酔いと立ち眩みが絶妙なコンビネーションで波状攻撃してくるかのごとき二度と味わいたくない最悪の感覚を引き起こしたものの、文字通り『あ……』とか言っている間に、味も素っ気もない空間からまだ幾分馴染みと親しみを覚える土臭い大地へと俺たちを移動させたのだった。
「おお……。ここがアメルカニア……って言ったっけ?」
「そうですわ」
目の前に広がる光景は、牧歌的な片田舎といったところである。低い丘の連なりに沿ってゆるゆるとした未舗装路がどこまでも遠く続いていた。いや、目を凝らせばそれほど遠くない距離に町らしきものがあるのが見えた。中央には一際小高い丘があり、堅牢そうな西洋建築風の石造りの城までがある。
「あそこが最初の目的地ってことかな?」
「仰る通りですわ」
笑顔とともに答え、いち早くしずしずと歩み出した第二の女神、マリッカ=マルエッタの背中に向けて、俺は遠慮がちに尋ねる。
「え? もしかして……歩いていくの?」
「そうですけど。何か?」
うっわ、面倒臭え。
「ほ、ほら、こうさ――」
振り返り、ほえ?と表現するのが最も相応しい顔つきをして可愛らしく小首を傾げている女神・マリッカの機嫌をなるべく損ねないようにと、ことさら陽気な口調を装って大袈裟な身振り手振りを交えながらさらに尋ねてみた。
「さっきみたいな魔法使ってさ、ぶわーっ、と」
「いきませんわ」
まじか。
途端にげんなりしてしまった。
しかしそれでは説明が足りないと思ったようで、女神・マリッカは補足説明をしてくれた。
「ええと、ですわね? この世界《ノワ=ノワール》において魔法とは、人知を超えたまさに神々の御業そのものなのですわ。ですので、さすがに人間たちの目に触れてしまうのはまずいでしょう?」
そして一旦言葉を切り、にこり、とする。
「もちろん、勇者として選ばれたあなたになら、いくら見せようともちっとも問題ないのですけれど。ですので――」
「う……。分かったよ」
渋々町の見える方角へ足を踏み出すと、すぐに女神マリッカがちょこちょこと隣に肩を並べた。小柄な割には歩く速度が速い。なので、こっちもいつもどおりの歩調で進むことにする。
しかしまあよくよく考えてみると、紺のブレザーにグレーのズボン、足には白いスニーカーを履き、おまけに通学鞄を肩に担いでいるという俺の恰好は、この世界の住人の目には相当風変わりな物に映るに違いない。
おまけにその隣にいるのは、埃っぽい地面にも届きそうな真珠のごとき薄桃色の光沢を放つロングドレスに身を包んだちっちゃな女神様だ。しゃなりしゃなりと優雅に歩く彼女の手には眩く輝く金色の錫杖まで握られていた。
明らかに常軌を逸したこの状況は、盗賊やら怪物にとってみればもってこいの奇襲フラグをおっ立てている気がして落ち着かない気分だったが、それもこれも異世界なので問題なーし!の一言でさらりと片付けられてしまいそうなところが、ある意味《異世界》らしい。
恐らく俺たちが歩いているこの道は、他の町と繋がっている街道なのだろう。だが、いくら進もうとも誰の姿も見えず、盗賊や怪物どころか小鳥一羽さえも見つけられずに、ひたすら平和的だ。
「んー」
というか、早くもこの状況に飽きてしまった俺である。
「ここ、街道馬車とかは通らないのか?」
「さあ、どうでしょう?」
「どうでしょうって……そういうの、あるにはあるんだろ?」
「ありますわ。もちろん」
そんな言葉を交わしつつも、女神マリッカの方には確認しようという素振りすらなかった。はなから歩き通すつもりで、アテにしていないようである。
「そう言えば、道中細かい説明をするとか何とか」
「あ……ああ、そうでしたわね」
忘れていた訳ではないらしかったが――何やら気乗りがしない様子で言い淀んでいる。少し間を置き軽く咳払いをしてから、女神・マリッカはゆっくりと語り始めた。
「では……これから訪れるのは王国最大の城下町、モニゲンですわ。ほら、ここからもご覧になれるあの城に、この国、アメルカニアを統治している老ナサニエル竜心王がおりますのよ」
「竜心王――」
おお!
まさにファンタジーじゃないか!
「……やっぱり、あれか? かつてこの国を悪竜から守った、とかって勇猛たる逸話を持ってる感じの、武闘派マッチョな王様なんだな?」
「いえいえいえ」
意外なことに返ってきたのは苦笑だった。
「あれは――い、いえ、あの者は、戦いとはまるで無縁の人生を歩んでまいりました。虫も殺さぬ、と言うより、虫すら殺せないと申し上げるべきか」
「じ、じゃあ何で、そんな大層な通り名がついてるんだよ、その王様は!?」
「権威付けと箔付け……ですわね」
生ける伝説との邂逅をイメージしていたんだが。
がっかりである。
「……ま、いいや。じゃ、続きを頼む」
「あ、はい」
目に見えてテンションの下がった俺の様子を、ちらり、と横目で伺いつつ、女神・マリッカは説明を続けた。
「まず冒険の手始めに、あなたは老ナサニエル竜心王より魔王を倒す命を受け、伝説の武具一式を譲り受けることになるでしょう。……あ、いえいえ、ご心配には及びませんわ。すでに彼の者とは話をつけ、そういう手筈になっていますから。これから伺いますわねー、と」
「わざわざ口に出さなくても……」
「ま、まあまあ! 形式的なものですので。何たってあなたは勇者ですもの! 選ばれし勇者だけが持つことを許される《女神の加護》さえあれば、相手が魔王だろうが何だろうが――」
「はい、ストップ」
今、聞き逃せない情報があったんだが。
「……どうしましたの?」
「い、いやいや。その《女神の加護》ってのは何だよ? それさえあれば、って君は言ったけど、俺はまだ誰からも、何の力も授けられてないんだけど?」
「あ――ああ、ああ。そこですのね」
ぎくり、と表情を強張らせた女神・マリッカは、一転、何だそんなことか、と微笑んだ。
「この私がすぐにもお授けしますわ。ただ、そのう……そのためにも、まず《始まりの王》老ナサニエル竜心王より魔王討伐の命を受けなければなりませんの。そう、そういう段取りなんですのよ。はい!ここからスタート!みたいなのが重要でして」
だから、そういうの一言多いんだってば。
「うーん……ま、いいか。はい、続き続き」
何だかやりづらそうな表情と沈黙の後、気を取り直して再び説明パート――。