第六十七話 俺の友達を侮辱すんじゃねえ!
「おい、量産――いや、勇者・ショージ」
俺はそれ以上思いを巡らすことはできなかった。
ようやく真正面から俺を見つめ、存在を認めたアルヴァーは尋ねた。
「魔王の願いを叶えるために、お前は何をする?」
「お、俺は――」
乾いた喉で、ごくり、と唾を呑んでから答える。
「俺は、この世界は歪んでいる、と思ったんです」
目の前のアルヴァーの視線が途端に鋭くなったように思えてしまい、恐怖のあまり言葉が枯れた。
「………………続けろ」
アルヴァーが低く呟いたが、舌は震えるばかりだ。
その瞬間だった。
声が、聴こえた。
(君ならできると思ってしまったんですよ――)
(君たち二人がやると決めた、この旅の目的の達成のためなんだ――)
そして、
(自分がどうすべきか、どうしたらいいかを決めなさい。あなたの――意志で――)
優しく背中を押す姿なき声に一つ頷くと、ゆっくりと着実に言葉を積み重ねていった。
「歪みの一つになっているのは《女神ポイント》システムだと俺は思っています。あれが彼女たち女神を評価するために作られた物かどうかは知りません。ただ今となっては少しも勇者の助けにはなっていませんし、女神たちだって誰一人、純粋な善意で勇者の力になりたいだなんて考えてないじゃないですか。英雄神のあなただってそんなこと、とっくに気付いてる筈です。違いますか?」
「確かに、な」
アルヴァーは居心地悪そうに視線を彷徨わせた。
「あれを作った頃とは違う、俺だってそうは思っているさ。けど簡単に止めちまう訳にはいかな――」
「神と魔王の永年の対立があるから、ですよね?」
いささか不躾だとは思ったが、英雄神ともあろう人にぐだぐだと言い訳をさせるのもそれを聞くのも嫌だったので、言葉尻を攫って言葉を差し挟む。
「でもね、それだってあなたは気付いている筈じゃないんですか? もう魔王軍には戦う力なんて残ってないんだ、ってことに」
「そ、それは……」
アルヴァーは気まずそうに言い淀んだ。
俺はその隙になおも続けて言う。
「この《ノワ=ノワール》には魔物がいませんね。驚きましたよ! だって、勇者に任命されたのに、戦う相手どころか野生の獣すらいない平和そのものの世界だったんですから」
小鳥一羽いない、だなんて異常すぎる。
「ここにいる魔王も教えてくれましたよ。もうここには魔物たちはいないんだって。彼らだって馬鹿じゃないですからね、勝ち目がない、この状況はどうやっても覆せないと分かったからそうしたんです」
遂にアルヴァーは黙ってしまった。
別に俺だって彼ばかりを責めるつもりなんて毛頭ない。
しかし、もう潮時なのだということは分かってもらう必要があった。
「……もう止めましょうよ。これ以上、続けてたって意味がないんだ。それとも、まだ続けないといけない理由でもあるんですか? どうなんです?」
これでいいだろう。
あとは、アルヴァーの口から、この下らない対立に終止符を打ってもらえさえすれば――。
だが、アルヴァーは。
「……いいや、続ける」
俺の顔をじっと見つめてそう言ったのだった。
……ん?
反射的に振り返ってしまった俺だったが、ちょうど背後に立っていた人物が見せた問い返すような怪訝な表情に慌てて曖昧な笑みで応じると再び正面に立つアルヴァーに視線を戻した。が、彼はとっくに別の方向へ視線を向けていた。
勘違い……だったのか?
英雄神の硬質で平坦な声が聴こえる。
「だから何だと言うんだ、勇者・ショージ? どうしろと言うつもりだ、この俺に?」
俺が答える間もなくアルヴァーはかぶりを振った。
「……いいや、違うな。俺はお前の意見なぞ必要としていないし、そもそも耳を貸す必要すらない。何たってお前は、魔王討伐から尻尾巻いて逃げ出した勇者なんだからな」
「逃げた訳じゃ――!」
「ああ、違うんだろうさ。そうだろうとも。けどな……俺は倒したぜ? だからこそ恩寵を得たんだ」
アルヴァーは反論しようとする俺を鬱陶しそうに遮ると、振ったその手を戻して真っ直ぐ指さした。
「お前は違う。何もできず、ただ厄介事を連れてきただけじゃねえか。そんな奴が偉そうに意見するんじゃねえ。聞いて欲しけりゃ、力を示せ!」
くっそ!
これだから脳筋は!
舌戦で敵わないから戦えとか理屈が無茶苦茶だ。
「さっきも言ったじゃないですか! 魔物ゼロな世界でレベルなんて上がらないし、戦い方も――!」
「じゃあ引っ込んでろよ、量産型」
呆れたように首を振り、アルヴァーは背を向けた。
「そうやって理屈捏ねてるうちは誰も耳なんて貸しちゃくれねえぜ? おい! 誰か! こいつらを牢にでもぶち込んでおけ! 魔王はこの俺が直接始末してやる……二度と転生できないようにな!」
まずい。アルヴァーの命令に応じるように、荊苑の外から数名の見張りらしき神たちが駆けつけてくるのが分かった。アルヴァー一人でさえどうにもならないのに、これ以上増えたら今度こそ本当に終わりだ。
何より、俺は約束してしまったのだ。
まおたんの願いを叶えてやると。
マリーの大切な友達を助けると。
(今しかない……っ!)
アルヴァーが油断しきっているこの一瞬にすべてを賭ける、それしか打つ手はない。俺はその背に負った《伝説の勇者シリーズ》の逸品である《勇者の剣》の柄をしっかりと握り締め、一気に抜き払った。
そして、雷のように駆け、
宙に身を躍らせると、
「アルヴァー、覚悟っっっ!」
裂帛の気合いを込めて縦一文字に振り下ろ――。
ひゅば――。
「な――!?」
振り下ろ――せない!?
渾身の力を込めた剣先は、振り向きもせず無造作に突き出されたアルヴァーの左手の指たった二本で挟まれたきり、びくとも動かない。宙に浮いたまま降りれなくなった俺の方も、剣の柄を握ったまま必死で力を込めてみるものの、押すことも引くこともできなかった。
引き下がる訳にはいかない俺がなおも奮闘していると、冷笑を浮かべたアルヴァーは嘲笑った。
「ふん。俺様も随分とナメられたモンだぜ。後ろを向いてる隙を突けば倒せるとでも? お前の気配なんざ丸見えなんだよ!」
「く……そ……っ!」
「それにだな……話を聞いてもらえないから腹を立てて戦うのかよ? 所詮、魔王の仲間に加わった奴なんてその程度なんだよ! こいつと同じ――!」
「まおたんを……俺の友達を侮辱すんじゃねえ!」
「友達だと? はっ! 友達って言ったのか! こいつが友達? このすぐに裏切る卑怯者が友達?」
さすがにもう限界だった。
「このっ、分からず屋の石頭っ! 少しはこっちの話も聞け――!」
ごぎん!
だが、俺の科白は、ぶつり、と途切れた。
「ショージっ!」
上も下も分からない流転する世界にマリーの悲鳴が響き渡った。
いや、違う。
回っているのは俺だ。
(一体……何が……?)
その答えはすぐに分かった。
思い知らされた。
べきべきべきっ!
今頃になって俺の右半身が軋みを上げ、激痛が走った。
回り続ける俺の視界に、高速シャッターが切り取った映像のようにほんの一瞬だけ、振り返るように身体を捩じりながら右手を突き出したアルヴァーの後ろ姿が映った。
(あ……ぐ……っ!?)
俺は声も出せないまま別の強い衝撃を感じ、ごろごろと無様に地面を転げ回った。
「ショージっ! ああ、ショージ、大丈夫――?」
「ったく、無茶なことするんじゃねーで――!!」
二人の女神が明滅する視界に割り込んで心配そうに見下ろしている。
何とか言葉を振り絞って――。
「おい、マリッカ。ここらではっきりさせたい。お前はどっち側だ? 慎重に……答えた方が良い」
先に口火を切ったのはアルヴァーだった。
マリッカの表情はたちまち恐怖に塗り潰された。
「わ、私は……私は……!」
「こ……こいつは……仲間なんかじゃない……ぜ」
「――!?」
間一髪絞り出した俺の吐き捨てるような科白に、今にも泣き出しそうに顔を歪めたマリッカの襟元を握り締め、震える声で囁く。
(話を……合わせろ……ロリ貧乳。お前まで……捕まったら……ゲームオーバーだ……頼む……!!)
マリッカは――頷いた。
「私は……この反逆者どもを誘導してきたのです」
「ほう。……ははっ! お手柄だ、褒めてやる!」
そこで、ぶつん、と俺の意識は途絶えた。




