第六十六話 堕天の荊苑
《堕天の荊苑》というだけあって、苑内はマリッカが話していたとおり荊で――それも雪のような純白の荊で一面埋め尽くされていた。剪定も手入れもされてないようで、二メートルほど高さの鬱蒼とした荊の森が俺たち侵入者の行く手を阻んでいる。
しかし、先陣を切って走るマリッカのコース取りには一切迷いがなかった。
「お、おい! 道、分かるのかよ!?」
「きひひっ! こんなモン、勘ですよ、勘!」
そう叫び返しながらときおりひくひくと鼻を蠢かし、何かの匂いを嗅ぎ取っているようにも見える。
「大丈夫なのか、あいつに任せて?」
「マリッカはああいう子なのよ。女神って言うよりは野生児。あんな魔法少女みたいないかにも女の子女の子した格好してるけれどね。初等科の頃、遠足に行って迷子になったあたしたちは、マリッカのおかげで帰ってこれたのよ」
泣きじゃくるだけのマリーや他の女神とは違って、マリッカただ一人はどうにか帰る方法を見つけようと木に登ったり、水音を聴きつけて川を見つけたり、驚くほどのサバイバル能力を発揮したんだそうだ。
「く――くくくっ!!」
「な、何がおかしいのよ?」
「なーんかさ! どいつもこいつも凄えなって!」
やっぱりここはファンタジーの世界だ。
今更ながらにワクワクして堪らない。
そして――改めて思う。
「こうなったらさ、どうやってもぶち壊してやらねえと気が済まねえよ! この糞ったれの馬鹿げたシステムを! 神と魔王の争いを! 絶対に!」
一瞬、マリーはびっくりしたように目を丸くする。
それから、一際大きく声を張り上げた。
「もう約束しちゃったもんね……了解、手伝う!」
このまま一気に天界まで――俺たちはそう信じて疑っていなかった。
だけど、そんな筈はなかった。
延々と続く荊の森をがむしゃらに走り続け、ようやっと進む先に開けた場所があるのに気付き、知らずのうちに俺たち四人となったパーティーの表情が緩んでいた。
「意外とスムーズに来れたな!」
「あたしのおかげだってことを忘れねーで――」
「はいはい。感謝してますって」
気楽な口調で叫び返したものの、勇者となった俺でさえ行き絶え絶えだ。一方、先陣を切って走るマリッカは汗一つかいていない。何が女神だ。初対面で清楚さと可憐さを感じてしまった自分を殴りたい。
「あれが天界側の門に違い――なっ!?」
言うが早いか、マリッカが慌てて急ブレーキをかけた。何かを見つけたためらしいが、手と足を動かすだけで必死だった残りの三人はその小さな背中にもつれ合いながら殺到する。
「うおっ!?」
「わわわっ!」
「……むぎゅ」
最後のは俺とマリーの身体でプレスされたまおたんの声である。
どうにかそこから抜け出したまおたんは顰め顔でマリッカの見つめる先に、じとーっ、と視線を向けたがあっさりと諦めてしまった。もやしっ子のド近眼め。
「どうしたのさ?」
「門が……開いて――!」
まさか――!?
「……勝手に入ってんじゃねえよ。ここは禁忌の地だって言ってあっただろうが? ま、俺様は別だ。何せ、ここも俺の物なんだからな」
聴き慣れないハスキーな声が響き、俺たちは咄嗟に身構え、辺りを見回した。
すると――。
「……しょっと」
門の近くにあった大きな岩の上で寝転んでいた人影が、むくり、と起き上がった。
「人が良い気分で昼寝してんのに邪魔すんじゃねえ。ったく、ここなら誰にも見つからずにばっくれられる筈だったのに。何で俺様が書類仕事なんかやらなきゃいけねえんだって話だろ? で……」
むすりと不機嫌そうに岩の上に立ち、腕組みして尖った目を向けてくるその男の姿を見て、まおたんを除く俺たち三人は息を呑んだ。多分、マリーとマリッカは、この男が何者なのか知っているのだろう。だからだ。
ただ俺は違った。
恐れや驚きよりも、ただただ圧倒されていたのだ。
――何だ、このパーフェクト・イケメンは!?
やや面長な端正な顔立ちは驚くほど小さい。切れ長な瞳を飾る睫毛は女子かとおもうくらい長くて緩やかにカーブしている。そのやや垂れ下がった左の目尻には、ここ以外には考えられないと思えるほどの絶妙な位置に二つの黒子があった。眉毛ほっそ! そこにはらりはらりと触れる前髪を掻き上げる仕草も実に様になっている。
引き締まった身体は見事なまでにシェイプされていて、独特のデザインをしたその身に纏う純白の衣服は何処となく近衛騎士団などという単語を連想させる。もし俺が着ようものならハロウィンのコスプレにしか見えない滑稽さだが、この男は違った。悔しいくらいにお似合いである。皮肉も思いつかない。
(そうか……こいつか……!)
ようやく俺の思考も、マリーやマリッカに追いついていた。
それをわざわざ確認するまでもなく、マリッカがその名を呼んだ。
「え――英雄神、アルヴァー様……ど、どうしてこちらに?」
口調が硬い。
明らかに余所行きの声である。
「悪いか? 理由ならさっき言ったぜ?」
「い、いえ――! そういう訳では……」
「……あー」
英雄神、アルヴァーは、ぽり、と頭を掻いた。
「お前、確か、マリッカ=マルエッタ、だったよな? 間違ってたなら謝るが」
「は、はい! マリッカにございます……」
すでに伸びていた背がさらに伸びた。それを見て、にこりと笑ってみせたアルヴァーは、
「なあ、そいつら何モンだ?」
すうっ、と目を細めて囁くように尋ねた。
「え……。えと……ええと……この者たちは――」
途端、マリッカはしどろもどろになる。
しまった――!
あらかじめ打ち合わせしとくべきだったか……。
今更言っても始まらないので、マリッカの代わりに一歩踏み出してアルヴァーに告げた。
「俺は、天津鷹翔二――勇者・ショージです」
「へえ」
すとん、と岩の上から降り立ったアルヴァーは躊躇いもなく俺の前まで歩み寄ると、自分の細く尖った顎先に手を添えてじろじろと観察を始めた。
「な、何か変ですか、俺?」
「いいや。別に」
くい、と口元が笑みの形を作る。
だが、それは形だけのものでしかない。
案の定、アルヴァーは見るべきものは見た――いや、特に見どころはなかったと言わんばかりに、ふん、と鼻を鳴らした。
「期待してた程じゃなかったな、と思っただけだ。魔王と手を結んだ、って聞いてたからな」
こっちは一戦交える気なんてないんだけど。
楽勝だ、とでも言いたげの余裕っぷりである。
そのまま俺からあっさり視線を外すと、一番後ろでむっつりとつまらなさそうな顔をしているまおたんを見つめて問いかけた。
「で、お前が魔王ってことで合ってるよな?」
「……他にいないでしょ?」
怯んだ素振りなぞ少しも見せず、怪訝そうに片眉を、ひくり、と蠢かせて応じる。
慇懃無礼さではまおたんも負けてはいない。
「何しに来た? この俺様の統べる天界に?」
「……はぁ」
まおたんは苛立ちを隠そうともせず、露骨な溜息を吐く。
そして、面倒臭そうに俺を指さした。
「そこの勇者に無理矢理連れ出されたんだよ。無抵抗な僕を倒そうともせず、代わりに、願いを叶えてやる、って無茶な約束をする勇者に。でもね……」
徐々に不機嫌さが増していくアルヴァーの顔とは対照的に、まおたんの表情は微笑みに満ちていった。
「でも今は、それを信じてみようと思ってるんだ」
「こいつ……ねえ」
アルヴァーは釣られたようにほんの少しだけ口元を笑ませた。
いや、こいつをか?と馬鹿にしているだけなのかもしれない。
「お前の願いって何だ? 聞かせてみろよ」
「は? ……君には関係ないと思うけど?」
「ははっ!」
アルヴァーは短い笑いを発して、声を大きくする。
「こんな量産型のヒラ勇者に頼る必要なんざねえ、って言ってやってるんだよ! お前、阿呆か? この俺様は、全知全能、迅雷風烈、勇猛果断の英雄神・アルヴァーなんだぜ!? こいつにできて、俺様にできないことはねえんだぞ!?」
四字熟語オタクかお前。淀みなく臆面もなくそう言い放ったアルヴァーの表情には一点の曇りも見えず、途轍もない自信に満ち溢れていた。実際そうなのだろう。この場には何一つそれを証明するものなど存在しなかったが、誰もが彼の言葉が真実だと信じて疑わなかった。
しかし、その完璧すぎる爽やかな笑顔をしばし、じっ、と見つめた後、まおたんはこう応えた。
「……遠慮しとく。君には無理だもの」
時間が凍りついた。
「………………は?」
ひくり、とアルヴァーの完璧だった表情が乱れた。
「悪ぃ悪ぃ。良く聴こえなかった。今、何て――」
「君には無理だ、そう言ったんだよ」
ぴたり、と動くのを止めたアルヴァーの顔から表情が消え失せていた。
まおたんはなおも続けて言う。
「もう決めたんだ。僕の願いはショージに叶えてもらおうって。悪いんだけど、君の出番はないよ」
まおたん……。
何か、俺は凄く嬉しくなってしまった。
が――同時に焦りと恐怖も感じていた。こんないかにもな俺様キャラが、ここまで要らない子扱いされて黙って引き下がってくれるとは思えない。その心中や、怒り心頭といったところだろう。
「へ、へえ――」
それでもクールな態度を保っているのは、さすが天界の頂点に立つ男である。
と、内心見直しかけていたところで――。
がしいっ!
「おい、量産型。お前、俺よりできる男なんだって? 是非、お手合わせいただきてえんだが?」
く――苦しっ!
爪先を伸ばしても地面に届かない。浮いている。
アルヴァーの左手一本で吊り上げられた格好の俺は、窒息寸前の絞首刑状態で何とか声を絞り出した。
「は……放して……くれ……!」
「おいおいおい。こんなモン、軽く振り払って見せたらいいじゃねえか。はっ! まさか……できないとは言わねえよな――?」
「や、やめてよ、アルヴァー!」
「ち――っ」
蒼白になったまおたんが悲鳴に似た叫びを上げると、ようやく俺の身体は解放され、無造作に大地に投げ捨てられた。盛大に尻餅をつく羽目になった俺は咳き込みながら空気を貪る。
死ぬかと思った……。
「っ! 何するんだよ!?」
慌てて駆け寄り、心配そうに俺の背中を擦っていたまおたんが、きっ、と鋭い視線を向けて言った。
「こんなだから、君には僕の願いなんて叶えられっこない、って言ってるんだ! 君は何も……何も分かってない! 分かろうともしないじゃないか!」
「分かろうとはしただろ!」
苛立ちに髪を掻き毟ってアルヴァーが応じる。
「聞いたって教えてくれなかったのはお前じゃねえか!? だから、直接そいつから聞き出そうとしたんじゃねえか! 何が悪い!? 俺様は正しい!」
くそっ!とアルヴァーは柄にもなく地面を蹴りつけてそっぽを向いてしまう。
まるで子供である。
(お、おい、マリー?)
(な……何よ?)
何処か放心状態だったマリーに囁きかける。
(こいつら……知り合いだったのか?)
(ううん。会ったことなんてない筈だけど)
(そうか……うーん)
何だか凄く違和感がある。
何故だろう。
まおたんが『アルヴァー』と名前を呼んだ時、確かに彼の顔に浮かんだ表情には――。




