第六十四話 マリッカ=マルエッタという女神
「え……? 決着を……つける?」
いろいろ混乱していてまとまらない。
「それ、どういう意味だよ? 確かにあの時、お前の《女神の加護》を授けるって行為は失敗に終わったけども、だからって争ってる訳じゃ――?」
「争ってますわよ! これは戦争なんですの!」
えええええ……。
だが、半ば涙目になりながら訴えるマリッカの歪んだ顔には並々ならぬ哀しみと怒りが同居していた。とても冗談とは思えない。
「ち、ちょっと待ってよ、マリッカ!」
隣のマリーもどうしたらいいのか分からない様子で、なだめすかすような曖昧な笑みを口元に張り付かせたまま口を挟む。
「な、何でそんなに怒ってるのよ? そんなに《メガポ》が欲しかったの? だからなの?」
「もうそんなモン、どうだっていいんですよ!!」
あんなに昇格することにこだわっていた筈じゃないか。
どうも雲行きがおかしい。
「ま、待ってくれ、マリッカ!」
今にも飛びかかって来そうなパステルピンクのゆるふわヘアーをしたちっこい女神に俺は話しかけた。
「な、何か俺、お前に恨まれるようなことしたか? 全く身に覚えはないんだけど?」
「しましたっ! してますっ! 今もっ!」
「今……も?」
「そうですわよっ!」
きっ!と睨み付ける瞳は憎悪に燃えていた。
ずびしっ!と俺を指さし、
「今すぐっ! マリーから離れなさいっ!」
「は、離れればいいのね?」
「マリーには言ってませんわよっ!」
「は――はひんっ!」
叱られた子供みたいである。
激しい叱責に面喰って、しゃきーん!とマリーの背筋が伸びた。
(……ぷっ。怒られてやんの)
(うっさい! あんたがちゃんとやんないからでしょうが!?)
ひそひそとやりとりを交わしていると、何処かから、ぶっちーん!という音が聴こえた。気がした。
すう……。
「そーゆーのですわよおおおおおおおおおお!!」
おおお……。
おお……。
お……。
「はあ……はあ……!」
まだ耳がきんきんする。
全身の持てる力を総動員して張り上げたマリッカの悲痛な叫びは、俺たちの背後に広がる《堕天の荊苑》の鬱蒼としたどこまでも白い茂みの中に吸い込まれて消えていった。
しばしの静寂。
やがて、その沈黙を破ったのはマリッカだった。
「……どうしてですの?」
俯き、拳を握り締めていたマリッカが顔を上げる。
彼女は――泣いていた。
「どうしてあんたは……あたしからマリーを奪っちまうんですか……!」
幼さの残る顔が込み上げる感情に歪む。
「ずっと一緒だった……一緒……だったのに……! あんたがマリーを変えちまったんです! あんたさえいなければ……あたしとマリーは……っ!!」
「ち――ちょっと待ってよ、マリッカ!」
マリーの表情は明らかに戸惑いの色を現している。
「え……え? ずっと……一緒? そんなことなかったでしょ? そりゃあ、小さい頃から一緒に遊んだりしてたけど――」
「マリーが気付いてないだけですわよっ!」
「………………はい?」
うーん。
ちょっと嫌な予感してきたぞ、俺。
不穏な空気が漂い始めるのも気に留めず、マリッカは夢見るような表情を浮かべ、記憶の道を辿った。
「そう……あたしたちはいつも一緒でしたわ。マリーが友達の輪からあぶれて一人遊んでいる時も、あたしはそれをずっと影から見守ってましたの。マリーがトイレに行くならその隣の個室に入り、お風呂に入るならその窓辺に寄り添い、夜お休みになるのならその寝顔をいつまでも眺めてましたわ」
怖い怖い怖い!
ってか、やっぱ女神もトイレ行くのね。
このタイミングで疑問解決。すっきり。
「こっわ! あんた、そんなことしてたの!?」
「……当然じゃねーですか?」
マリーの顔に嫌悪の感情が垣間見えたが、マリッカはそれすら気に留めていない様子だった。
「あたし……大好きなんですから、マリーのこと。マリーのためならと思って、上級女神を目指してたんですから。マリーのためならどんなに辛いことだって我慢できる。ボンクラ勇者に《女神の加護》を授けたってちっとも気にならない」
マリッカは俺の方へ視線を向け、すぐに外した。
「たとえそのために、キ、キス、しなくちゃいけないんだとしたって、マリーのためなんですもの、我慢できますわ! 第一、そんな心のこもってないキスなんて、ノーカンですもの!」
キス、しないと駄目なのか。何故か急に落ち着かない気持ちになって隣に目を向けると、ちょうどこっちを見ていたマリーと目が合ってしまい、慌てて目を反らす。頬が――熱い。
「……あのさ、マリッカ?」
ほんのりと頬を染めたマリーは優しい声で言った。
「はい?」
「あんた、いろいろ駄目な気もするけど……ありがとう。御礼言っとく。嬉しいもん。……でもね?」
「?」
不思議そうに小首を傾げたマリッカに続けて言う。
「あたしはマリッカが思うような素敵な女神じゃないよ。ずっと言えなかった……秘密だってあるし」
マリッカは――。
口を開いて。
閉じ。
意を決したかのように開いた。
「でも……そいつには打ち明けたんですわよね?」
「――!?」
マリーは言葉を失った。
「そ、それは違くて……!」
「違わねーですわよ? 事実じゃねーですか。そして……それはそいつだった……あたしじゃなく!」
マリッカは拳で涙を拭うと、再び瞳に怒りの炎を宿らせ、仇敵である俺を睨みつけた。
ええとですね。
その秘密っての、ホント、大したことじゃないんですよ?
単なるBL趣味の腐女神ってだけでー。
今すぐにでもそう言ってやりたいところだったが、マリーの方を横目で見ると、駄目駄目駄目駄目ぇ!と今にもスタンドラッシュを仕掛けてきそうな切羽詰った表情で睨み付けてきやがったので、打つ手がなくなってしまった。
「あたしからマリーを奪いやがった罪……償わせてやりますわよ! あたしの《加護》、忘れちゃいませんわよね!?」
「う……っ!!」
忘れるものか。
こいつの《加護》は――《金属腐食》。
喰らったところで俺自身にはノーダメージの筈だが、せっかく手に入れた《勇者シリーズ》の装備一式は消えてなくなるに違いない。
……ん?
下にはちゃんと服も着てるし、この装備だって量産品だって話なんだから、被害ゼロなんじゃあ――。
その時だった。
「えっとー。……ちょっといいかい?」
「にゃっ!?」
またも見事なまでにスカートを捲り上げられるマリー。
必死で押さえつけるその下の影の中から、のっそりと少年が姿を現した。
「あ、あんた、誰ですの!?」
「んー。僕? 魔王だけど?」
「ま――っ!?」
今にも卒倒しそうなマリッカを慌てて支えてやったのは俺である。一瞬、嫌そうな表情をしたものの、こほん、と咳払いをして振り払ってからマリッカは目の前の少年に告げた。
「その自称・魔王が何の用ですの?」
「じ、自称……? ま、いいや。それよりさ――」
止める間もなかった。
ばっ!!
「にゃあああああああああああああああああ!!」
何故か悲鳴を上げたのはマリーである。
いや。何故か、じゃなく、当然、か。
自称・魔王こと正真正銘の魔界の帝王、まおたんはマリッカに向けて一冊の同人誌を開いて見せつけていたのだ。
それはもちろん、マリーの描いた本。
「ままままおたんっ! その子に何見せて――!」
「こうでもしないとずっとすれ違ったままでしょ? いいの? それで?」
「ううう……でもぉ……」
一瞬で涙目になったマリーがマリッカを見るが、
「……」
あれ?
反応が……ない?
隣の俺も気になってマリッカの顔を覗き込むと、
「ストップ! ストォォォップ!」
「………………きゅう」
哀れマリッカは、目を見開いたまま気絶していた。




