第五十七話 歪んだ世界
しばらくは誰一人口を開こうとしなかった。
辺りの風景が、徐々に荒々しく、禍々しさを漂わせ始めた頃、俺は溜め込んでいた感情を涼し気な青白い顔にぶつけた。
「何で……何で助けなかったんですか?」
周囲を警戒しつつ先頭を歩くカラフェンは肩越しに一瞥を投げただけで無言のままだ。
それが余計に俺の感情を逆撫でした。
「あなたに聞いてるんですよ、カラフェンさんっ! 何で助けてあげなかったんですかって――!」
「ち、ちょっと、ショージ!」
掴みかかろうとする手に縋りつくようにして慌ててマリーが割り込んでくる。マリーはそんな俺の顔を覗き込んで、わずかに怯んだように身を引いて嫌悪感を露わにした。それだけ俺は尖った目つきをしているのだろう。何となく自分でもそう思う。
「助けることは……できただろうね」
「だったら――!」
何で――とは言わせてくれなかった。
振り返ったカラフェンの温和そうな顔には幾許かの後悔の念が複雑な表情となって浮かび上がっていた。しかしそれと同時に、内に秘めたる決意と覚悟もまたありありと浮かんでいた。
「マクマスはひとたび口にしたことを決して違えない男です。彼がやると言ったらやるし、彼が必ず後から行くと言えばそうするでしょう。そして、彼が、ここは任せろ、君たちを頼む、と言ったなら……私は信じて彼の信頼に応えなければならない」
カラフェンはそこまでを口にすると、眼前に聳え立つ険しい頂を見上げた。
――《死の山》。
ついに俺たちは目的の地に辿り着いたのだ。
だが――。
「魔王の居城は、恐らくこの頂上でしょう。まだ先はあります。ですが、ここまで来てしまえば女神たちの邪魔も、もう入らないと思います。よほど腕に自信のある真の実力者でなければ、この先には到底進めませんからね」
まだ納得がいかず、仏頂面をしている俺に、カラフェンが相好を崩して微笑みかける。
「いいですか、勇者・ショージ――」
「……別れの科白なら聞きませんよ」
「いえ、聞いてくださいませんか?」
微塵も言葉にしなかったのに、何処か俺は優し気な目をしたカラフェンの表情から不吉な予感めいたものを感じ取っていた。そして――それは気のせいではなかった。
「もし今度また窮地に陥ったなら、次は私の番です。マクマスに約束してしまいましたからね――君たちを守り抜く、と。ですから――」
「……狡いですよ」
「ええ、そうですね。私は狡い」
どんな感情をぶつけたらいいのか分からない俺がもごもごと口の中で呟くと、カラフェンはまた済まなそうに微笑んでみせた。
「でもね、マクマスも私も、君ならできると思ってしまったんですよ。だから、我が身を犠牲にしても、魔王の待つ居城へと無事に送り届けようとしているんです」
「ま、待ってくださいよ!」
やっぱりこの二人の元・勇者は俺たちの冒険行の隠された目的を知っているのだ。
知らないのは――俺とマリーだ。
ちらり、と隣に視線をわずかに落とすと、不安そうな表情を浮かべたマリーが少しでも気持ちを落ち着かせようと遠慮がちに俺の袖の端っこをつまんでいる。マリーと自分自身を勇気づけようと俺はその手をしっかりと握り、カラフェンに向かって問うた。
「あなたたちは俺に! 何をさせようというんですか! 知っているんですよね!? きっとあの人も知っているんでしょう!?」
カラフェンは答えなかった。
しかし、肯定するように一度だけ力強く頷いてから、こう言った。
「しかし、もう私は語りました。僕たちと同じ過ちを犯して欲しくなかったから、とね? マクマスは上手く誤魔化したつもりになっていましたけれど」
「その過ちってのは何なんですか!」
「それは……あなた自身の目で、心で確かめて欲しいんです。そうでないと意味がないですからね」
「あー! もう!」
苛立ちが頂点に達して、がしがしと頭を掻き毟る。
それでもカラフェンは頑として語らない。
「一つ……私から宿題を出しましょうか」
「この状況で……ですか?」
思わず呆れたトーンの声が出てしまったが、カラフェンは意にも介さず言葉を続けた。
「この世界は、あなたの目にどう映りましたか?」
え?
あまりに意外な問いに呆気に取られたものの、俺は慎重に言葉を選り抜いてからずっと温めていた思いをぶちまけた。
「……歪んでますよ。何もかもおかしいです」
普通の人間のいない世界――。
怯えた女たちばかりで、男は皆、神か元・勇者だ。仮にもしいたところで、即勇者だと祀り上げられたかと思えば、たちまち女神たちの捕食対象になる哀れな存在だ。何が勇者だよ、と愚痴りたくもなる。
その元凶はやっぱり《女神ポイント》システムだ。
女神たちの働きと貢献度を評価するためか何かは知らないが、もはや純粋な心で勇者の力になろうとする女神なぞいやしない――マリーや葵さんたちのような特殊な例は別として、だけど。その彼女たちだって、別に勇者のために尽くそうなどという気持ちはないように思う。あくまで自分の利を優先した結果、勇者にこだわりを持たなくなったというだけの話だ。
だから俺は、魔王の下へ行こうと決めた。
この下らない連鎖から抜け出すために、だ。
だが――。
俺は魔王に会って、どうするというのだろう?
葵さんは言っていた――勇者が魔王を討伐すればそれに見合った見返りが得られるのだと。そこで、元の世界へ戻して欲しいと願えば叶うかもしれないと。その可能性はあるのだと。
でも――。
この世界、結局何も変わらないんじゃないのか?
何処かそれについて深く考えないようにしようとしている俺がいたのは事実だ。
何となくそんな風に考えることを避けていた。その自覚が俺にもある。
じゃあ――どうすればいい?
肝心なそこが分からない。
だが、それこそがカラフェンが口にした『宿題』に違いない。
きっとそうだ。
「この世界を蝕み続ける歪み……それを何とかしてみせろ、ってあなたたちは言うんですね?」
「さあ……どうでしょう」
くっそ!
正解です!って顔してるじゃんか!
だったら最後まで教えて欲しい。
俺の想いをよそに急にカラフェンが笑みを消す。
「どのみち教えて差し上げる時間はないようです」
俺たちに向けられているかに思えたカラフェンの視線は、その少し後方を見つめていたということに気付いた。振り返って――絶句する。
「また……女神なのかよ……!」
いや――本当にあれ、女神……なのか?




