第五十六話 勇者・マクマス
「はーい、そこの女神たち! 僕に注目ぅ!」
岩の上で惚れ惚れするような肉体を晒し、筋肉とその美貌を見るもの全てに押し付けるように暑苦しいまでのポーズと表情で、にかっ、と笑いかけた。
「あ、貴方は!?」
「そう! 僕の名は、もう知ってるよね♪ これから君たちには選んでもらうよ? 潔くこの道を明け渡すか、僕とのダンスにお付き合いいただくか――さて、どちらを選ぶかい?」
「ば、馬鹿なこと言わないで!」
その場にいた女神の一人は声を荒げると、後ろの方で縮こまっていた例の女神・ヌヌイの手首を掴んで、強引に前の方へと引き摺り出して突き出した。
「ほら! 貴女の《加護》の見せどころよ? さっき教えた通りにさっさとやって! 早く!」
「うぇ……っ! ううう……」
ヌヌイは見るからに気が進まない素振りだったが、次々に背中を小突かれ、仕方なく両手をマクマスに向けて差し出す。
――はじまった!
俺たちのいる位置でもマクマスが後生大事に手入れを繰り返していたあの盾の表面が、たちまち曇り始めたのが分かった。それに気付いたマクマスの端正な顔立ちに、苛立ちと嫌悪が浮き上がったが――さっとそれを引っ込める。
「これがどうしたっていうんだい? こんなもので僕を止められるとでも? 甘いね♪」
本当は苦しい筈だ。
どうしようもなく辛くて哀しい筈なのに、それでもマクマスは不敵な笑みを浮かべていた。
「じゃあ、今度はこっちの番……だよっ!」
振りかぶって、ざあっと剣を振る。
「きゃあああ!」
「いやあああ!」
突風が駆け抜け、女神たちはバランスを崩して恐れ戦いている。
それを見て、カラフェンらしきあやふやな輪郭が俺たちに告げた。
『さあ! 今のうちです!』
『はい!』
互いの姿はまともに見えない。なので、三人仲良く手を取り合って駆け出した。念には念を入れて、慌てふためく女神たちのいる場所を避けるようなコース取りで一気に突破していく。
「ほらほら! これはどうかなっ!」
「あ、あぶな……っ!」
「ひいいい!」
次々と繰り出されるマクマスの剣技から逃れようと、女神たちは右往左往して逃げ惑う。
それでもマクマスは言っていた。
(――怪我をさせる気はないよ。僕は彼女たちのこと、やっぱり大切だと思ってるからね♪)
勇者だった頃に、彼の冒険を懸命に支えてくれたのは女神たちだ。その事実は曲げようもない。たとえそれが《女神ポイント》などという馬鹿げたシステム故だったとしても感謝してるのは同じさ――そうマクマスは珍しく真剣な表情で語っていた。
そうこうしているうちに、俺たち三人は女神たちの脇を通り抜け、その少し先の方までまんまと抜け出すことに成功していた。
『ここまでくれば大丈夫でしょう』
わずかに息を弾ませながらカラフェンは告げると、手から伝わる合図だけで俺たちを立ち止まらせ、すっと息を吸う。直後、ぴいいい!と鳶の鳴き声に似た鋭い口笛を風に乗せて送り出した。マクマスの耳にもそれは届いたらしい。うん、と頷いた彼は剣を担ぎ上げ、女神たちに向かってもう一度笑いかけて告げた。
「どうやら時間切れみたいだね♪ また今度、お相手いただくとしようかな? じゃあ僕は、これにて失礼する!」
一転、脱兎のごとく走り出す。
「ご、ごほっ! ごほっ! ま、待ちなさいっ!」
「あ、後を追わないと……ううう……!」
あっ、と他の女神たちも小さな悲鳴を発した。だがしかし、結局攻撃らしい攻撃といえば風圧だけだったとはいえど、それでも元・勇者の放った渾身の一振りだったのだ。足はがくがくと震え、あまつさえ腰を抜かしている者までいる有様だ。口惜し気な科白を口にすれど、実際に追おうとする者は皆無だった。
「こっちです!」
《存在消失》の効果が薄れ徐々に元の姿を取り戻しつつある俺たちは大きく手を振り、すぐにマクマスと合流した。
「やっぱ、凄いですよ、マクマスさんは!」
「そう言ってくれると引き受けた甲斐があるね♪」
逃げ足を少し緩め、追い付いてきたマクマスに素直な感想を述べると、珍しく照れたように応える。
「でもね――」
そのままマクマスが言葉を継ごうとした矢先、残された女神たちの会話が漏れ聞こえてきた。
「もう! 何やってるのよ、ヌヌイ!」
「ううう……ごめん……なさい……」
「あーあ、がっかり! 何のためにこうして仲良くしてあげてるのか分かってるの!? ちっとも役に立たないんだから! そこ、どきなさい! 邪魔よ! あいつらを追うんだから――」
「あ……う……!」
腹立ち紛れに押し退けられたヌヌイが無様に転倒する音が聴こえた。すると、それまで傍観しているだけだった他の女神たちまで彼女を非難する側に回り、冷笑を浮かべ、口々に罵りの言葉を投げつける。
マクマスは――足を止めた。
「マクマス……さん?」
「放っておきましょう。先を急がないと――」
俺を含めた三人だって、それが酷い仕打ちだとは思う。でも、どうすることもできない。
「分かってるよ♪ 分かってるんだけどね」
マクマスは迷いを断ち切るように首を振って、
「……済まない。僕はここに残ることにするよ♪」
そう、言った。
「え――!?」
俺が思わずそう声を出すと、マクマスは心底済まなそうに眉根を寄せて肩を竦めた。
「何故なんですか!? どうして――!?」
「僕はね……あの子に恋をしていたんだよ」
あの子――ヌヌイ!?
正直に言えば、超絶イケメンの筋骨隆々の元・勇者のマクマスには不釣り合いな相手だと思ってしまったのは紛れもない事実だ。そしてそれは表情にも出てしまっていたのだろう。
「意外かい? でも、僕にとっては彼女が誰よりも美しく、愛おしく感じていたんだ。だって、この世界に召喚された何も知らない僕に、一番最初に手を差し伸べてくれたのは彼女だったんだから」
そうか――。
隣に視線を向けると、ちょうど俺の方を見ていたマリーと目が合った。慌てて目を反らす。
「僕だってね、最初から何もかもがうまくいってた訳じゃなかったんだよ♪ この体格だって、それなりにトレーニングを積み重ねた上に手に入れたんだから。そう、はじめは……ひ弱でひょろ長い、イケメンだってだけの男だったんだから、ね?」
……一言余計です。
でも、意外だった。マクマスはマクマスなりにきちんと努力を重ねてきた末に晴れて勇者となったということだろう。勇者に選ばれただけはある、ということか。
「で、でも……どうするのよ?」
「最初に決めた通りだよ、女神・マリー」
マクマスは一人振り返り、背中で告げる。
「僕が囮になる。君たちは先に進むんだ」
「でも、それじゃあ――!?」
「大丈夫さ♪」
最後に俺たちに向けて、白い歯を見せてとびきりの笑顔をマクマスは送った。
「必ず後から追いつくからね。三人で一足先に魔王のところまで向かってくれ。大丈夫、こんなところで僕は死なない。絶対にね♪」
それ、死ぬ奴の科白だから!
確実にフラグの立ったマクマスに慌てて伸ばそうとした俺の手は、輝きを取り戻した彼の盾で強引に押し戻されてしまう。その彼の背後には、態勢を整え、すっかり立ち直った女神たちが一斉に押し寄せてくるのが見えた。俺の背筋が一気に冷える。
「だ、駄目ですよっ、マクマ――!」
「行け、行くんだ――カラフェン!」
もしもの時には――もしかすると、初めからそう示し合わせていたのかもしれない。名を呼ばれた瞬間、カラフェンは迷うことなく俺とマリーの手を取って、痛いくらいに力を振り絞るとその場から離脱しようとする。それでも俺は叫ばずにはいられなかった。
「マクマスさあああん――!」
最後に俺の目に映ったのは。
誇らしげな笑みを顔中に浮かべたまま、ゾンビ映画の哀れな犠牲者さながらに、次々と殺到し群がる女神の一団に吞み込まれ、押し倒され消えていったマクマスの雄姿だった。




