第五十五話 女神、第二波来る
その後しばらくは何事もなく、《死の山》目指して黙々と進んでいた俺たちだったが、
「くっそ……また女神の一団がいるぞ?」
「さっきより人数が少ないわね」
マリーの指摘どおり、そこにいたのは一〇人にも満たない女神の一団である。
ただし、さっきとは少し状況が異なっていた。
「うーん……これ、まずいね♪」
「どうしてそう思うんです?」
マクマスは朗らかに言い放ったが、彼なりに深刻そうな表情を浮かべているつもりらしかった。なので不思議に思って尋ねてみる。
「さっきの幻影を見せる魔法を使えば、切り抜けることができるんじゃないですか?」
「多分、上手くいかないと思うよ?」
それを聞いて、マクマスを除いた三人の頭上に、はてなマークが浮かび上がった。
「ほら、見えるかい? あのぼさぼさ髪の小柄な女神はちょっとした僕の知り合いでね♪ 彼女の持つ《女神の加護》が厄介で――相性が悪いんだ」
確かにいる。
ぼさぼさ――というより、ソバージュがかかったような大量の黒髪が表情をすっかり隠してしまっている女神のことだろう。自信家の多い女神たちの中では妙に目立つやたらびくついたおどおどとした態度が印象的で、自分以外の全ての者たちの何でもない動き一つ一つに必要以上に怯え、そのたびごとに細い肩を震わせてはなだめられたりなんかしている。
その光景を、何かを懐かしむように目を細めて見つめるマクマスは続けた。
「彼女の名は、女神・ヌヌイ。取り立てて凄い力も持ってないんだけれど、彼女の持つ《加護》は輝かしき物全てを例外なく曇らせてしまうんだ。もちろんこのぴかぴかに磨き抜かれた剣も、盾も、ね♪」
つまりマクマスは、あの独特の動作で自分自身の姿を映し見ることができなくなってしまう――そういうことらしい。
「え……でも、それだけなんですよね?」
「だからこそ、無理なんだ」
肩でそっと息を吐き、マクマクは白状する。
「僕は、彼女の前ではイメージが保てなくなる。というより曇った表面に映し出される自分の姿の醜さに耐え切れなくなってしまうんだ! そんな過酷な状況で集中力なんて発揮できると思うかい? とても無理だ。無理なんだ!」
把握。
過酷――かどうかはさておいて、さっきは奇跡的に上手くいったあの幻影魔法はもう使えない、っていう残念なお知らせは理解できた。ただ俺が、さっきから少し気になっていることは、それとは別のことで。
「変わってないね、ヌヌイ……」
女神・ヌヌイとマクマスの間に何があったのだろうか。
少なくとも、過去に一度は出会っている筈だ。そうでもなければ、彼女の持つ《加護》をマクマスが知っている訳がない。かつてマクマスが勇者だった時に、彼の冒険の支えになるべく《女神の加護》を授けた? その筋書きが最も可能性大である。
「それよりも! どうするのよ! どうやって切り抜けるのよこの状況!」
「おっと……そうだよな」
じれったそうに尋ねるマリーの言葉に我に返った。
「幸い、まだこっちの姿は見られてないみたいだ。だったら《存在消失》は使えそうですよね、カラフェンさん」
一点を注視されると無効、だったっけ。
「ですね。ただ、より安全に確実にこの場を切り抜けようとするのであれば、別の何かを用いて我我とは違う方向に注意を引きつけておく必要があると思います」
俺とカラフェンの二人は、示し合わせたようにマリーを見つめる。
と、溜息とともにマリーが応じた。
「……だと思った。ま、確かにあたしは、あんたたちみたいなお尋ね者じゃないしね。万が一捕まったところで居場所を問い質されるくらいで、他に何をされる訳でもないんだから――」
さっきの脱出劇の際に、俺はたまたまその場に落ちていた手配書を入手していた。そこには要注意人物として俺の人相書きと名前が、そしてマクマスとカラフェンの顔と名前もまた記されていたのだ。
ただし、残るマリーについてはどうかというと、俺たち三名の要注意人物に力ずくで無理矢理同行させられている女神が一名いる、としてその名前だけが小さく記されていた。哀れな被害者ということだ。
だが、それまで話に加わることなく待ち構えている女神たちの様子を物陰から窺っていたマクマスは、振り返ると俺たちに告げた。
「いいや、駄目だね♪ その役目は、この僕にやらせてもらう」
「ちょっと!」
せっかく腹を括った矢先に役目を奪われたマリーは露骨に顔を顰めて喰ってかかる。
「今、理由は説明したじゃない! できる限り《加護》を授けられちゃうリスクは避けないといけないでしょ!? なのに――!」
「分かってないね♪」
そこではじめて、マクマスは真剣そのものの顔付きで俺とマリーを交互に見つめた。
「いいかい? 僕が引き受けたのは、勇者クンの魔王討伐を手助けすることじゃないよ。勇者クンとマリーちゃん――君たち二人がやると決めた、この旅の目的の達成のためなんだ」
「え……?」
俺たちは揃って言葉を詰まらせた。
葵さんが命じたから――それだけではない、そんな響きがマクマスの科白から感じ取れた。
「どちらが欠けても駄目。それじゃ失敗なんだよ。たとえあの女神たちが君に危害を加えなくっても、君が捕らえられて勇者クンの隣にいなくなってしまったら……僕の言っている意味、分かるよね?」
「な、何の――!?」
少しムキになったように赤い顔でマリーが喰い下がると、唐突にその耳元に顔を近づけてマクマスが何事かを囁いた。
「……で……だろ……? ……違うかい?」
「――!?」
あ、あれ?
急におとなしくなっちゃったんだけど?
一体マクマスがマリーに何と言ったのか、それは俺にはちっとも聞き取れなかったが、マリーは不貞腐れたような表情を浮かべ、渋々頷いた。
「わ、分かったわよ……」
「うん。それでいい♪」
ようやっと承諾を得られたマクマスはことさら満足げに頷くと、最後の見納め、とでもいうように、剣と盾を構えては入念に己の姿をその瞳に焼き付けていた。
「おい、何言われたんだよ?」
「あ、あんたには関係ないでしょ!?」
うーん。またもやマクマスの《力》とやらで、機密情報的なものをバラされそうになったんだろうか。でも、もう俺、とっくにマリーのスリーサイズとか聞いちゃってるんだけどなあ。
「じゃ、カラフェン、勇者クンたちは頼んだよ♪」
「承知しましたよ、マクマス。……気を付けて」
ぴっ、とこめかみに手を添えて言い放ったマクマスの科白に答えると、カラフェンは即座に魔法の詠唱を始めた。見る間にその場に残った俺たち三人の姿があやふやになっていく。
「うわ……凄いですね、これ」
あらかじめ説明を受けた通り《存在消失》の魔法の効果を得たからといって俺たちの姿は透明になることはなかった。上手い表現が見つからないが、視界の中に捉えようとしてもぬるりと滑り抜けてしまう、そんな感覚だった。陽の光を受けて大地に映し出される影までもぼやけて見える。自然の法則すら捻じ曲げているみたいだ。
「はりきってますねえ、マクマス」
カラフェンのいた場所から聴こえてきた声に反応して目を向けると、マクマスは右側にあった大きな岩のところまでもう移動していた。かくれんぼは得意そうである。だが、その先はもう遮蔽物らしい遮蔽物は皆無だ。
「さて、こちらも準備をしないと……。彼に合わせて一気に突破しますよ!」
「了解です!」




