第五十二話 女神、襲来
状況が一変したのは、それからしばらく進んでからのことだ。
「くっそ!」
走るたび、身に纏う兜と鎧が、がっちゃがっちゃ、と絶え間なくけたたましい音を立てている。
「どうして気付かれたんだよ!? あんなにいたんじゃ、どうしようもないじゃんか!! 何で!?」
「私が思うにですね――」
努めて冷静な口調で語り始めたのはカラフェンだ。
すっかり息が上がっている俺やマリーとは違って、ムカつくくらいに涼しい顔をしている。
「――我々の進行方向に、先回りをしていたのでしょうね。後を追ってきたというよりは」
「そりゃ見たら分かるって!」
言われるまでもない。手ぐすね引いてどころか、俺たちの進む先で、呑気にティーパーティーなんぞを開いていたのだから。
結果的には気付かれてしまったものの、一瞬でも先に察知できたのはほんのちょっぴりでも幸運だったと言えよう。おかげで逃げる時間が確保できた。
「だけどね、勇者クン♪」
今度はマクマスだ。
こっちはこっちで、喋りながら器用に剣と盾を駆使して自分の姿を眺めるのに忙しい様子である。
「こればかりは仕方ないんだよ。さっき君も見たろう? その辺の道具屋ではした金を払えば、魔王の居城が何処にあるか、ご丁寧に書かれている地図が手に入るんだからね」
「そんなの糞ゲーじゃねえかあああああ!」
あらかじめ通り道は分かっている訳で。進行ルートの先のどこかでゆっくり待っていれば、労せず出喰わせるということだ。まるでゲームのタワーディフェンスである。
「お――追っ手は!?」
残念ながら《勇者シリーズ》装備一式、という名前ばかり大層な足枷に縛られた俺には、振り返ってそれを確かめる余裕がない。
「ひとまず振り切ったみたい」
代わりに答えたのはマリーだ。
こいつがある意味一番元気なのである。
何故かと言えば、逃げるにも足手まといになりそうだと瞬時に判断した俺におんぶされているからだ。もしも勇者になっていなかったら、さすがに人一人背負ったまま逃走するなんて芸当は俺には出来なかっただろう。マリーが小柄だっていうのもプラスに働いた。しかし、よくよく考えれば俺や元・勇者の二人とは違ってマリーは女神な訳で、《奴ら》に捕まったとしてもリスクは低い筈である。
そうなのだ。
俺たちを待ち受けていた《奴ら》の正体――。
それは、女神だったのだ。
「考えたら、もっともな話よね」
「何がだよ?」
「一番の敵は、魔物でも魔王ですらもなくって、あたしと同じ、女神だ、ってことがよ」
「ですね……残念ながら」
カラフェンの口調も苦々し気に聴こえる。
「この世界でただ一人の勇者が魔王討伐の旅路に出た、ともなれば、彼女たちも黙って見守ってくれなぞしないでしょうね。おまけに元・勇者を二人も引き連れているだなんて、まさに好機だと言えます」
「ち、ちょっと待ってくれ!」
今の話は何か引っかかる。
「元・勇者って……マクマスさんとカラフェンさんのことなんですよね? まさか女神たちは……あなたたちにも《加護》を授けることができるんですか!?」
「ああ、できるとも、勇者クン。残念ながらね」
言い渋る素振りを見せたカラフェンの代わりに、今度はマクマスが答えてくれた。
「ただ僕らの場合は、現役の勇者に選ばれた君とは少々事情が異なるんだ。アナフィラキシーショックって言葉、聞いたことあるんじゃないかな?」
「まさか……!」
「そうだよ」
頷くマクマスの表情は真剣そのものだった。
「勇者の身で一度は《加護》に耐えられても、勇者でなくなった者が二度目以降に同じ《加護》を授かると、体内で生成された抗体が過剰反応を起こすんだ。以前授かった物と全く同じ《加護》でなくたって、少なからず抗体反応は起こってしまうらしい」
「じゃあ、最悪のケース……死ぬこともあるってことですか!?」
「だね」
即答。
「だね、じゃないですよ!!」
それを聞いた途端、申し訳ないと思う気持ちより、怒りの感情が先に湧いてしまった。
「何で……そんなに冷静でいられるんですか!」
思わず口調が荒くなる。
「そもそもあなたたちは、何でこんな割に合わない依頼を引き受けたんですか! 俺だってそれなりに覚悟は決めています! けど! それだって神になっちゃうってだけで、死ぬことなんてきっとないんだろうな、って高を括っていたからですよ! でも、あなたたちは違うんでしょう!?」
二人にとって、俺の怒りは予想外だったようだった。
しばし無言で視線を交わした後、ゆっくりと口を開いたのはカラフェンだった。
「こんなことを言うと、きっとあなたは怒るでしょうね、勇者ショージ」
マクマスもカラフェンも、同じ微笑みを浮かべたまま、じっと俺を見つめている。
「あなたに、僕たちと同じ過ちを犯して欲しくなかったからですよ。僕たちにだって、本当は元の世界に戻りたいという気持ちがあったんです。でも、出来なかった……。《女神の加護》、それだけが理由じゃない。もっと根本的なところ、根っこのところで僕たちは酷い間違いをしてしまったんです。あなたにはそうなって欲しくない。だからなんです」
「え……い、いや、何の話をしてるんです?」
カラフェンの語る話は曖昧で、抽象的すぎて、まるで要領を得なかった。おかげで自分の中の怒りが徐々に形を保てなくなってしまい、口調にまで心の内の揺らめきが滲み出してしまう。
それを目敏く察したマクマスはカラフェンの肩を、ぽん、と叩き、代わりにお気楽な調子で口を開いた。
「それにだよ、勇者クン♪ 僕たちだって、タダ働きをするつもりはないんだ」
そう切り出すと隣で耳を傾けていたカラフェンが咎めるように片眉を跳ね上げたが、マクマスはそれを目にしても肩を竦めただけだ。マクマスは見事なウインクを一つする。
「君が万事上手くやってくれれば、僕たちだってもう少しマシな生き方ができる。そういうことさ。そういう取引をしたのさ、あの人と、ね」
あの人、というのは、葵さんのことだろう。
二人を遣わしたのが葵さん――女神・アオイデーなのであればきっとその筈だ。
マクマスの真っ正直でストレートな言葉を聞いても少しも嫌な気持ちはしなかった。むしろはじめにカラフェンが語った、善意をオブラートでくるんだような訳の分からない話より何倍もマシである。
「ま、大丈夫、大丈夫。僕ら、強いからね♪」
そう言って、マクマスは、びしっ、と剣を構える。
「そうやすやすと《女神の加護》を授けられたりはしないから心配しないでくれたまえよ。余裕があれば、君やそこの女神様だって守ってあげられるから。ただし――」
そこでマクマスは急に笑みを消し、真面目腐った怖い顔付きをして付け加えた。
「――犠牲的精神なんてものは期待しないで欲しい。僕らだって必死だからね。最悪の事態に直面したら、僕らは迷わず自分の身を守る。勇者の君よりも」
「構いませんよ、それで」
マリーは何か言いたげにむっつりと顔を顰めていたが、包み隠さず本心を語ってくれたマクマスの言葉に嘘はなかった。だからこそ、素直に受け取れた。
「では改めて。話を戻しましょう。いいですね?」




