第五十一話 同人誌はおやつに入りますか
「ったく……」
さっきまで微笑みまで浮かべている感じだったのに、何故か急にぷくーとふくれっ面をしている。どうにも良く分からない奴である。
また険悪なムードになっても困るので、ぶつぶつ文句を言うのは口の中だけに止めておき、周りに付いた砂粒を手で払い退けながら落ちたカップを拾った。実は俺の方も、マリーのことが心配なあまり、ついつい余計な科白を吐きそうになっていたところだったので、内心、ほっ、としていたんだけど。
そのまま立ち上がったついでに空のカップをカラフェンに手渡し、言いそびれていたお礼の言葉を忘れず伝えて戻ってくると、マリーは肩紐の長いメッセンジャーバッグに似た袋の中から何やら取り出して眺めているところだった。
すぐそれが何なのか気付いた俺は、にやり、と口元を歪め、からかうように声をかける。
「打倒魔王を掲げる勇者様の冒険行だってのに、同人誌持参で参加する奴なんて初めて見たぞ?」
「!?」
虚を衝かれたマリーは一瞬隠す素振りを見せたが、
「べ……べっつに良いでしょ? 何か文句でも?」
語気強く言い放ち、逆に挑むような視線を返してくる。まだご機嫌斜めの様子である。
なので俺は、その不機嫌そうなマリーの顔の前に鎧の中のスペースにこっそり隠しておいたそれを突き付けてやった。
途端、
「「……ぷっ!」」
思わず二人揃って噴き出した。
何のことはない。俺も全く同じ物を持ってきていたのである。
もちろんそれはサークル『まりーあーじゅ』が初めて頒布した、俺たちの同人誌、『抱かれたい神一位!の俺様英雄神は、純情ビッチでした☆』だった。
出立する前に、最後にもう一度だけ見ておこうとネットに接続して《神絵師SNS》を覗いたところ、どうやらイベントに参加したらしい何人かのユーザーが、早くも話題にしてくれていることを知った。どの書き込みもかなり好意的で、早く続きが読みたいというコメントも多く見受けられた。それをマリーに教えてやると、またもや嬉しさのあまり泣き出しそうになってしまったので、次も頑張らないとな、と励ましてやったりした。
だが、次の本を作る時にはもう俺は《ノア=ノワール》にいないかも知れない――そんな確信めいた予感は敢えて口に出さずにおいた。
そのやりとりがあった後だったので、旅立ちの準備をしている時に、ついつい何となく荷物の中に忍ばせていたのであった。
「くっそ……そんなアホなことする奴は、俺が初めてだー、ってなる筈だったのに」
「ざーんねん。もう遅いですー」
にひー、とマリーは笑った。ようやくちゃんと笑ってくれた気がする。
「よっ……と」
休憩ついでにマリーの隣に腰かけ、しばし肩を並べて読み耽る。
隣同士で同じ本を開いて読んでいるだなんて、まだイベントの続きをしているみたいで楽しい。
「やっぱ面白いよなー『だかおれ』」
それはとある読者が付けてくれた略称だ。俺たちもすぐに気に入り、早速使うことにしていた。俺の呟きを耳聡く聞きつけたマリーは、身をすり寄せるようにしてちょっと偉ぶった口調で言い放つ。
「ほう? サイン、書こっか?」
「うっせ。調子に乗んなよ腐女神」
何かねじねじしてるけど、お前髭ねえだろ。
また顔を見合わせて笑う。
「俺たちさ、こんな冒険してるだろ。嘘みたいだろ。昨日の今日なんだぜ。これで」
「その科白、前言ってた奴のパクリじゃん」
「インスパイヤと言え。インスパイヤと」
ア、じゃなく、ヤ、ってのがポイントだぞ。
「でもさ、何だか展開が早すぎて信じられないよな。天界だけに」
「ウザ……でも、信じられないってのは本当かも」
だが、マリーの笑顔はちょっと寂しそうに翳った。
「イベントは大成功。すっごい楽しかったけど……あたし、一つだけ心残りがあるんだよね。会いたかった人に会えなかったからさー」
「……ん?」
何だよ、言ってくれたら良かったのに。
イベント中もその前も、マリーとはずっと一緒にいたけれど、俺にはまるで心当たりがなかったし、マリーだってそんな素振りを見せもしなかったじゃないか。
「誰、それ? どこのサークルの人?」
「あー。いやいや、違くって!」
マリーは弱々しい微笑みを浮かべて手を振った。
「どっちにしろ会えないってこと、行く前から分かってたし。あのさ……またショージに呆れられそうだから、言うのやなんだけど――」
「……kwsk」
「言うと思った。テンプレ野郎乙」
今のは違うぞ。
様式美って奴だろ常考。
「えーっと……覚えてる? あたしが最初に《神絵師SNS》に投稿した時の事?」
「お、覚えてるも何も」
頬が熱くなるのを誤魔化そうとしたら、自然と早口になってしまった。
「あ、あれだろ? マリーがべそべそ泣き始めちゃって、仕方ないから頭ぽんぽんしてやった――」
「そ、そこじゃねえからっ!?」
あ、何だ、違うのか。
「もー! 恥ずいこと思い出さないでよ! じゃなくってさ……ほら、あたしのイラストにコメントくれた人の中に……いたでしょ? ちょっとやな感じのコメント書いてた人が」
「あー」
覚えがある。
というか、忘れる訳なんてない。
でもあの一件が結果的にはマリーの心を突き動かした原動力の一つにもなった筈で、憎いというよりはむしろ感謝する気持ちすらあった。だが、ハンドルネームまでは覚えていない。
「いたな。確かに。で?」
「まおたん、って言うの。あの人」
「はい、ちょっとストップ」
俺は激しい既視感に襲われ、こめかみを揉んだ。
「……このパターン。俺、知ってる。知ってるぞ」
「だってー。やっぱり悔しかったんだもん」
「まー、いいや。続きPLZ」
事後だし、ひとまず聞いてみるとしよう。マリーは一つ頷き、再び口を開いた。
「『だかおれ』が完成した時にさ、真っ先にまおたんのことを思い出したの。あ……ううん! もちろんその時はまだ、まおたんがまおたんだってのもちゃんと知らなくって、もう一度あのコメント見るのは怖かったけど、《神絵師SNS》に行って、見て、知って、で……思い切ってメッセしてみたんだよ」
やっぱこいつ、根っこのところではかなりの度胸がある奴だ。そう再認識させられてしまった。でも話の腰を折りたくなかったので、ツッコミは全部最後に回すことにして、無言で頷くだけにする。
「最初はさ、は?とか返ってきて、人違いです知りません、って塩対応されちゃって、思わずヘコみそうになっちゃったんだけどね? それでも、どうしてもまおたんに、あたしの描いた漫画をもう一度見て欲しかったからさ――」
無理もない。
お互いに忘れ去りたい記憶だろうな、と思う。
「見返したい、そういうんじゃないんだよ? この人なら、良くても悪くても隠さず正直に言ってくれるんじゃないかって。ホント、それだけで」
それは俺だって――そう言おうと思わず口を開きかけたけれど、最初からマリーの才能を認めた者と、そうでなかった者とでは、受け取る側のマリーにしてみたら真逆の存在のように思えたのだろう。
「こう言うと、ショージにはもっと怒られちゃうだろうけど、最初に何枚か送って、その後、結局全部の原稿を送って見せちゃった。よく考えたら、あたし超馬鹿だなあ、って思う。だって、それ使ったら、あたしのフリして、本、出せちゃうんだし」
……あーうん。
このツケは、必ず払ってもらうとしよう。忘れっぽいんでな。メモっておくぜ。
でも、マリーにとってあのコメントの一件は、それほどまでに精神的外傷めいたものだったのだと、そして、自らそれに立ち向かおうと勇気を奮ったのだと知る。やっぱりこいつは凄い。俺には無理だ。
「そしたらさ、全然メッセが返ってこなくなっちゃってね、さっきの心配事なんかも後になって気付いちゃって、大変なことしちゃったー!って内心バクバクだったよ。……でもね、来たの、メッセ。そこにはさ……一言だけ……書いて……あってね……」
「おいおいおい。泣くな泣くな」
慌ててハンカチを差し出したが、すでに受け取る余裕すらなさそうだったので、そのまま鼻をつまむ。
ずびー!
……むう。指先が生暖かい。気色悪い。
どうすんだ、これ。一応、とっとくか。
「――あの時のことは本当にごめんなさい、って。それだけ」
マリーは込み上げる何かを押し留めようと大きく息を吸って、吐いてから、続きの言葉を口にする。
「そしたらもう放っておけなくなっちゃって……。だってさ? さよならの、もう二度と会えない人への最後の言葉みたいに見えちゃったんだもん。だからね……すぐメッセした。ありがとう、って。で、会いたいです、って。今度のイベント、来てくれませんか?って。でもね……凄く嬉しいけど行けないんだ、って言ってた。迷ってるみたいに見えたけど、やっぱりどうしても用事があって行けない、って」
マリーの告白はそこで終わったようだ。
なので俺は、我慢に我慢を重ね、胸の奥に溜まりに溜まっていた感情を一気に吐き出すことにした。
すっ、と息を吸い込み、
「………………そっか。うん」
仕方ないじゃん。ラブコメの主人公じゃないんだしさ、俺。
「……怒んないの?」
「こらー、こいつめー」
「何その棒読み」
それでもマリーの顔には笑みが戻った。
それを確認した俺は、ぱんぱんと埃を払い除けつつ、重い腰を上げる。
「じゃ、ま、そろそろ冒険を再開しますか」
「……うん」
だがマリーは、俺の差し出した手を前に、一瞬躊躇う素振りを見せる。
なので、鼻の頭を掻きつつ、こう付け加えた。
「この先の道中で、いろんな女神に出喰わすかもしれないし、注意しないとな。たとえば……まおたん、とかって名乗る女神だっているかもしれない」
「うん!」
ほんのり暖かなぬくもりが伝わってきたのと同時に、俺はマリーの身体を引っ張り上げた。




