第四十二話 驚いちゃった?
「……ふふ……ふふふ。苛めすぎちゃったわね」
ただただ申し訳ない気持ちで黙っていると、葵さんは急にお腹を抱えて身を捩り、苦しそうに声を殺して笑い始めた。俺はそれを目の当たりにしても、ぽかん、と口を開くことしかできなかった。締まりのない表情のままぼんやり立ち尽くしていると、笑い過ぎてよろけた葵さんがすがりつくようにして俺の腕を、きゅっ、と握り締めた。
「これは違うわよ? もうあなたの心を読もうとか、そういうんじゃないからね――」
義理堅くそんな科白を吐いてから、
「やっぱり、あまったかちゃんは面白いなあ! しっかたない子ね? もうこのくらいで許してあげるわよ!」
何だか褒められてしまった。
のかな?
つい釣られて、くすり、と笑ってしまった。
「あの……ええと……ありがとうございます」
「いいの、いいの」
目元に溜まった涙を拭う素振りをして葵さんはひらひらと手を振って見せた。
「ぶっちゃけ、あなたが勇者だと明かさない方が、あたしにとっても都合がいいのよ。今の生活を続けるんなら、ってことなんだけど」
「………………はい?」
分からないことだらけで混乱してしまう。
「えっとね? 勇者に《加護》を与えたら、女神ポイントがもらえる――そのシステムについては知ってるわね?」
「まりりー☆にもそう聞きましたけど」
確か、こうだ。
「そして、女神ポイントを一定以上貯めれば、より高位の女神に昇級できる……そのことですよね?」
他にもいろいろと恩恵はあるのだろうが、最大の利点はそこにあると思う
「そこなのよ」
葵さんは即座に肯定した。
「今のポジションを崩されるような事態になってしまったら、あたしにとってはメリットがないもの。これでも意外と打算的な女なのよ、あたし?」
「……はあ」
葵さんを表すのに、狡猾、とか、計算高い、とかいう言葉は、あまりに似つかわしくないようにも思える。ちょっと意外だった。そして、やけに葵さんの一言が引っかかった。
「あの……良く分からないんですけど……。俺の聞き間違いじゃなければ、今のポジションを崩される訳にはいかない、って、言いましたよね? 壁サーの代表でジャンル神――女神って以外に、まだ何か隠してるんですか?」
「さあ? ふふふ」
悪戯っぽい瞳に見つめられると、落ち着かない。
「……さてあたしの正体は、一体誰でしょう?」
それに、答えなんて分かる筈もなかった。
弱り果てて俺は首を振る。
「どうせ素直に教えてくれる気はないんでしょ?」
「あたし、《女神9》の一員なの」
即答すぎて思考が凍りついた。
思いがけずに大声が出る。
「………………はいぃぃぃ!?」
「ふふふ。驚いてる驚いてる」
「そりゃ、驚くに決まってるでしょう!?」
しきりに俺の頬を、つんつん、と突いてくる葵さんの指を平手で跳ね退け、狼狽もあらわに周囲に人気がないか今更ながらに確認してから声を潜めた。
「冗談も大概にして下さいってば! あれでしょ? 《女神9》って女神の中でも最上位の選ばれた女神たちなんでしょうが!? そんなド偉い女神様が、こんなオタクまみれのイベント会場になんて……え、つーかそれ………………マジで言ってます?」
引き攣った愛想笑いで一応尋ねると、逆にふざけてるんじゃないかと疑いたくなるくらいの糞真面目な顔で葵さんは頷いた。
「超マジ」
「超とか言うなよ、《女神9》!?」
ギャップ、半端ねえ。
「だって、本当のことだもん」
「今ならキャンセル可能ですよ?」
格ゲーならギリギリフレーム内。
「しないわよ」
葵さんはひらひら手を振った。
「あなた、趣味が高じて神話については多少詳しいみたいね? さっき読ませてもらったけれど――」
どうやらその瞬間に思い浮かべている思考以外にも、深層にある記憶や心理だって多少は読めるんだってことなのだろう。
「葵さんことあたしの本当の名前……アオイデーって言うの、って言ったら、もっと驚いてくれる?」
……えええええええええええ!
そりゃ驚くに決まってるじゃないですか!!
――アオイデー。
ギリシャ神話に登場するその名は《古きムーサ》とも呼ばれる《三柱のムーサ》のうちの一人の名だ。ちなみに《ムーサ》とは古ギリシャ語での読み方で、それを英語読みすると《ミューズ》になる。
ただ残念なことに、その知識を俺が得たきっかけは、葵さんが言ったような物書きとしての知識集めの成果などではなくって、何のことはない、巷で人気のスクールアイドルアニメの影響なのであった。ちなみに俺は野々美ちゃん推し。何かええやん。
「どっきり大成功ー! ふふふ」
「ふふふ、じゃないですよ……」
よほど俺のリアクションは期待以上だったのだろう。葵さんは実に楽しそうに笑っている。しかし、こっちはそれどころではなかった。
「でも、何だか納得した部分もなくはないかも」
ちょっと考えて、薄っぺらい知識を掘り起こす。
「だって元々《ミューズ》と言えば、文芸を司る女神、でしたよね? あ、でも確かアオイデーと言えば、得意なジャンルは――?」
「ジ、ジャンルって……」
葵さんは残念な子を見るような表情を浮かべた。
し、仕方ないじゃん!
語彙力が足りなくて、他に表現のしようがなかったんだってば!
ん、思い出したぞ。
「……歌、ですよね?」
「歌唱ってことになってるわね。聴きたい?」
「い――今は止めときます。目立っちゃいますし」
誰が見ているかも分からないのだ。
「じゃあ、それは今度にしましょう」
少しだけ俺の目にも威厳ありげに映るようになった葵さんは何故か満足げに頷いて続けた。
「歌唱を司る女神……でもね? あたしにだって、本当にやりたかったこと、やってみたかったことがあるの。他の誰かが決めたことじゃなくって、あたしが、あたし自身が、やりたくて仕方なかったこと。それがこの同人活動なのよ」
そうか。
結局のところ、葵さんもマリーも同じだったのだ。




