第三十八話 俺にできること
「お――あたしたち、『まりーあーじゅ』というサークルとして今回初参加なんですけど! 参加にあたって、葵さんに《神絵師SNS》を通じていろいろとアドバイスをもらったので、その御礼を、と」
「お、でキル子ッスね。偉い、偉いデスよー」
すぐさま気を取り直して用件を伝えると、何だかやけに偉そうな口調で褒められてしまった。言うなりヘビメタ少女は、すっく、と立ち上がったが、やっぱりちっちゃかった。そして、ほとんど袖に隠れてしまっている手が差し出された。
「あたしは、ぼーぱるッス。もちろん真名じゃないデスけどね? 葵のアシ、やってる者デス。あーあー、別に覚えなくてもいいッス。けど、心に刻んどけ、ってことデスよ。ししっ」
「あ……ども。あたし、あまったか、と言います」
袖が邪魔で仕方なかったが、何とかそのやけに冷たい手を握り返すことに成功した。
にしても……ぼーぱる?
そして、パーカーに生えた兎の耳。
嫌な記憶しか呼び起こさないんですが。
まだぼーぱるさんは一人勝手に、ししっ、と笑っていたが、もうそれはすっかり、死、死、にしか聴こえなくなってしまって落ち着かない。
「で……どうしますデス? ここで待ってれば、そのうち戻ってくるとは思うデスけど?」
「あ、いえ。ご迷惑になっちゃいそうですし」
実は、早く逃げたい、が本音だった。悪い人じゃないんだろうけど。俺は慌てて一冊の本を取り出すと、行儀良く深々と腰を折ってぼーぱるさんに向けて差し出した。
「こ……これ! 葵さんに渡してもらえますか?」
「いいデスよ。もちろん」
口元で弄んでいた棒付きキャンディから手を放し、ぼーぱるさんは早速ぺらぺらと捲り始めた。
「ほほー、力作ッスねー。良く描けてます。こんだけネームをキルのも大変だったでしょ?」
「い、いーえいえ! あたしじゃないんです!」
ぶんぶん、と手を振って訂正する。
「描いたのは、まりりー☆、です。あたしは横からアドバイスしてただけで……。えと……何にもしてないし……したくってもできなくって……」
不意に俺は、自分の無力さを感じてしまった。
俺がマリーにしてやれたのは、茶々を入れて、はた迷惑な批評家の真似事をしたことくらいだ。勝手にオタクの先輩である俺にはセンスがあるんだからと偉ぶって、独りよがりの無茶振りをしていただけなのだ。
ネームを切ったのも、ラフを描いたのも、ペンを入れたのも、表紙のイラストを描き上げたのも、マリーただ一人の力によるものだ。
よく頑張った――その労いの言葉はあまりに重すぎて、単なる代理なのだとしてもとても受け取れるものではないと引け目を感じてしまったのだ。
肩を落として言葉を失くした俺に、ぼーぱるさんは素っ気ない言葉を投げかけた。
「んー……。でもッスよ? それでもそのまりりー☆って子なら、きっとすっごいの描ける筈、って信じてたんじゃないデスか? 誰もまだ見たこともないってのに、あんたただ一人だけは心の底から。違うッスかね?」
「あ……」
はっ、と顔を上げると、ぼーぱるさんの琥珀色の瞳が静かに俺を見つめている。
そして彼女は、ししっ、と笑ったが、今度は不思議と少しも怖くなんて思えなかった。
「信じて、自分にでキルことをやる、それでいーんデスよ。出来もしないことを頑張っても、やった本人だけが満足するだけで結構邪魔にしかならないものデスからねぇ」
それでも浮かない顔をしていると、ぼーぱるさんは諭すように続けた。
「あまったかちゃん、あんたのことは葵からも聞いてたデス。その、まりりー☆ってこのためにと、あっちこっちの人に丁寧にお願いして、いろいろとアドバイスを貰ってたでしょ? そして、受けた恩をこうしてわざわざ一つ一つ返しに来てる。それだって立派なお仕事デス」
親切に俺の話に付き合ってくれただけでも有難いことなのに、サークル仲間の間でも話題にも上がっていたと聞かされると、嬉しいやら申し訳ないやらで返す言葉が見つからなかった。
「んー」
やれやれ、と肩を竦めるように溜息を吐くと、ぼーぱるさんはパーカーのポケットからまた別の棒付きキャンディを取り出して、ん、と俺に差し出した。
「これ、頑張ったで賞。あんたにあげるデス」
「あ……ありがとう……ございます」
ちっぽけなキャンディは、やけに重く感じた。
――俺にできること、か。
妙にしんみりした気持ちを抱えて、俺はマリーの待つであろう俺たちのサークルスペースへと無言のまま歩いていた。ふと、立ち止まり、会場をゆっくり見渡してみる。
「何か不思議だよなあ……」
ここにあるのは、吸い寄せられるように集まってきたオタクたちの《妄想》だ。
いつかはここに――自分の良く知る世界と此処はまるで違っていたのだけれど、同じ空気と同じ熱が此処には確かにあった。時と場所は違っても、それは確かだ。
――俺も、書きたい。
そして、俺の《妄想》を見てもらいたい。
今はマリーの《妄想》を信じて支えることしかできないけれど、俺だってそっち側に行きたいと思う。
いや、やらないと、な。
これが終わったら、もう一度書こう。
本当に書きたい物を、本当に見たい、見せたい俺だけの世界をぶっ倒れるまで書こう。それこそ本当にぶっ倒れるようなことになってしまったら大変なのだが、きっと大丈夫だという確信があった。
「だって、あ――俺ってさ」
――勇者様だもんな。
ようやく足取りが軽くなった。
早くマリーの顔が見たくって、足を速める。




