第三十五話 イケメン登場
が――。
「人……来ないわね」
「まだ始まったばかりだろ? そんなもんだって」
大して時間も経っていないのに、マリーは堅い表情のまま、目の前を通り過ぎていく人々を睨み付けるようにして見つめている。
「どうぞー! 新刊、ありまーす!」
通路の向こう側では、大量の頒布物を並べたサークルの参加者が道行く人々にしきりに声をかけている。開始からずっと、二人とも立ちっ放しだ。
「あ、あたし、あそこまで出来ないんだけど」
「あー……うん、お――あたしもそんな感じ」
二人ともバリバリ社交的、ってタイプじゃないのでどうにも気軽に声をかけられずただ座っているだけである。たまに足を止めてくれる人もいるのだが、そのたび傍から見ても不審に思えるくらい俺たちが動揺を露わにするので、向こうも向こうで気まずそうに立ち去っていく。コミュ障辛い。
そのまま無理矢理お見合いでもさせられた初対面の二人みたいなぎこちない雰囲気で固まっている俺たちの前に、ふと、一つの影が落ちた。
「へー。面白そうじゃん。見てもいいかい?」
「あ! も、もちろんで――!」
途中まで言いかけて、その人物を見た俺たちは、ほぼ同時に、ひゅっ、と音まで立てて息を呑んだ。
軍服……だろうか?
ネイビーブルーの細身のシルエットを豪奢な金のモールで飾り立てたダブルのジャケットに、身体のラインに沿うようにぴっちりとした純白のスラックス。足元には膝近くまでのロングブーツを履き、腰あたりに、凜、と研ぎ澄まされた冷たい輝きを放つサーベルを下げている絶世の美男子がそこにいた。
緩くウェーブのかかった金髪を掻き上げながら俺たち二人に等しくセクシーな色を含んだ微笑みを投げかけている。
きゅん――。
い、いや、ちょっと待て!
おかしいだろ。
俺は、今はこんな成りだが、男なんだぞ?
なのに、どきどきと動悸が止まらな――。
……ん?
あれ?
この人、どこかで――?
何とか平静を取り戻そうと、必死で素数を数えたりなんかしていた俺だったが、不意にそんな考えが脳裏をよぎった。こんなイケメン、今まで会ったこともない筈なのに何故か見覚えがある気がする。
すると、隣にいる舞亜さんが羨望――などではなく、怒ったような呆れたような溜息を一つ吐いた。
「遅いわよ、もう!」
「悪ぃ悪ぃ。そう怒るなよ、舞亜」
悪びれない口調で応じたイケメン軍人は、マリーの本を片手に、もう片方の手を長机につくと、よっと、と一声かけて軽々と飛び越して見せた。それから、舞亜さんの隣に腰かけて、早速手にした本をぺらぺらと読み始める。
「えと。彼氏さん……ですか?」
近い方に座っていた俺が、耳元でそう囁くと、
「へ? ………………ぷっ! あはははは!」
「?」
おっとりした外見にそぐわず、文字通りお腹を抱えて笑い出した舞亜さんを見た俺とマリーは、無言で見つめ合うことしかできなかった。マリーもやっぱり状況がまるで理解できていない様子である。
「違うの。違うのよ」
ああ、可笑しい――と笑いを締め括ってから、舞亜さんは隣のイケメン軍人に身振りで伝える。
すると、
「あー。そっかそっか」
きらり、と真っ白な歯が煌めいた。
「あたしだよ、あ・た・し。織緒だってば」
確かにさっき聞いた女声でイケメン軍人は言った。
「「え………………うえええええええええっ!」」
俺たちの絶叫がユニゾンした。
いや、だって!
髪の色も違うし!
さっきまで声も全然違ってたじゃん!
わざわざ尋ねる前に織緒さんが答えてくれる。
「髪はウィッグだって。セットが崩れちゃうから外して見せたりできないけどなー。声の方は、まー日々の鍛錬、って奴? キャラになりきるには、いつもの自分の声じゃあやっぱ雰囲気出なくってさ。そーだなー……六パターンくらい使い分けられるかもな。あたし、かなり練習したんだ。いくぜ?」
実際にやって見せてくれる。
強気の俺様キャラ、熱血バカの体育会系、クールで真面目な生徒会長、病弱で儚げな文学青年、Sっ気たっぷりの鬼畜眼鏡に、元気一杯の天然無邪気。
「……っと。どーだ?」
最後のはある意味、素の織緒さんに近いのだろうけれど、それでも俺たちはすっかり感心させられてしまった。思わず興奮気味に拍手してしまう。
「いや、凄い! 凄いですよ!!」
本職の声優だって、ここまで出来る人はそうそういないんじゃないだろうか。本当に六人のキャラが目の前に入れ替わり立ち替わり現れたように錯覚したくらいだった。
「そーかそーか! いやー、嬉しいぜー!」
織緒さんは元の強気な俺様キャラに戻りつつ、かかか、と笑った。そして、隣で何故かむくれている舞亜さんの肩に馴れ馴れしく腕を回して囁く。
「なーに拗ねてんだよ、舞亜? それもこれもお前のためじゃんか。……ははーん、もしかして、あたしがちやほやされてるからって、妬いてんのか?」
「妬いてません!」
ぷいっ、と怒ったようにそっぽを向いてしまったが、図星のようである。
「あんなー?」
その膨れた頬をちょんちょんと突き、ぴしり、とはね退けられたりなんかしつつ、織緒さんは口元に手を添え、俺たちにそっと囁いた。
「こいつの衣装、どれもすげーじゃん? でもさ、自分じゃ着る勇気がないんだと。やっぱさー、誰かが着てこそのコスチュームだって思う訳よー。んで、あたしが着てやることにしたんだ。このサークルの看板になってやる、って決めたんだよ」
「あー。それで――」
やっと納得がいった。
実際、織緒さんが会場に戻って来てからというもの、周囲の空気が明らかに変わった気がする。人の流れまで確実に引き寄せているようだった。
「すみません。これ、見せてもらっても?」
「おうよ!」
言ってる間に、早速お客さん第一号が現れた。
「最初のページの衣装は、今俺様が着ているのと同じ奴だぜ? 待ってな、そっちに行ってやるよ」
長机の上に広げてあった見本帳をめくり始めた女神の隣に立ち、織緒さんが一通り説明をし始めた。その通りがかりの女神は、すっかり舞い上がってしまい、ちょっと頬を赤らめたりなんかしていた――まあ、無理もない。イケメンにも程がある。
人の心理とは面白いもので、そうやって先人がいる場所には抵抗感が薄くなる。じきに次の、また次の見物客が集まり始めた。純粋に舞亜さんの仕立てたコスチュームに興味をかき立てられた者もいれば、単にイケメン軍人となった織緒さんを間近で拝みたいってだけの野次馬もいるようだったが、それでも確実に人を集めることに成功しつつあった。
ふと、隣を見ると、
「……何だよ。ぽーっとしちゃってさ」
すっかり見とれている様子のマリーを見て、俺はつい、そんな科白を吐いてしまった。
そりゃあ俺は、イケメンって顔じゃないし……。
何だかもやもやしてしまう。
同じ男に負けるならまだ多少諦めもつくけれど、相手は女性なのである。神だ、女神だ、というのだから、普通の人間より容姿が優れていてもちっともおかしくないのだろうけれど、負けは負け、だ。
「尊い……」
あーはいはい。
とうとうそんな呟きまで漏れ聞こえてきたので、中腰になりつつ苛立った素振りで今一度スペースの上に並べた本やPOPを意味もなく弄り回していたのだが、ちょいちょい、と短すぎるスカートの裾を引っ張られ、余計にイラっとしてしまった。
「ちょ――! 何だよ、もう!」
こら、見えるだろ。
「ね? ね? 聞いてってば」
「?」
仕方なく、どん、と座ってわざとらしく溜息を吐いていると、すっと身を寄せるようにしてマリーが耳元に囁いてきた。吐息がかかった拍子に、びくっ!とかしてしまうが、やっぱり俺の表情は優れない。
「何?」
とげとげしい返事を物ともせずマリーは続けた。
「良いわー。理想のキャラよ。そう思うでしょ?」
「へ、へー……そうなんだ。良かったじゃん」
マリーが掴んで離さないので逃げることもできず、仕方なく持参してきたミスリル麦茶のペットボトルをバッグから取り出して口をつけた。何だか……味がしない。
「本当よ!」
マリーは熱のこもった口調で呟いた。
「織緒さんたちの隣で良かったわ。あんなイケメン俺様キャラ……ああ、滅茶苦茶にしたい……っ!」
ぶっ――ふっ!
こ・の・腐・女・神・が!
それでも一滴たりとも飛沫を飛ばさないように必死で堪えた俺は偉いと思う。
「ちょ――! 汚なっ! 鼻出てるし!」
「ごっ……ほ……! ごほごほ……っ!」
とても美少女には似つかわしくないリアクションでひたすら悶絶する俺。
気管に入ってしまったらしく呼吸困難に陥っていると、マリーが背中を擦ってくれた。
ま、こいつが加害者なんですけど……。
「お・ま・え・な・あ!」
かひゅー、かひゅー、と息を漏らしながら、さらに渡されたティッシュで控え目に鼻をかむ。
「この腐女神が! 妄想も大概にしろよ!」
「いいじゃん。もうカミングアウトしたんだしー」
マリーは悪びれた様子もなく、ひひっ、と笑った。




