第二十九話 下準備は入念に
そこで何となくアドバイスを葵にお願いしたところ、快く引き受けてくれた。
正直に言えば、教えて厨っぽくてあまり気が進まなかったのだけれど、こういうのは百戦錬磨のベテラン勢に素直に教えを乞うのが吉である。
『やっとペンネームも決まったんだ。まー、さすがにこの前みたいな《ああああ》はないよねー』
『って言い出したら、即止めてますって』
『だよねー。うんうん』
少し時間が空いたかと思うと、葵からちょっと長めのメッセージ、いや、リストが送られてきた。
『このへん準備しとくといいぜ。要チェックや!』
何で知ってんだよ。
お前は彦一か。アンビリーバブルやで。
『ありがとうございますー!』
とりあえず御礼を送っておいた。
が、結構ある。
この際だ。一つずつ教えてもらおう。
『――かわいらしい布。大きめ』
サークルに与えられたスペースである、長机の上に敷いたりするための物らしい。
『そういうのが何もないと味気ないし、結構寂しい感じに見えちゃうんだよ。できれば作品に合った生地とかチョイスできるとベスト。シルクとかベルベットとか凝ったのもいいね。その辺は予算次第さ』
『なるほどー』
俺は手元でメモを書き書き頷いた。
『――かわいらしいPOP。たくさん』
お品書きとか値札とか、スペースナンバーを添えてサークル名を大きめに書いたりした紙なんかもあるといいらしい。これはそれなりの種類を準備しておく必要がありそうだ。
『印刷所によっては、割と安くA2版のポスターをセットで提供してくれるオプションがあるんだよ。ペプルスさんにしたって言ってたよね? だったら、確か追加で頼めると思うから見てみて』
『あ、チェックしてませんでした。あとで見てみますねー』
ただし、大判のポスターをお願いした場合には、それを吊るすためのスタンドを別に準備しないといけなかったりする。マリーと相談だなー。
『――かわいらしい棚。これはなくてもいいかも』
与えられるサークルスペースは思っている以上に狭いので、頒布する本が複数あったりする場合には棚を使って見栄えよく、効率よくディスプレイすることがポイントになるらしい。今回は一冊だけだし、パスだな。
『――かわいらしいガムテとか筆記用具。あとはカッターとかはさみがあると便利かも。これ重要』
『盛りだくさんだー。参加する側は大変ですねー』
『だねー』
ホントは今後必要になってくる物がもっともっとあるんだよー、と葵のメッセージには書いてあったが、それは無事一回目をクリアできてから考えよう。どっちにしても、もうお腹いっぱいである。んで、結局最後まで続いた『かわいらしいシリーズ』には一切触れずにスルーしてしまった。
『でもね。この他に一番大事な物があるんだよ?』
最後に葵はこう付け加えた。
『それは――?』
『それはね、思いっきりイベントを楽しむ気持ち』
そっか……そうだよな。
絶対に成功させたい――そんな思いから、少し余裕に欠ける義務感めいた意気込みになりつつもあった俺の心のもやもやが、すっ、と晴れた気がした。
少し悩んでから、こう送ってやった。
『何かズルいです』
まったくだ。
『うええっ!? 葵、何か変なこと言った?』
『いーえいえ』
自然とキーボードを叩く音が軽やかになった。
『ちょっと良い事言うからですよー。いつもあんなことばっか書いてるくせに……ショタロンとか』
『たまには良い事言わないとさっ! ただの変態さんだと思われちゃったら困るからねー?』
済みません。
もう思ってます。疑いようもなく。
『あーそういえば』
だが、続く葵のメッセージに、俺は見事にフリーズさせられることになってしまった。
『印刷所の手配に、サークル設営の準備って順調っぽいけど、もちろんイベントの参加申込って済ませてあるよね? 確か、二次締切、今日までだぜ?』
……は?
はあああああああああああああああああああ!?
『切ります切ります! 忘れてたあああああ!!』
『ははー。やっぱかー。いてらー』
目の端にちらりと映ったカタカナの『ノ』二つに見送られ、俺は慌てて卓袱台の前で唸っているマリーのところへと駆け寄った。
◆◆◆
「危なかったー」
「っスねー、ってまりりー☆先生この野郎」
「悪かったってば」
とりあえずサークル参加申込もギリギリ完了したので、にやにや笑いが浮かぶくらいには表情筋は動いたし、とりとめもない軽口を叩く余裕すらあった。
ほんのついさっきまでは、二人してマジ泣き寸前だったのである。イベントに参加してみたい――その一言を聞いて、参加申込まで済ませてあるものと勝手に思い込んでいた俺も悪かったのだが、マリーの方はもっと酷く、当日えっちらおっちら会場に向かえばオッケー、あとは何とかなるっしょ、程度に思っていたらしい。ホント素人怖い。
サークルカットをマリーが急遽一発描きしている間に、同時進行で俺が申込を進行させるという実にアクロバティックで目まぐるしい展開をクリアした後なので何だかちょっとテンションが妙な感じだ。
「へー。まとめてくれたんだ」
マリーはさっき俺が手元の紙に書き付けておいたメモをひらひらと掲げつつ、他人事のように言う。
「いろいろ持って行く物があるわねー。これはちょっと大変かも……」
「でも、印刷された本の方は直接会場のスペースまで届けてくれるらしいからさ。そこまで大変じゃないんだ――行く時は、な」
もちろん、ペプルスの方の申込情報にもスペースナンバーを追加しておいた。今思えば、そこを空欄で飛ばした時に気付くべきだった。それまでピンクのラグマットの上に足を投げ出し、だらーんと上向きの姿勢を取っていたマリーだったが、ごそ、と身じろぎして座り直す。
「えっ? ……ちょっと。行く時は、って?」
「そりゃアレですよ」
思わせぶりなニュアンスを漂わせた言葉が案の定気になってくれたらしく、声のトーンを落として聞き返してきたマリーに、芝居がかった黒い笑みを浮かべて教えてやることにする。
「おいおいおい。帰りはちょっと事情が違ってくるんじゃないですかね? 五〇部のうち売れなかった分をひーひー言いながらお持ち帰りするハメになるのは誰だと思ってるんだよ? A5版の六〇ページ本が五〇部。奮発したもんだよな? さてさて、一体どのくらいの重さになるんでしょうねえ……?」
「お、脅かさないでよっ!?」
ぎくり、と不安に怯えるマリーの額に、絵に描いたような斜線がさーっと降りてきたみたいに見えた。ビビりすぎである。
「それが嫌だったらさ」
マリーの手から、ぴっ、とリストを掠め取った。
「やれることは何でも一通りやっておこうぜ、まりりー☆先生。イベントってのは、情報戦に長けた奴が常に勝利するんだ。買う方も、売る方も、な?」
その最後のくだりは、某大手サークル代表者の科白の完全なる受け売りだったのだけれど、少なくとも俺だって、買う立場であればマリーより一日の長がある。
「そこで、だ――」
すかさず俺は、さっき考えておいた《情報戦》のプランをマリーの前に広げてみせた。




