第二十八話 命名、まりりー☆先生
「っとぉ……。これなら一冊当あたりの金額は三〇〇メガポよね? 三〇%の儲けってことにすると?」
計算、苦手か。
「三九〇。でも売値は四〇〇メガポのままで良い」
「? 高いって言ってたのに?」
「一〇メガポのお釣りー、って出す方も受け取る方も面倒だろ? ……あー待った。そもそもメガポって、物理的に貨幣として存在してるものなのか?」
「する訳ないじゃん。天界なのよ? 馬鹿なの?」
うぉういっ!
麦茶飲みながらパソコンでネットやってる物理まみれの腐女神に言われとうないわ!
マリーはごそごそとジャージのポケットから一枚の、白くてやたらキラキラとホログラフィが光を反射しているプラスチック製のカードを取り出した。
「これで直接支払いができるわよ。文字どおりね。相手のクレディット・カードに触れながら、消費するポイント数を宣言すればいいの。……で、値段は下げるの?」
「いや、いい。このまま四〇〇メガポで行こう。単なる気分の問題ってとこだけどね」
何にせよ、前日にゲーセンに出向いて大量に両替したりはしなくて良くなった。
あ、迷惑行為だから良い子の皆は真似しちゃ駄目だぜ。
ついでに言うと、手提げ金庫なんかもいらなくなったな。
「一番の問題はこれでクリアできそうだ。あとは、会場設置の準備なんかも必要だけど、それは俺だけでも調べられるからさ。マリーはネームを完成させることに集中してくれ」
「うう……そうだった」
その一言で現実に引き戻されたマリーは、情けない呻き声を上げつつ作業に戻る。俺の方はそのまま、ぽちぽち、とペプルスにサークル登録と発注予約をしようとしたのだが――手が止まった。
「ちょっと待った。まだ決めないといけないことがあったんだ。サークル名とお前のペンネームはどうする? 代表者は――」
「それはショージがやってくれるんでしょ?」
「………………え?」
引き攣った笑顔のまま見返すと、マリーは手の中のネームの束をこれ見よがしに振って見せた。じゃあこれ、あたしの代わりにやってくれる?とでも言いたげである。
「……分かりましたよ、もう」
「やた!」
妙に嬉しそうなマリーは続けて言った。
「じゃあ、サークル名、ショージが決めてね? だって代表者様なんだし。ついでにペンネームも」
「おいおいおい……」
しかし、こいつに任せているとロクでもないことになるのは実証済みだ。何せ、こいつが《神絵師SNS》に投稿した際に名乗ったのは、あろうことか《ああああ》だったのである。
リセマラ前提のソシャゲユーザーかお前。
さすがにこれはない。
実は俺の中では、すでにペンネームは決めていた。
「ええとだな……。ペンネームの方なんだけど――」
「嘘っ! もう考えてくれてたの!?」
だーかーらー!
こいつには他人と接する程良い距離感ってないのか。
ただでさえ、不安で心もとない俺の動悸が一際激しくなってしまった。
「お、お前ってさ、マリー=リーズって名前だろ? だから……そこから取って……さ?」
俺は新しい紙を一枚手に取って、マジックできゅきゅっと書くと、それをマリーにかざしてみせる。
そこには下手くそな俺の字で、
《まりりー☆》。
と精一杯可愛らしく見えるように書かれていた。
「まりりー☆……」
一枚の紙きれ越しにマリーが囁くのが聴こえた。だが、その表情までは俺からは見えない。
「あの……えーっと……」
すぐフォローできていたらまた違ったんだろうけれど、俺の頭の中はどこもかしこも一面真っ白で、気の利いた科白どころか、気の利かない間抜けな科白すら浮かんでこなかった。
次第に俺の顔は俯き、気まずい空気だけが漂う。
と――。
ぴっ、と手の中の紙が忽然と消え失せた。
「まりりー☆……!」
今度は自分の両手でそれを高く掲げると、マリーはとっても照れ臭そうに、でもどこか誇らしげにその名を噛み締めるように読み上げた。それから、ぴしっ、と指さした。俺を。
「今日からあたしはまりりー☆ね! なんか良い! ……いーい?馬鹿ショージ! これから漫画を描いてる時は、あたしのことはまりりー☆って呼ぶのよ? もちろん、先生、ってのも付けなさいよね」
「分かった分かった」
嫌だなんて言える訳ないじゃん。
そんな嬉しそうな顔されたらさ。
「んじゃ、まりりー☆先生、頑張ろうな」
「うんっ!」
その後、サークル名の方もあっさり決まったので、俺はさっそくペプルスに予約を入れることにした。
代表者名『あまったか』。
作者名『まりりー☆』。
サークル名『まりーあーじゅ』。
やや安直で、ひらがな成分多めな気もしたが、覚えてもらうことが最優先なのでこれで良しとする。とは言うものの、さすがの俺も『結婚』と言う意味の単語をもじったサークル名に激しくうろたえてしまい、なるべく平然とした顔を装いつつその由来をマリーに尋ねたところ、
「あたしの描いたキャラ同士がいちゃいちゃしてるイメージでー、だったんだけど……変?」
と真顔で言われた日には、アーソウデスカ、と平坦なトーンで答えるのが精一杯だった。
ですよね。
かちかちかち。
送信、っと。
「本のタイトルは、原稿が出来上がってから入稿する時に変更できるってさ。一応、今は(仮)ってことにしてあるけど――」
これでとりあえずは一安心だ。
明日中にはペプルスの担当者が確認して、折り返しメールをくれるらしい。
「そういやあ、まりりー☆先生。それ、タイトルってもう決めてあったりする?」
「え、えっと。これなんだけど。……どう?」
まだネームとにらめっこしているマリーは、ネームの束から一枚引き抜くと、視線は向けずにそれだけをこちらに差し出した。
「拝見しますよ、まりりー☆先生。どれどれ……」
お。これ、表紙だな。
『抱かれたい神一位!の俺様英雄神は、純情ビッチでした☆』
思わず、にやり、としてしまった。
イラストもなかなか良い。タイトルをパッと見ただけでも、ちょっと中身が気になってしまう感じだ。人によっては長いように感じるかもしれないが、少なくとも俺のいた世界ではこの手のタイトルは流行りでもある。ちょっとコミカルなニュアンスが漂うところもポイントだ。
俺たちが参加することになった《コミック・ゴッド・マーケット》。その、通称《コミゴマ》が果たしてどのくらいの規模のイベントなのかはいまだにピンと来ていないものの、きっとそれなりの数のサークルが参加する訳で、ずらりと並べられた作品の中から手に取ってもらうためには、一に表紙、二にタイトル、それが肝心だと思うのである。
「いいじゃんか。これで決まりだ」
「良かった!」
「んじゃ、早速申込内容を更新しとく」
「うーい。任せたー」
そんなやりとりをしつつマリーは卓袱台に移動して最後の推敲に取りかかることにし、俺の方はと言うと、サークル設営に必要な物をあらかた書き出してから、それを一つ一つ潰していくことになった。




