第二十五話 ネームを拝見
「……まずは経緯を聞かせてもらおうじゃないか」
俺は憤懣やる方ない態度で椅子に腰かけ、机の表面を指でリズミカルに叩きながら、できるかぎりドスの効いた声で尋ねる。
「……ふわぁい」
マリーもさすがに今回ばかりはちょっと反省しているらしく、声に覇気がない。
何でか俺の前の床で愁傷に正座の姿勢をとっている。
「あれからずっと、ネーム描きをしていたのです」
「ほうほう」
いい心がけである。
「そうしたらですね……何と、葵さんから直接メッセが飛んで来まして」
「ほうほ――ん?」
まあ、パソコンがあって、ネット環境も整備されているのであれば、そういったコミュニケーションツールもニーズに応じて生まれるだろうし、それが広く普及していたって不思議じゃない、か。
「不覚にも……盛り上がってしまったのです」
「そうなのですか」
「そうなのです……」
じゃねえよ。
「はい、詳しく」
「ううう……」
マリーはもごもごと口ごもり、早くも足が痺れてきたのかもぞもぞ身体を揺らしていたが、まだだ。
「話題は自然と、今あたしが描こうとしている作品のネームについて、になったのです。やれ、ああでもない、こうでもない、とやりとりをしているうちに、思いがけず熱が入ってしまいまして……」
そこでマリーは軽くよろめきつつもすっくと立ち上がり、自らその場面を再現してみせた。
「あたしっ描きます絶対描きます!ってなって、それはそれは拝見したいですねっ!是非是非今度のイベントに参加しましょうそうしましょう!って葵さん言われて……ついノリで………………はい!と」
なるほどなるほど。
……って。
「おうコラそこの腐女神」
ぎろり。
刺すような咎めるような視線を受けて、マリーは半泣きの表情になって喚き散らした。
「分かってる! 分かってるわよおおお! 自分でも失敗したなあって思ってるわよおおおおお!!」
「分かってるんならだな……」
はああああ、と長々と溜息を吐いて言ってやった。
「やっぱり止めときます、って断ったらいいだろ? まだお前は、漫画なんて一つきりしか描いたことないんだしさ。それも、まるで中身のない――」
おおそうだ、と俺は催促するように手を出した。
「ほら。見せてくれ」
「何をよ?」
「ネームだネーム。描けたんだろ?」
「い――嫌よっ!」
何でだよ。
「うぉいっ! 会ったこともない葵にはペラペラ話すくせに、俺には嫌!ってどういうこと何だよっ! ……いいから出せってば。ほれほれ。はよはよ」
一応、それを見てから判断しよう。
「ううう……うーっ!」
ぺしっ、と半ば投げつけられてきたネームを受け取る。
意外な程枚数があって軽く驚きつつも、
ん?
……ふむ。
自然と紙をめくる手がスローになった。
実を言えばあまり期待していなかったのだが――何せ、昨日の今日なのだ――めくり、めくるその紙は決して白くなかった。あくまでラフなのだし、お世辞にも丁寧とは言えなかったものの、かなりの量が描き込まれていて黒々としている。
ぺらり。
「……あのな、マリー」
俺は次、また次とページをめくりながら言う。
「次からは、ここまで描き込まなくてもいい。もう少し雑でもネームとしては十分だから」
「あ……うん」
マリーが落ち着かなげに身じろぎをして、微かな衣擦れの音が聴こえてきたが、目の前のネームに集中する。再び俺はマリーの《妄想》に舌を巻く思いだった。
最初に読ませてもらった漫画とは別の話である。
あらすじは大体こんな感じだ。
◆◆◆
――かつて救世の雄と呼ばれた勇者アルフェン。
その功績を讃えられ、今や《英雄神》となって奔放で気ままな日々の生活を何一つ不自由なく過ごしていた彼だったが、その実、心の中は虚ろで乾いていた。彼は、あの時、あの場所で命を賭して刃を交わした仇敵、魔王グライザードとの一戦をずっと忘れられずにいたのだ。
これまでの人生においてあれ程までに心躍る、魂を揺さぶられる戦いは他にはなかった――そう思い返すたび、やはり自分は所詮戦いの中でしか生きられない戦闘狂でしかないのだと確信し、周囲には変わらぬ態度と笑顔を振り撒きながらも、今の生活はむしろ空虚で無意味なものだと独り苦悩する。やがてアルフェンは、英雄神の座と安寧の暮らしを捨てて、独り行く当てのない放浪の旅に出てしまう。
そこに、一人の少年が現れる。
少年は、自分こそ魔王グライザードの転生した姿だと打ち明けるが、アルフェンはそれを信じない。何故ならグライザードは自らの手で止めを刺し、確かにこの腕の中で息を引き取ったのだ。今でも彼は、その時消えていく命の儚さと魂の形を覚えている。しかしこの少年は、面影こそグライザードとどこか似ているものの、どうしても同じだと信じることができなかった。それでも、と食い下がる少年に、ならば自分と刃を交えることでそれを証明してみせよ、と言い渡し、二人きりの戦闘が始まった。
一撃、二撃と剣と剣が火花を散らすたび、アルフェンの心は揺れた。これは違う、と拒絶する心と、信じようとする相反する心が思考を乱し、遂に少年に必殺の隙を与えることになってしまう。剣を飛ばされ、組み敷かれたアルフェンは少年に、お前の勝ちだ好きにしろ、と吐き捨てる。こんな無様な姿を晒したら、もう自分は英雄神などとは名乗れない。それならばせめて殺してくれ、と願った。
少年は静かに首を振る。それは駄目だ、と。
最後の希望も奪われ抵抗する意志も失くしてしまったアルフェンの今の姿を、少年は笑わなかった。どころか、ようやく願いが叶ったとその逞しい胸に飛び込んで涙を流す。
少年は言った。もう君は、僕の物だね、と。
戸惑うアルフェン。それは少年の言葉のせいではなかった。英雄神となって以来、ただ自らの欲求を満たすためだけに女神を誘い、弄び、その肢体を貪り尽くすだけの奔放で堕落した日々。それでも決して埋められることのなかった虚ろな心を、熱い感情が満ちていくのだ。
そんな馬鹿な――自分はこの魔王に愛情を抱いていたというのか。
混乱し、我を失ったアルフェンは、自暴自棄になって少年の衣服を引き裂き、その妖艶な肢体を力任せに蹂躙しようとする。はじめは無抵抗に成すがままに身を委ねていた少年だったが、思いどおりにならないことに苛立ったアルフェンが頬を叩くと、突如豹変する。
好きにしていい、って言ったよね?
そう耳元で囁かれた途端、アルフェンの身体は自由を失った。まるで力が入らない。あっという間に少年はアルフェンを逆に組み敷くと、息も出来ない程の濃厚なキスをして、爪先から徐々に上の方へと全身くまなく愛撫していく。その舌先が肌に触れるたび、アルフェンの身体は震え、拒絶を示したが、そこから甘く広がる痺れが邪魔をする。
やめろ!そうアルフェンは叫んだが――。
本当に……止めていいんだね?
手を止めた少年の発した囁きが耳朶に滑り込んできた途端、アルフェンの心は冷たく凍りついた。耐えがたい空虚と乾きが再びアルフェンを襲い、少年は妖しい微笑みを浮かべた。
君は、本当はこうされたかったんだよね?
アルフェンは少年のその問いに答えられなかった。
気の遠くなるような長い愛撫に、アルフェンの身体に次第に熱さとは別の熱がこもる。そして遂に少年に貫かれた瞬間、アルフェンは堪え切れずに歓喜の吐息を漏らしてしまう。そのまま二人は失くしてしまった時間を埋めるように、何度も何度も互いを確かめ合った。
抱き合うようにして一夜を過ごした次の朝、まだ甘えるように胸の中で寝息を立てている少年の身体をなぞり、髪を優しく梳っていると、少年は目を覚まし、悪戯っぽくアルフェンに言った。
……また、シタくなっちゃった?
うるさい馬鹿――!と口では強がってみせるが、激しい鼓動と朱に染まる頬は隠しようがなかった。ぷい、と顔を背け、荷支度を始めるアルフェンに少年が尋ねる。
ねえ君、どこに行くつもり?
アルフェンは振り向かずに答えた。
神も魔王もなく、誰もいない、新しい場所へ、だ。
そして、怒ったように付け加える。
そこには……そうだな、お前一人くらいなら、いてもいいかもな、と。
最後に少年は、嬉しそうに笑ったのだった。




