第十八話 アーッ!
――かちり。
俺はそこで手を止めた。
「ふーっ……」
膨大な量だった。
あまりに集中し過ぎていて、どのくらい時間が経過しているのか分からなかった。何故だかは知らないが、そもそもこのパソコンには時計の機能がないのである。天界には時間の概念がないから、そういうことなんだろうか。そんなことはいい。
「おい、マリー。……終わったぞ?」
びくっ!
ぬいぐるみの山に埋もれたマリーが身体を震わせた。一切の音を聴くまいとしていても、やっぱり気になっていたのだろう。もぞもぞ……と身体を起こし、例のペガサスを抱きかかえて膝を立てるように座り直す。
「……どう……だったのよ?」
怒ったように尖った唇からか細い声が漏れた。
正直に言おう。
「あっちの世界でも、ここまでの画力がある奴はそうそう見かけない。最初は単純に凄え!と思った。でも……そのうち悔しくなってきて、終いには嫉妬すら覚えちまった。オタクの俺にここまで言わせるんだ、それくらいずば抜けた才能だと思ったよ」
イラストを描くのが得意、という奴でも、延々顔のアップだけだったり、せいぜいバストショット止まりだったり、ポーズはあっても右向きオンリーみたいな中途半端な連中はごろごろいる。
だが、マリーは違った。
線の綺麗さ、タッチが絶妙で、キャラのポーズも驚くほど多彩で一つとして同じ物がなかった。衣装も髪型も独創的で、それでいてしっかりとした現実感と一貫性もある。そしてなにより構図が良かった。どうすればキャラの魅力が引き出せるのか、そこに科白一つなくっても、キャラの持つ内面、心の動きまでがありありと伝わってくるようだった。
「………………へー」
「ちょ――!」
うぉい!
「褒めてやってるのに、へーってのはなん――!」
だが、そこで言葉に詰まってしまった。
そんな素っ気ないリアクションを返しておきながら、ぬいぐるみに顔を埋めるようにして浮かび上がった表情をすっかり隠してしまっているマリーのジャージの裾から覗いている足先が、こそばゆそうにもぞもぞそわそわとひっきりなしに蠢いている様を見てしまったからだ。
ったく……。素直じゃない奴。
気持ちを切り替えようと、咳払いをしてから、
「……だけどな?」
はあああ、と溜息を長々と吐く。
もぞもぞ、がぴたりと止まった。
「え……な、何よ?」
「何よ、じゃねえよ……。ちょっとこっち来い」
俺の方もまだ平静を取り戻せていない表情を見られたくなかったのでスクリーンの方を向いたまま手招きすると、少し長めの間の後、衣擦れの音とともにかすかに甘い香りが漂った。
「……来たけど?」
「お前、イラストだけじゃなくって、漫画も描いてたんだな。他にもあるのか?」
「――! ううう……」
いや、そりゃ見るだろ。
何をいまさら……。
「ま、まだそれが初めて描き上げた奴で、それしかない。ちゃんとした作品は、ってことだけど……」
「ちゃんとした、ねえ……」
かちり。
「ちょ――!? 目の前で開かないでよっ!」
「こうしないと話が進まないだろうが」
マウスを取り上げようとするマリーの手をかわして、一ページ目を開いてしまう。
『おい、待てよっ!』
『は、離せってば!』
掴み合い、揉み合う二人の少年。
はい、二ページ目。
『アーッ!』
大ゴマのカラミがどーん。
「展開早ええよ!」
早いどころではない。
ストーリーの途中とかではなく、ほんと誇張抜きでこれが一ページ目と二ページ目なのである。
「読んでる側はシチュエーションも分からないし、こいつらの名前すら分かんないんだが?」
ぺしぺしと机を叩きながら言うと、マリーは不思議そうに小首を傾げながらすらすら語り始めた。
「えっと……この二人は子供の頃からの親友でね? 孤児院でずっと一緒に育ってきたんだけれど、実はそれぞれが敵対する大国の血を受け継ぐ王子だったってことが分かって、アルシュが……あ、こっちの生意気そうな赤毛の子のことなんだけどね――!」
「い……いやいやいやいや!」
おー語る語る。
しかし、これ以上長くなっては堪らない。身振りも交えて話をぶった切ってやった。
「だ・か・ら! それを描け!つってんだろーが! そこも含めてお前の妄想だろうが!」
「……あー」
あー、じゃねえよ。
「あとな!?」
マリーはもうすっかり観念したのかマウスを弄ろうとも抵抗せずに隣で見つめていた。
かちり。
カラミ。
かちり。
カラミ。
かちり。
カラミ……って、ねっちこいなおい。
――Fin。
「終わってんじゃねーよ!」
わなわなする両手の行き場がなくって、腰のあたりに構えて天を仰いで吼える。
効果音を添えるなら、URYYYYY!とかがふさわしい。
「Fin、じゃねーんだよ! 結局ヤっただけじゃねーかあああああ!!」
「えー……だってー……」
ぷくー、とマリーは膨れている。
「だってー、じゃねえっつーの! お前も何で不服そうなんだよ!? どんだけだよっ!」
「……やっぱり馬鹿にしたし。約束したじゃん!」
「え……いやいやいや!」
そっちか。
慌ててぶんぶんと手と首を振る。
「これは馬鹿にしてる訳じゃないんだって! 批評だ。真剣にお前の妄想、作品を読んだ上で、率直な意見、感想を作者にぶつけてるんだよ。いわば読者アンケートって奴。それもこれも、お前の画力ならそれが実現できると思ったからこそ、敢えて厳しいことを言ってやってるんじゃないか!」
まだ疑っていそうな顔付きだが、続ける。
「お前の弱点は、ずばりストーリー性だ。はっきりいっちまうと中身がまるでない、スカスカなんだよ。お前だって本心では、これでこの作品が完成したなんてちっとも思えてないんだろ? ん?」
「う……っ」
どうやら図星のようである。
身体の前で手を組むように言い訳を始めた。
「だって……もやもやーっ!って浮かび上がった妄想を、そのまま、がー!って描いていったらこうなっちゃったんだもん! 仕方ないじゃない!」
逆切れですかそうですか。
半ば呆れつつも、
「ち――ちょっと待ってちょっと待って!」
ふと途轍もない違和感がよぎり、俺は身体ごと振り返るようにしてマリーに尋ねてみた。
「そのまま、って……まさかこれ、ネームも描かずにいきなり描いた……のか!?」
「ネ、ネーム?」
……あー面倒臭い。
またもやマリーの知らない単語だという訳か。
「ネーム、ってのはだな――」
机の上の手近な白い紙とシャープペンを手に取っり、ひらひらぷるぷるさせながら反応を窺うと、好きにすれば?とでも言いたげにマリーは肩を竦める。なので、早速俺は見様見真似のざっくりとした絵を描き始めた。
「ほい。……こういう奴のことだ。大まかなコマ割りとポーズを描いて、フキダシに科白を当てていく。ほら、な? こうすると大体の話の流れが整理できるだろ?」
「へ、へー。あんたもやるじゃない」
マリーは驚きを隠そうと偉ぶって鼻を鳴らしつつもかなり気になる様子で、ちらちら、と横目で盗み見ている。だが、正直に言って本職でも何でもない俺の描いたネームなんて、小学生の落書き以下だ。
凄いのはマリーの方である。
プロの漫画家でも、ネームなしのぶっつけで本原稿を描いていく人なんてそうそういない。聴いたこともなかった。
昔とあるインタビューで、私ネーム描かない人なんですよねー、と答えていた女性漫画家がいたが、別の雑誌の掲載記事に『只今編集さんとネーム決め中ですっ(はあと)』とキャプションの付けられた写真が載ってしまい、アンチに叩かれてたっけ。
……ん?
待てよ?
「下描きくらいは……するんだよな?」
「しないわよ。めんどいじゃん」
「め、めんどい、ってお前……」
呆れるし、感心してしまった。
こめかみを揉みほぐしながら告げる。
「ま、これはこれ。次に描く時には、まずネームから描くようにしろよ? そうするだけで、ずいぶん物語としてはまともになる筈だから。いいな?」
「……えー」
「えー、じゃありません」
ぴしり、と釘を刺してから、もう一度最初から最後まで読み返していく。加えて、単体のイラストの方も一枚一枚くまなく見返していった。
そして俺は、一つの結論を得たのである。




