第十七話 ドキドキお部屋訪問
「お――お邪魔しまーす……」
「そういうのいいから。キモいし」
だから、キモい、は余計だっつーの。
そうは言われても、女の子の部屋に入った経験なんて今まで一度もないんだから、緊張するのは仕方ないじゃんか。
「へ、へー……」
例の大理石風の扉の向こう側に広がっていたのは、普段ツンツンしているマリーの印象からは想像できなかった妙に可愛らしい空間だった。
広さはやっぱり六畳ほど。まさか天界っていうのは、どこもかしこも全部六畳単位で区切られてるんじゃなかろうか。と、いつもながらの世知辛さを感じずにはいられなかった。
さすがにピンク一色なんてことはなかったが、基本的にはパステル調で統一されたいかにも女の子って印象の部屋である。そこかしこにもこもことした大きめのぬいぐるみが置かれているけれど、ベースになっているモチーフが何故か今一つピンとこない。
あそこの白いのは……ペガサスかな?
見慣れた筈のありがちなアニメキャラ物なんてのは一つとしてなく、どうやら全てが神話に登場する動物のようである。
うーん……馴染めない馴染めないぞ。
さまざまな感情――というより感想を胸に、妙にそわそわし始めた俺を牽制するかのように、ぎろり、とマリーは一瞥してから、
「……じろじろ見ないで」
「あ! や……!」
「はい、ここ!」
ぱんぱん、と椅子を叩いて座るように促す。
「う……っ」
サイズはまともだが、デザインに関してはかなり腰の引ける椅子に顔が引き攣りそうになる。
その前にでーんと置いてある机もそうだ。色合いこそこの部屋にマッチしているが、つまりは全面パステル調ってことであり、パーツというパーツは柔らかく丸みを帯びていてやたらと可愛らしい。まるでピカピカの一年生向けのそれの如しである。
「……何警戒してんのよ? 安心しなさい。座る瞬間に椅子引いたりなんて真似しないから」
だから、小学生かっつーの。
訂正するのも面倒なので、言われるがままに座る。こんなデザインのくせに、やけに座り心地は良かったりするのが少し釈然としなかったりする。
「……使い方は分かるわよね?」
ぽちり。
ふいーん。
整頓されている机の大半を占有しているそれが、低く微かな振動音とともに動き出した。
「あ……あの……あ、いや、使い方は分かるけど」
まあ。異世界だもんな。
……いやいや。
いやいやいやいや。
思わず頭を抱えてしまった。
「何でパソコンあるんだよ………………」
「ん? 買ったから」
「そうじゃねえよ!」
思わず目の前のデスクトップ型パソコンの本体をばんばん!と叩きそうになったが、壊しでもしようものなら俺の身に何が起こるか分からないので仕方なく机の方を平手で叩いた。その間も順調にスクリーンには起動中を示すロゴが表示され、あまつさえハードディスクの奏でるカリカリカリ……という音まで響いている。
さすがに、というべきか、ロゴとセットで表示されている文字は、見たこともない難解な線と記号の組み合わさった物だ。
じゃなくて。
「ここ、天界だよな? な?」
「そうだけど?」
馬鹿じゃないの?って顔すんな。
少しは隠せ。
「天界ってさあ……なんつーかこう、精神的に洗練された文明とか文化で成り立ってるんじゃなかったの? パソコンとかって、あまりにも物質的すぎるんじゃねえの? ナメてんの?」
「だって便利じゃん」
「じゃん、じゃねえよもおおおおお!」
俺はぐぬぬぬぬ!と頭を掻き毟った。
痺れを切らしたマリーが横から手を伸ばしてマウスを掴み、やけに小気味いい動作でしゃっしゃっと操作を始めると、縮まった距離とともに彼女の纏うふんわりとした甘い香りが鼻先をくすぐったが、ショックを受けている俺はどきりとするどころではなかった。
マリーは言う。
「ほら。ネットも繋がってるわよ?」
「繋がってんじゃねえよ!」
それでもスクリーンに映し出された映像は、普段見かけるそれとは少し違ったものだ。そのせいで余計に驚きが倍増してしまった。
「GOD……GLE……だと……!?」
「ここに探したい物のキーワードを入力すると、瞬時に探してくれるの。あんたの世界にも似たような物があるんじゃない?」
いや、あるんだけどさ。
パクりすぎだろ神。
ゴッゴル、って読むらしい。限りなくアウト。
「聞かない方が身のためだと思ったんだけど……このパソコン、ブランド名とかあるのか?」
「あるに決まってるでしょ?」
またもや、しゃっしゃっ。
「ここよ」
あー。
このトップ画面、見たことあるんですが。
しかも、宗教画とかで……。
「……創設者はこの二人の神と女神。召喚した《英雄》がたまたま持っていた一台のパソコンを参考に、あたしが今使っているこのモデルを完成させたの。今のところ、天界に存在する唯一のパソコンメーカーね。ブランド名は、二人が結ばれるきっかけとなった禁断の果実からヒントを得て、アップ――」
「はいストップ! ストップゥゥゥゥゥ!!」
そのネタはいけない。
創設者二人の名前なんか、聞かなくても当てられるっつーの。
マリーは、きょとん、とした顔をしていたが、これ以上続けられたら削られすぎた心がついにぽきりと折れてしまいそうである。それに、パソコン自慢をして欲しかった訳じゃない。
「じゃあ……そろそろ見せてもらってもいいか?」
「う……そうだったわね」
まだ少し迷いがあるらしく、渋々といった風情で今度はやけにのろのろとカーソルが画面を走った。
ぽち。
ぽちり。
「……は、はいこれ! 勝手に見なさいよっ!!」
言うが早いかマリーは背を向け、どしどしと足音を立てながらいくつかのぬいぐるみを拾い上げると、倒れ込むようにソファーベッドに身を投げる。ぬいぐるみに埋もれ、隙間から辛うじて覗いているマリーの頬は熱病患者のように真っ赤だ。ときおり、ぎゅっ、とぬいぐるみを引き寄せ、全ての音も声も聴くまいと耳を堅く閉ざしている。
――やっぱり止めておけばよかった。
――あの妄想を見て、何て言うんだろう。
――早くこの時が過ぎて欲しい。
怖くて、どきどきして、不安で堪らない――そのどれもが痛いほど分かってしまった。
ふう。
俺はにやけ顔をすっと引き締めると、もう一度深く息を吸って吐き、決闘に赴く者のように再びスクリーンと対峙した。
「……じゃ、見せてもらうからな」
かちり。
かちり。
かちり――。




