第十六話 俺はオタクだぜ?
「………………アホか」
正直に言った。
「な……っ!?」
がーん!とか書かれてそうな顔に言ってやる。
「驚くな驚くな。つーか、さっきも言っただろ? 俺はオタクだって」
「オタクって………………何なの?」
「ええー……」
それは予想外の反応なんだけど。
どうやらこの世界には概念がないらしい。
「ええと……。どうしようもなく好きで好きで堪らない何かに向かって、脇目も振らずに全力疾走することを一秒たりとも躊躇わない、そういう性分を持ってる奴、ってことかな……?」
うーん。自分でも何を言っているのか分からない。
それでも構わず続けることにする。
「その瞬間、本人はもうなんつーか一心不乱で無我夢中だからさ、周りが見えてなかったり、はた迷惑なことをしでかすことだってあるかもな。その上、皆が当たり前に出来ることは上手くできなかったりして。馬鹿にされたり、毛嫌いされることも多いかもしれない――」
自分自身で口にしている言葉に思い当たるフシしかなくって勝手にヘコみそうになるが、俺は自らを鼓舞するように気持ちを奮い立たせて迷いもなく言った。
「でもな? 逆に、オタクじゃなければ絶対に出来ないってこともあると、俺は思ってる。それは――」
「……それは?」
さっきから思っていたこと。
「――妄想すること。しまくることだよ」
それは、マリーの血を吐くような告白は、彼女だけの苦悩ではないのだということだった。
「俺もお前と同じだ。気付くと、つい妄想しちゃってるんだ。どうしても止められないんだ」
はは、と乾いた笑いを浮かべた俺の顔をマリーがじっと見つめていた。そのあまりに真剣な眼差しに何となく居心地悪い気分になってしまって、足元に視線を泳がせながら俺は続けた。
「でも、俺にはマリーみたいに絵を描く才能はないからさ。だから頭の中に浮かび上がった《物語》は、文字に変えてすっかり吐き出しちまうことにしたんだ。そうしないと苦しくて死にそうな気分でさ。辛いんだ……辛かったんだ、ホントに」
「……分かる気がする」
「はは。良かった」
肯定された自分以上に、苦悩するマリーの固く強張った心を少しでも和らげることができたような気がして、さっきよりはマシな笑顔が作れたと思う。
ええい。
もう、ついでだ。
「ほら……これ」
ごそごそ。俺は通学鞄の中から一冊の薄汚れたノートを取り出すと、まごついた様子のマリーの手にそれを押し付けた。
「これって……?」
ちら、と顔色を窺う素振りをしたマリーに頷き返してやると、そっとめくり始めた。
「俺の妄想。文字という姿と形を与えて、がりがり出力した俺の妄想だよ。い、いや、ま、まだまだとても読めた物じゃないだろうけど――」
喰い入るように読み始めたマリーの様子を見ているうちに、いまさら気恥ずかしい感情が追い付いてきて、妙にそわそわしてしまい、言い訳じみた科白が口をついて飛び出してきた。
「お……おい……。そのへんで……」
「ねえ?」
そこでマリーは、ぱたん、とノートを閉じて言う。
「これ、借りてもいい?」
「えー………………ええー……?」
ううう。
それは予定になかったんだが。
「……何よ。ダメなの?」
「あー。べ、別に………………いいけど?」
「じゃ、借りる。読んでみたい」
思わず、やっぱなし!なし!と言いかけたが、ノートを大事そうに胸に掻き抱くマリーが浮かべるじんわりとした微笑みが目に飛び込んできて、仕方なくその言葉を飲み下した。
代わりに言ってやる。
「少しは気が楽になったか?」
「そう……かも」
マリーは頷いた。
「そう――なのかもね。少なくとも、一人じゃない、って分かったから」
そうなのだ。
マリーがここまで思い悩んでいた最大の理由は、周りに自分と似たような『オタク』がいなかったことにあると思う。
有難いことに俺には、数こそ少ないし、学校やクラスでは少数派に属するとは言っても、同じような趣味・嗜好を持った仲間がいてくれた。あいつらは俺が書いたラノベもどきを見た途端、中身の良し悪しについてそれはもう言いたい放題で、こっちがすっかりブルーな気分になるくらいのイキオイでああでもないこうでもないとさんざん難癖つけたりしてくれたものだ。
しかしそれでも、そもそもの『書く』という行為について、あいつらはただの一度たりとも馬鹿にしたり嘲笑うような真似だけはしなかった。
それがある種の救済になったし、絶対に鼻を明かしてやる!とここまで書き続けてこられた原動力になった。それは事実だ。
ならば、今度は俺の番だ。
うんうん、と頷いて手を差し出す。
「……何、これ?」
「じゃなくて。お前が描いた物も見せてくれって」
あれ?
何この微妙な間は?
「ぜ――!」
「……ぜ?」
「ぜっっっっったいに嫌っ!!」
何でだよっ!
「いやいやいや! ここは、えっと……じゃあ、って、恥じらいの表情を浮かべながらもおずおずと差し出すシーンだろうが!」
「キモっ! どうしてあたしがそんなキャラになってんのよ! 無理無理! 無理だって!」
頭の、キモっ、は余計である。
少々、かちーん、と来たのでこっちも意地になる。
「いいから見せろっつーの!」
「い、嫌だってば! 嫌に決まってるでしょ!?」
「……ははーん。そっかー」
俺はしたり顔で小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「お前の妄想なんて所詮その程度ってことだ。誰からの批評も受け入れず、批判もされない代わりに賞賛も浴びない。一人で俺様TSUEEEE!ってやってれば恰好いいもんなー?」
「うっ……」
「そんで、おばあちゃんになってから自分の半生を振り返る訳だ。――ああ、私、何でこんな物を描いてたんだっけ、って。誰に見せる訳でもない妄想を散々書き連ねておいてさ。湧き上がってくる妄想を吐き出さないと苦しい、だから描いた、って、それじゃあお前、ウンコと変わんないじゃん。そうだ! お前のその妄想はウンコだ! やーい、ウンコウンコー!」
やっべえ。いろいろ良い事言ってやろうとか思ってたのに、最後の最後で小学生みたいな論理になってるし。大体、女神が歳を取るのかどうかも怪しい。
けれど、それでもマリーの心には何かが響いたらしかった。
たっぷりと沈黙したあと、むっつりと呟く。
「……だって、笑うでしょ?」
「笑わない笑わない」
「きっと馬鹿にする」
「しねーってば」
それだけはない。
「だったらお前も渡したそれを読んで、言いたい放題言ってくれればいい。……だろ?」
「ううう……」
わしゃわしゃ!と適当に束ねられた大量の髪を掻き毟り、マリーは苦悩している様子だった。
と、手が止まる。
背中が決意を物語っていた。
「……分かったわよ。ついてきて」
ぎいい――。
俺は誘われるまま、あの大理石風の扉をくぐった。




