第十話 竜心王
ちょいちょい、と手招きされるままに立ち上がり、おずおずと近づいていくと、もふもふの頭あたりにちんまりとした王冠が載っているのが見えた。何故か斜めに傾いでいる。
「あなたが――老ナサニエル竜心王ですね?」
「いかにもそうじゃ。聡明なる勇者よ」
聡明も何も。
さすがに分かります。
見たところ、老ナサニエル竜心王はかなりのご高齢であるらしい。しわくちゃの顔にアクセントとして添えられたしゅっとした顎髭は、小学生の頃に遠足で訪れた動物園のふれあいコーナーにいた年老いた山羊を思い出させた。
「さあ、勇者……」
枯れ枝のごとき手を差し伸べた老王はどうやら微笑んだらしい。その顔にさらにしわが増量された。
「えー、勇者……」
だが、そう弱々しく呟いたかと思うとそのしわしわに徐々に困惑が混じり始めた。
あたかも渋い物を口にしたように顔を顰めている。
「ええとじゃな。今日来た勇者は……えー何という名じゃったかいのう?」
その問いを向けられたのは澄まし顔で隣に立っていた女神・マリッカなのだが――。
「……ちっ」
一切変わらぬ表情の下から短い舌打ちが聴こえた。
ような気がしたのは気のせいだと思うことにする。
「おほん。ええとじゃな――」
はぁ、仕方ない。
うやうやしく頭を垂れ、自ら名乗ることにした。
「私の名は、ショージ・アマツタカと申します。異世界より召喚されて参りました」
「お……おお! そうじゃ、そうじゃった! もちろん知っているとも、勇者ジョージ!」
「勇者ショージですわ、老王」
女神・マリッカがぴしりと口を挟むと、老王は朽ち果てる寸前の古木のような顔にべっとりと張り付いた脂汗を拭いながら言い訳を始めた。
「そ……そう言った筈じゃが? ……さ、最近、どうも入れ歯の調子が悪くてのう……」
(……大丈夫か、この王様?)
(あら? 何のことですの?)
ひそひそ囁きかけるが、女神・マリッカは気にも留めていないらしく一蹴されてしまった。
「では、勇者ショージよ。……こちらへ」
「――はい」
老王に促されるままさらに歩み出て、玉座の前に跪く。
ん?
――までは良かったのだが、なかなか次の科白が出てこない。心配になって玉座の方を上目遣いでそろりと窺うと、老王はごそごそと懐から取り出した手の中の物を一心不乱に見つめている最中だった。
「えー……。待っておれよ……?」
高齢ゆえの老眼なのだろう。
目をすぼめたり、寄り目になったりと実に忙しそうである。
というか。
(……おい、あれ本当に大丈夫なのか? カンペ読んでるみたいにしか見えないんだが……)
(気のせいじゃねーですかね?)
やっぱり女神・マリッカはちっとも気にしてない様子だったが、若干苛立っているのか口調が粗雑になっていた。それでも相変わらず表情だけは涼し気な微笑みを湛えているままなのでかえって空恐ろしい。
こちらの心配をよそに、老王はにいっと笑んだ。
「おお、そうじゃ! 勇者ショージよ、お主はこの国の安寧を脅かす邪悪なる魔王を倒すべく召喚されたのじゃ」
うん。そこまでは知ってます。
「厳しい戦いになるじゃろうな……だがの? この国に伝わる、で――《伝説の武具》と、そこなる、め――女神より授かりし《加護》があれば、何も憂うことはないのじゃよ!」
棒読みな上に輪をかけて、つっかえつっかえ語られた勇者・俺の運命には、正直、どうにもテンションが上がらなかったが、この国に伝わる《伝説の武具》を授ける、と聞かされたら、否が応にも気がはやった。
「《伝説の武具》とは?」
「そこにあるそれじゃ。さあ、開けてみるがいい」
老王直々の許しを得て、右に置いてあるいかにもなデザインをした宝箱の蓋に手をかけた。実はこの謁見の間に入った時からずっと気になっていたのだ。
かちり。
鍵はかかっていなかった。
「お」
人一人横になれそうなほどの宝箱の蓋を開けてみると、青く鈍い輝きを湛えた《伝説の武具》一式が並んでいた。
「おお――」
兜。鎧。
剣に盾。
おまけに手甲に脛当てらしきものまであった。
「か………………かっけー……っ!」
いくら勇者とはいえ、いきなりこんなフル装備をいただいちゃっていいものなんだろうか。何だか出来過ぎ感はなくもなかったが、まともな勇者扱いをされたので悪い気はしなかった。
うずうず。
「……身に着けてみてもいいでしょうか?」
「もちろんじゃとも!」
ふいーっと息を吐きつつ老王は顎髭をしごいた。
「それはもう、お主の物じゃよ。……何、フリーサイズじゃから合わんことはない筈――」
「……ん、んっ!」
「あ! や! い、良いから構わず身に着けてみるがよいぞ! きっと似合うじゃろうて!」
女神・マリッカの咳払いに目を白黒させて着ろ着ろとしきりに急かしてくる老王のことは気にしないことにして、まずはじめに鎧を手に取る。
にしても、フリーサイズって何だよ……。
「うわ……! と、と」
意外な程重さを感じず、そのせいでかえってよろけてしまった。恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをしつつ、顔の前に高く掲げて良く見てみる。
鈍いコバルトブルーの中央を切り裂くようにデザインされた金色の十字紋様の中央にはめ込まれているのはルビーだろうか。やっぱり格好良い。さすがに制服の上から着るのも何なので上着だけ脱いだ。あとはすっぽりとかぶればいいらしい。実際そうしてみると、きゅっ、と勝手に身体にフィットするのが感じられた。フリーサイズっていうのはこのことか。
「似合いますわよ?」
「あ……サンキュ」
ちょっと照れる。
見ようによってはうっとりとも取れる女神・マリッカの視線にまごつきながらも、兜、脛当てと続けて身に着けていった――ああ、くそ――脛当てを着けるのは鎧を着る前の方がよかったのか。片足でケンケンをしつつ、最終的に何とかなったのでほっとした。
最後に、剣と盾。
しかし、この場で取るのにふさわしいポーズも思いつかなかったので、何となくだらりとした姿勢のまま再び老王に相対した。
「うむ。よい」
「ええ。素敵ですわ」
「あ。ども……」
頷く二人に返す言葉が見つからず、もごもごと口ごもりながら頭を掻こうとして、その拍子に身に着けた装備同士ががちゃがちゃとぶつかり合って音を立てた。何とも騒々しい。
「では……そこに」
無言で頷き苦心しながら膝をついた姿勢を取ると、玉座を離れた老王が数段ある階段をよろよろと降りてきた。思ったより小柄だ。
「儀式の最後じゃ。始めるぞ?」
再び頷くと、目の前の老王は兜の上にかさついた右手でそっと触れ、厳かに告げた。
「異世界より召喚されし者、ショージよ! お主にこの国、アメルカニアを救う使命を授けよう! 今からお主は勇者じゃ! よろしく頼むぞ! ……ほい、これにて終わりじゃ」
短っ!
「あ……はい!」
始まりも終わりも唐突すぎて返事が遅れたが、何とかサマになった筈だ。
ただ惜しむらくはギャラリーが少ない。
それだけが悔やまれる。
この謁見の間には依然として老王と女神と俺、その三人しかいないのだ。
近衛兵やら側近やらと、ずらずらと居並んでいるものだとばかり思っていたんだけど――。
「……うーん」
盛大な拍手とか欲しかったなあ。
ま、いっか。
ともあれ、こうして晴れて勇者となったのだ!




