第一話 女神(ジャージ)
自慢じゃないけど、並大抵の不条理はすんなり受け入れられる人間だと自分では思ってた。
だが、今、目の前に。
そんな俺でも受け入れがたい三つの謎があった。
「まず一つめなんだけど――」
人差し指を立てて、目の前の女の子に尋ねる。
「どうして俺は今、ここにいる……のかな?」
答えは、なかった。
仕方なく隣の中指も立て、もう一度尋ねてみる。
「そして二つめ――君は一体、誰なんだい?」
やはり答えは、ない。
はあ、と溜息を漏らし、さらに隣の薬指も立てた。
「最後の三つめだけど――」
こいつがとりわけ不可解なのであった。
「その、いかにも異世界の住人です!って自己主張してる、今まで見たことないデザインのロングドレスの裾から、ちらっ、と覗いてるのってまさか……ジャージじゃない……よな?」
そこでようやく目の前の女の子が反応を示した。
「――っ!」
今にも神託の一つでも口にしそうな、つん、と取り澄ました涼しげな表情は呆気なく崩れ、仕組みも原理もまるで理解できない透明な床から何処まで続いているのかも分からない青空を映した天井に向け、見惚れる程、すっ、と伸びていた背筋がだらしなく丸まった。
それから、ささっ!と後ろを向いて足の踏み位置を広げると、青白い光沢を放つロングドレスの裾を両手で、ひょい、と摘んで、たった今指摘を受けたばかりの自分の足元を上体を折ったがに股気味の体勢で覗き込む。
あ。
気付いた。
「………………ちょっと待っているのです」
そう言うが早いか謎の女の子は、背後にそそり立つ大理石風の《扉》を開け放ち、ばたんっ!と超高速で閉じて隠れてしまった。
ごそごそごそ……。
がちゃり。
「お待たせしました……」
仕切り直ししずしずと姿を現した謎の女の子は、最初に見た時と寸分変わらない神々しさを取り戻すことに成功していた。
「………………いや。だからね?」
しかし、やっぱ気になるんだけど。
「さっきのジャージだったよね、って聞いて――」
「違います」
喰い気味に否定されてしまった。
「……い、いや、あのね?」
何故、俺が卑屈にならねばならないのか。
「その神聖な雰囲気を漂わせるロングドレスの裾から、どう見たって場違いなくすんだ緑色のジャージが、こんにちわー!って覗いてたら、さすがの俺でも気付かざるを得ないと――」
「違うと言っていますよ?」
うぉい!
最後まで喋らせろよおおおお!
「……あーあれだ」
作戦を変更し、何かを思い出すように問いかける。
「ジャージの裾に付いている輪っか、ええと……あれって……名前、あるんだっけ? 何の意味があるんだろうなーっていつも不思議に思っちゃうよな。あ、そうそう。君の。片っぽ外れてぴろぴろーってなっちゃってたぞ? そのせいか、すっごく気になっちゃってさー」
「はっ! ……そうですか。あとで縫っておくことにしましょう。ちなみにあれは『足掛け』と言う名なのです」
ほら。
やっぱ、さっきのジャージだったんじゃないか。
「あ………………はい。すっきりしました」
――とは思ったけれど、不毛すぎるやりとりがだんだん面倒臭くなってきてしまったので、もうこれ以上追及するのは止めておく。代わりに、残る二つの疑問の答えを待った。
待った。
……い、いや。だからさー!
痺れを切らし、堪らずツッコんでしまう俺。
「ジャージ以外の質問には答えてくれないのかよっ! あったでしょ!? あと二つ!!」
「そうでしたね。ジャージではありませんけれど」
くっそ!
頑なだなおい!
俺の指摘と怒りをさらりと受け流し、謎の女の子は、こほん、と一つ、咳払いをしてから語り始めた。
「あー……非常に申し上げ難いのですけれども」
天を仰ぎ、悲嘆に暮れた表情を浮かべる。
「貴方は――死んでしまったのですよ」
衝撃の告白。
なのだろうが――意外なほど驚きはなかった。
心当たりがあった。
ありすぎたからだ。
「驚かないのですか?」
「まあ……何となくそうだろうとは思ってたし」
「ですよね。ですです」
ははは、と力なく笑ってみせた俺の悲哀のこもった科白に、妙に前のめりになって頷き返してくるのがちょっとムカつく。
「しかし――貴方は本来、ここで死ぬべき運命ではなかったのです。ですので、正しき姿に戻す為、しばらくの間、この世界、《ノア=ノワール》に仮の姿として転生をさせたのです」
「……ほう?」
おっと。少し興味が湧いてきたぞ。
というか、むしろ俺、この俺にとってはご褒美にも等しい夢のシチュエーションだ。
「それはつまり……」
ごくり。
はやる心を飲み下しながら尋ねた。
「――この世界を救う勇者として、ってこと?」
「あ、そう言うの、いいです。……めんどいので」
ん?
最後、何か余計な一言が聴こえた気が――。
いやいや。
気のせい。気のせいだ。
「君の話が事実だとして……じゃあ、俺はこれからどうしたらいいのかな?」
迷いを断ち切るように大きな咳払いを一つして改めて問い直すと、目の前の謎の女の子は即答する。
「何もしなくて結構です。ここに留まって下さい」
――は?
はぁあああああ!?
それだけを言い終えた謎の女の子は、唖然として表情をなくしてしまった俺を残し、先刻姿を現した《扉》の方へとゆっくり歩み去っていく。
だが俺は、肝心な最後の謎の答えをもらっていない。
慌ててその背中に向けて声をかけた。
「ち、ちょ――! 君は――! お前、一体誰なんだよっ!?」
女の子は足を止め、再び俺の方へと向き直った。
「……私の名前は、マリー=リーズ。女神です」
そして――その場に俺だけが取り残されたのだった。